絶の試験、幕開け
それからの二日間――
俺たちは完全に「試験前」という自覚を失っていた。
高級宿のレストランでは、肉の香ばしい煙とワインの香りに包まれ、夜ごと豪勢な食事を楽しんだ。
昼は昼で、セントラの街を歩き回り、機械仕掛けの玩具や異国の菓子を買い漁り、修学旅行気分だった。
緊張感?そんなもの、とっくにどこかへ消えていた。
まるで――ヴァレンヌ逃亡事件の最中にある王族のようだった。
「まぁ、なんとかなるだろ」と笑いながら、滅亡へ向かう馬車の中でワインを飲んでる気分だ。
実際、試験前の男子生徒なんてだいたいそんなもんだ。
「もう状況わかんねぇし、運で乗り切ろう」
── そんな投げやりな空気が、俺たち三人の間に妙な連帯感を生んでいた。
もっとも、ナイトは旅師登録すらしていないので、試験には出場できない。
彼は観戦席から、俺とベリタリアの姿を見ることになる。
──
「翔真って、武器は何を使うんだ?」
ベリタリアが果実酒のグラスを傾けながら問う。
「俺?拳で」
翔真は軽く拳を突き出した。
冗談のように見えて、そこには確かな熱が宿っていた。
「翔真……、絶の試験を生身で乗り越えた奴は居ないぞ」
ベリタリアが苦笑する。
「えっ、そうなの?!」
「当たり前だ。賢者名簿に載ってる連中は、みんな何らかの武器を持ってる。剣、杖、弓、──何かしら拠り所がある。拳ひとつで挑んだ奴は……まぁ、いないな」
不意に、空気が静まる。
翔真はグラスを置き、ゆっくりと窓の外を見た。
遠くに、試験会場の異様な光が見える。
その光を見つめながら、彼は小さく呟いた。
「伝説、作るわ。ある人と──約束してるんだ」
「ある人?」
「うん。……あの人の期待に、応えたいんだ」
その声には、軽さも笑いもなかった。
本気の響きだけが、夜の静けさを震わせていた。
──試験前前夜。
高層宿の最上階、窓の外にはセントラの夜景が広がっていた。
黒い絨毯のような大地に、星のように無数の灯が瞬く。
遠くの空には、明日の試験会場──自然の光で怪しく輝くあのコロシアムが見える。
そんな中。
「うぉぉぉ、寝れねぇ!!」
ベリタリアの叫びが静寂をぶち壊した。
天井を見上げたまま、シーツをグシャグシャにして転がっている。
「……緊張してるのか?」
翔真が苦笑しながら枕を抱える。
「俺は意外と緊張症なんだ!」
「今更言うか」
部屋にクスリと笑いがこぼれる。
時計の針が午前二時を指す。
下の街ではまだ蒸気車の音が響き、人々の話し声や楽団の旋律が遠くから漂ってくる。
それでも、この部屋の中だけは、時間が止まったようだった。
「なぁ翔真……」
「ん?」
「もしさ、俺たちが明日、生き残ったら──何か奢ってくれ」
「……いいよ。どんな高いもんでもな」
「よっしゃ、約束だ!」
ベリタリアが子供のように拳を突き上げる。
その無邪気さが、不思議と勇気をくれる。
翔真は窓辺に立ち、遠くの光を見つめた。
明日の舞台、その中心で何が待つのか。
胸の奥がざわつく。
だが、不思議と怖くはなかった。
「……寝れねぇのは、俺も同じか」
呟いた言葉は夜に溶け、静かに街の灯へと消えていった。
──翌朝
──カン、カン、カンッ!!
