鬼畜戦士
試験官が天を指差す。
暗雲が渦を巻き、空そのものが怒りに震えていた。
稲妻が走るたび、地面が白く染まり、空気が焦げる。
「次の試練──雷鳴の上を渡り切れ」
観衆のざわめきが、稲光に掻き消されていく。
誰もが信じられなかった。
目の前にあるのは、峡谷に架かる一本の鉄橋。
長さ、およそ四百メートル。
その上を、「音を立てずに渡れ」という。
だが、その鉄橋は、落雷の導線そのものだった。
空を割る雷が、橋を白く照らすたび、熱で空気が爆ぜ、橋板が溶けていく。
試験官が淡々と告げる。
「雷が落ちた瞬間に音を立てた者、脱落」
「雷鳴に怯えた者、脱落」
「恐怖を感じた者、脱落」
一瞬、沈黙。
そして次の瞬間──雷鳴が大地を裂いた。
ドォンッ!!
空気がひっくり返るような轟音。
受験者たちが条件反射で身をすくめる。
「む、無理だ……!!」
「死ぬ!あんなの死ぬに決まってる!!」
誰も動かない。
足が地面に縫い付けられたようだった。
それでも、二人だけが歩き出した。
翔真とベリタリア。
⸻
雷が空を縦断する。
橋が光り、鉄の匂いが鼻を突く。
「……ベリタリア」
「おう?」
「お前、怖くないのか?」
「何を?」
雷鳴が唸る。
その音さえも、ベリタリアの耳には子守唄のようだった。
「ファーデンじゃな、雷は子の寝かしつけに使われるんだ。あの音を聞いて泣くガキは、戦士になれないぜ」
「……鬼畜戦士の家系ってやつか」
「まぁな。雷が鳴ったら外で遊べって教わった」
翔真は苦笑した。
彼の足取りも軽い。
というより、雷鳴のリズムに合わせて歩いている。
雷が落ちるタイミングを、まるで音楽の拍子のように読んでいた。
(音を立てずに渡れ──か。なら、雷の音と同化すればいい)
ベリタリアは前へ進む。
足裏が金属を踏みしめる感覚。
そのたびに、雷が橋を這う。
稲妻がベリタリアの肩を掠め、青白い閃光が走り、髪が逆立つ。
だが彼は、笑った。
「おぉ……久々に、いい熱さだ!」
翔真が呆れたように肩をすくめる。
「お前、完全に感覚壊れてるな」
「お前だって、全然焦ってねぇだろ?」
翔真は軽く目を閉じた。
彼の足元で、雷が分かれていく。
まるで彼の身体を避けるように、稲妻が弧を描いて空へ戻る。
観衆の一人が叫ぶ。
「……避けた!? 雷が、避けたぞ!!」
雷鳴が轟くたび、彼らの歩みは止まらない。
ベリタリアは堂々と胸を張り、翔真は静かに呼吸を整える。
そして──
二人が同時に橋の中央へ達したとき、天が真っ白に光った。
轟音。
地響き。
閃光。
世界が一瞬、音を失った。
誰もが息を止めた。
誰もが、死を確信した。
……だが。
次の瞬間、橋の上に立つ二つの影が、ゆっくりと歩き出した。
焦げた鉄橋の上。
煙を纏いながら、翔真とベリタリアは無傷で歩き切った。
⸻
沈黙。
そして、爆発する歓声。
「やったああああ!!!」
「生きてる!! あの二人、生きてる!!!」
魂波導の空中モニターが激しく明滅する。
映像は荒く、ノイズ混じりだが、それでも伝わる。
そこに映るのは、雷を従えた二人の人間だった。
試験官の一人が呟く。
「……嘘だろ。雷神の橋を、音も立てずに……?」
別の試験官が首を振る。
「いや、音を立てなかったんじゃない。雷と同化したんだ」
「おかしすぎるだろ……」
⸻
翔真とベリタリアが橋を渡りきったとき、
他の受験者四名は一歩も動けなかった。
「……挑戦すらできねぇ」
「ありゃあ、もう人間じゃねぇよ……」
試験官が手を上げ、空に響く声で宣言する。
「雷鳴の試練、通過者──二名。翔真、ベリタリア」
⸻
翔真が肩越しに笑う。
「終わりか?」
ベリタリアも笑って返す。
「いや、始まったばっかだろ」
空はまだ、雷鳴を鳴らし続けていた。