瓦の上を駆け抜ける足音が、朝の街に響く。
「おい翔真!ここ、滑るぞ!!」
「気をつけろベリタリア、下は三階だ!!」
「落ちたら死ぬやつ〜!!」
ナイトは淡々と、壁を蹴って別の屋根に飛び移る。
その姿、まるで黒い影。
「ナイト、忍者かよ……」
「忍者とは、何だ?」
「いや、まぁ……似てるって話だよ!!」
地上は混雑の嵐。
「よし、このまま屋根伝いで行くぞ!」
「へいへい、翔真隊長〜!」
瓦を蹴って、風を裂く。
試験前の朝、街を駆け抜ける三つの影──。
──歓声と驚きが、街中に弾けた。
「おい見ろよ!屋根の上を走ってる!」
「人!?いや、あれ受験者だ!!」
「マジかよ、朝から目立ちすぎだろ……!」
瓦の破片が宙を舞い、光を反射する。
まるで冒険譚の幕開けのように。
「気持ちいいな翔真!!!」
ベリタリアが叫ぶ。風を切る音の中でも、その声だけはやけに通った。
「承認欲求の塊にだけにはなるなよ!」
翔真は笑いながら返す。
「でも、ここは──」
屋根の端で勢いよく跳び、通りを越える。
「──楽しんだもん勝ちだ!!!」
ナイトが静かに続いた。
「同感です。しかし、落ちたら試験前に失格ですよ」
3人の影が、朝日を裂く。
この瞬間、彼らは確かに観客の記憶に刻まれた。
絶の試験または救世主試験──それは実力だけでなく、生き様までもが試される戦場である。
──会場に到着した俺たち。
空間は異様に広く、自然の光が屈折して作り出す巨大なコロシアムが眼下に広がる。
岩が張り出した崖、深く裂けた谷、急流が轟く川、強風が吹き荒れる平原――あらゆる地形が、参加者たちを試すために存在している。
ナイトは観戦席に座り、遠目から俺とベリタリアの姿を追う。
一方、俺たちは参加者会場に送り込まれる。
120名の参加者は、全員が異なる資質と才能を持つエリート中のエリート。
その顔つきだけで緊張感と殺意が漂い、まるで生死の駆け引きを始めているかのようだ。
あまりこんな事はしたくないが、心の中を覗いてみよう。
どれ、すました顔のエリートっぽい青年を選ぶ。
──青年の心の中。
「俺の家柄はボタン王国の貴族……、生まれながらの天才、神童と呼ばれてきた。セントラ学園に入学し、旅師4枠を合格し、セントラ学園を卒業……」
──言葉の羅列が、まるで自慢大会のように脳内で響く。
「……なんだ、こんな数多の苦悩を乗り越えてなさそうで、神経が図太くなさそうで……弱っちそうで……」
理想ばかりが積み重なり、現実の緊張感にはまだ対応できていない。
「──ダメだァ、緊張してキタァァ」
顔は冷静を装い、瞳は鋭く光らせているが、その内面は完全に揺れていた。
努力も天才性も、今の場では意味をなさない。
この理不尽な絶の試験では、すべてが試されるのだ。
──
他の参加者も似たようなものだ。
見た目は冷静でも、内心は理不尽な試験に怯え、己の才能に疑問を抱き、焦燥を隠し切れていない。
俺は目を閉じ、深呼吸する。
……まぁ、こんなもんだ。
120名のエリートも、結局は人間だ。理不尽な環境と死の可能性には勝てない。
「てか、ここの地形と天候、情緒不安定すぎるだろ!?」
俺は叫ぶように呟く。
──アトラーにいつもの様にテレパシーで尋ねる。
「アトラー、説明出来る?」
「おぉ、これは我々が作り出した地形である。懐かしいな失敗作だ」
その言葉の通り、ここは自然の領域ではなく、人の手で徹底的に理不尽化された試験場だった。
急に現れる崖、流れを逆行する川、突風で飛ばされそうな橋――あらゆる状況が、参加者の心と体を試す。
「絶の試験またの名は救世主試験……最悪の試験ってやつか」
ベリタリアが笑みを浮かべる。
「だが、こういうの、燃えるんだよな」
──やがて、50人という審判役の声が会場に響き渡る。
「「絶の試験、開始!!!」」
──いきなりかよ!!?
そう思った瞬間、自然の光がひときわ鋭く輝き、地面の亀裂がうねり、風が会場を切り裂く。
何万人もの人々の歓声が、一斉に会場を揺らした。
空気そのものが振動し、石造りの床から足裏にまで熱が伝わる。
──歓声は自然が作り上げた巨大なコロシアムに響き渡る。
空間全体が、まるで生き物のように呼吸しているかのようだ。
上空には、画質は良いとは言えないが、巨大な魂波動を使って空中モニターを作り、試験の状況を映し出している役職の数百名の人間たちがいた。
翔真は心の中で思わず突っ込む。
──空中で魂波動操作とか、普通の人間にとってちゃ完全に拷問だろ
観客の歓声、五星波動の光の洪水、会場の石壁に反響する叫び声。
すべてが混ざり合い、試験開始の号砲よりも圧倒的な臨場感を生み出していた。
翔真とベリタリアの目の前には、絶の試験の舞台──自然が生み出した異形の戦場が広がる。
崖と断層、急流と深淵、時折吹き抜ける風は手に触れるほどの力を持ち、まるで大地そのものが試験官であるかのようだった。
「……さて、行くか」
翔真の声も、歓声にかき消されることなく、胸の高鳴りを増幅させていった。
いや、それにしても、審判役居すぎだろ!!
参加者たちは一斉に歩み出す。
全員が己の資質、力、そして運を駆使して、生き残りをかけた戦いに挑む。
120名が同時に立ち向かう、この理不尽な戦場。
どんな不条理でも、生き抜く術があることを――。
──これから始まるのは、単なる試験ではない。
神話の如く理不尽で、古代譚のように残酷。
生と死が紙一重の、究極のサバイバルゲームだ。