だが、その雷は、もう怒ってはいなかった。
──太陽が沈みきった。
空が、息を呑むほど静まり返る。
闇は、音をも飲み込む。
まるで世界そのものが息を止めたかのようだった。
試験官の声が響く。
「次の試練──闇の中で、自分の影を見よ」
ざわめきが広がった。
そんなことが出来るのか。
光のない場所に、影など存在しない。
だが、この試験で「理屈」を探しても意味はない。
理不尽こそが正解。
理解を越えた先に、真実がある。
⸻
ベリタリアは無言で歩き出した。
そして、翔真は後ろで様子を見ていた。
黒い靄が漂う洞窟。
光はない。
水音すら聞こえない。
息をするたび、空気が肺に突き刺さる。
(影を、見る……か)
──
ファーデン王国──北の地獄。
冬は一年のうち十ヶ月を占め、吹雪が骨をも砕く。
その地に生まれた子は、生まれたその瞬間から戦士と呼ばれる。
ベリタリアが最初に与えられた教育は、「生き延びろ」だった。
物心ついた頃には、極寒の雪原に裸で放り出された。
泣けば死ぬ。
立ち止まれば、凍る。
唯一教わったのは、「体温を保て」という一言だけだった。
数年後、帰ってきたと思えば、次は海へ。
巨大魚と竜が跋扈する北海に投げ込まれた。
仲間はその場で半分溺れ、半分喰われた。
それでも彼は、笑って泳いだ。
その頃にはもう、自分が人間かどうかも、どうでもよかった。
一呼吸終えたかと思うと、次は呼吸をも焼き尽くす火山地帯。
地を焦がす溶岩の上を裸足で歩かされ、その途中で堕天と異端者に襲われた。
武器は石だけ。
仲間は全員死んだ。
生き残ったのは、俺だけ。
(あれが俺の初めての合格だったな)
思い返すたびに、胸の奥が冷える。
帰ってきた時、誰も彼を称えなかった。
誰も笑ってくれなかった。
「お前、まだ生きてたのか」と、そう言われただけだった。
それでも、彼は戦った。
殴られ、刺され、裏切られても、立ち続けた。
──それが戦士だから。
だが時が経つにつれ、人々は彼を忘れた。
まるで最初から存在していなかったかのように。
⸻
「影……ね」
ベリタリアは洞窟の奥、完全なる暗黒の中で立ち止まった。
何も見えない。
だが、確かに何かがいる。
(この試験、たぶん影を探すんじゃない。自分を見失うなってことだ)
闇の底で、彼の心に声が響く。
「お前は誰だ?」
「ファーデンの戦士か?」
「それとも、ただの忘れられた男か?」
(違う。俺は──)
「お前は、何を証明したい?」
「誰に、見せたい?」
「誰もお前を見てなどいないぞ」
その言葉が、妙に優しかった。
まるで誰かが自分の中から語りかけているようだった。
「……分かってるさ」
ベリタリアは拳を握りしめた。
「誰も見てねぇ。誰も認めねぇ。けどな、俺はまだ、立ってるぜ」
その瞬間、闇の奥で光が瞬いた。
微かな灯りが、彼の足元に影を作った。
影は、震えていた。
まるで、長い間取り残された子供のように。
ベリタリアは、ゆっくりと膝をついた。
「悪かったな。お前のこと、忘れてた」
影が形を変え、幼いベリタリアの姿になった。
裸足で震えていた少年が、彼を見上げて微笑む。
「やっと、見てくれたんだな」
「──ああ」
次の瞬間、闇が崩壊した。
光が押し寄せ、世界が戻る。
洞窟の外。
翔真が待っていた。
「戻ったか」
「あぁ」
ベリタリアは静かに笑う。
影は、もう足元にちゃんとあった。
「影ってのはさ、誰にも見せない自分の証明なんだな」
翔真はその言葉を聞き、ふっと笑う。
「らしいな、ベリタリア」
⸻
その夜。
残った受験者は、翔真とベリタリア、わずか二名。
試験は、まだ終わらない。
だが、この夜、試験官、そして、観衆の誰もが気づいていた。
──今年は、本物がいる。




