ベリタリア
夕暮れの大地を切り裂くように、俺とナイトは疾走していた。
大地を蹴るたび、砂塵が後方に尾を引き、身体が風そのものに変わっていく。
右手には鉄の巨獣――汽車が轟音を立てて並走していた。
窓に張りついた子供たちの顔が一斉に俺たちを見て、信じられないものを見たように口を開ける。
「ママ、ひとが走ってる!」
その声が車内に弾けると、次々と人々が窓に押し寄せ、歓声とも悲鳴ともつかぬ声が漏れた。
蒸気が白い雲となって宙に舞い、工場の煙突群が黒い影を空に刻む。
遠ざかる田園にはまだ馬車の影があり、近づく都市には鉄と炎の光が瞬いていた。
産業革命という時代の奔流が、肌に叩きつけられる。
俺は胸の奥で思った。
――教科書でしか知らなかった大変革を、今は自分の脚で駆け抜けている。
列車の車輪が悲鳴をあげ、鋼鉄の街道を震わせる。
だが、俺たちの足音は、それを超えるリズムを刻んでいた。
世界は変わりつつある――その中心を駆け抜けるのは、俺たちだ。
「よし、ナイト、速度上げるぞ!!」
「かしこまりました」
次の瞬間、草原を覆う大地が爆ぜるように土煙が舞い上がった。
俺とナイトは地を蹴り、弾丸のように駆け抜ける。
遠くで汽車の汽笛が鳴り響く。
黒煙を吐きながら疾走する鉄の怪物。その横を、人間二人が並走している。
「君たち、なかなか速いね〜」
土煙の向こうから並走してくる影。
陽光を背にして現れたのは、逞しい体格をした青年だった。
まるで大地そのものを踏み鳴らすかのような重厚な足音。
「驚かせてごめん。俺はベリタリア!よろしく」
「俺は翔真、よろしく」
「ナイトです。翔真様の護衛です」
会話を交わしながらも、脚は止まらない。疾走する足が地面を削り、石が後方へ弾け飛ぶ。
「ふぅん、もしかして、セントラに行く感じ?」
「当たり!よく分かったね」
ベリタリアは笑みを浮かべ、さらに加速する。
「実は俺もなんだ。絶の試験を受けにね」
「君も絶の試験を受けるのかい!?実は俺もなんだ!」
三人は風を切り裂き、機関車と並んで駆ける。
鉄の車輪と人間の脚が、同じリズムで大地を叩く。
「良いね〜!!今年はかなり荒れるって情報だが、まぁ、受かるだろ」
汗と土と風の匂いが入り混じる中、笑う声だけがやけに澄んで響いた。
尋常でない端波動を纏うその姿は、ただの挑戦者ではなかった。
ベリタリアの周囲の空気が熱を帯び、光の粒子が揺らめく。それは賢者以上の格を漂わせていた。
「ベリタリアは、何処からやって来たの?」
「ファーデン王国だよ」
ファーデン王国──確か、以前フロルが留学していた場所だ。
翔真の脳裏に淡く重なる過去の記憶。
「遥々、北の方から……すごいね」
「やるだろ。翔真とナイトは?」
「アゼル王国から」
ナイトは形式上リタン出身だが、それは伏せておく。
ベリタリアは笑みを浮かべ、まるで世界をすでに旅し尽くしたような気安さで続ける。
「ははは、君も中々だよ。アゼルには2、3回観光に行ったことがあるんだ。中央広場なんて都過ぎて迷っちゃったよ。あと、アゼルの闘技場──あそこ、面白いよね」
翔真の心臓がわずかに高鳴る。
「ずる賢い戦い方をする女の子がいてさ。観客席から見てたんだけど……一目惚れしちゃったんだよ」
──やっぱり、アイシェか。
知らないふりをして、翔真は静かに問う。
「ふぅん、その子の特徴は?」
「南方系の顔立ちで、クールさがあって……獲物を捕えるみたいな鋭い視線。あと、翔真みたいな黒い髪。男でも惚れるね、あれは」
ほぼ確定だ。
アイシェは性別も年齢も関係なく人を惹きつける。しかも、彼女はランドン聖騎士団長の令嬢
──競争率の高さは言うまでもない。
翔真は小さく笑って、軽く肩をすくめる。
「試験が終わったら、アゼルに行こうよ。もしかしたら、その子に会えるかも知れない」
陽光の中、三人は疾走を続ける。
だが、その会話は、次なる試練の幕開けを暗示する、ほんの静かな前触れに過ぎなかった。
「アトラー、今の位置は?」
夜の闇の中、翔真は小声で問いかけた。
「まだシート公国だ。このペースで行けば、セントラの中央には……明日の昼頃には着くだろう」
アトラーの声は、頭の奥で静かに響く。
「そうか。かなり発展しているらしいけど……」
翔真は前を見据える。森の向こう、まだ見ぬ大都市への期待と緊張が胸を満たす。
「アゼルの何倍も発展しているぞ。マステルを除けば、ゲアの地で最も栄えた都市だ。工学も、産業も、文化も──全てが集まる中心だ」
その言葉を聞いた瞬間、翔真の脳裏に浮かんだのは、これまで見てきた世界の光景だった。
蒸気を吹き上げる汽車、赤黒く染まったラクマ村の稲穂、アゼルに集う仲間たち……それら全てを凌駕する新しい「時代の中心」が、明日には目の前に広がるのだ。
翔真は無意識に拳を握る。
──セントラ。その名は、ただの都市ではなく、
「次の試練」の代名詞だった。
──
朝。木漏れ日が森の隙間から射し込み、鳥の声が静けさを破った。
冷えた空気の中で、草に残る露が宝石のように輝いている。
「おはよう翔真」
ベリタリアが伸びをしながら笑う。
「おはよう、ベリタリア。はい、昨日のガム」
翔真は掌から小さな包みを投げた。
「どうも〜。……よし、行くか」
受け取ったベリタリアは、一瞬で眠気を切り替えたように立ち上がる。
「切り替え早いね」翔真は呆れながらも口角を上げる。
「ナイト、いくぞ」
「はい、いきましょう」
ナイトの声は澄み切っていて、木漏れ日の中に溶けるようだった。
三人は、光に照らされた森の出口へと歩き出す。
「昨日よりペース上げようか」
「いいね。よーいドン!」
俺たちは、涼やかな朝の野原に飛び出した。風が頬を撫で、草の香りが鼻腔をくすぐる。
足元の土が軽く舞い上がり、二人の影が長く伸びる。
「行くぞ、ナイト!」
「はい!」
追い風を切るたびに、心が軽くなるような疾走感。
昨日までの疲れも、昨日までの不安も、今はただ風の中に溶けていった。
野原を駆け抜ける二人の影は、まるで自由そのものを描くように伸び、遠くに見える森の縁へと一直線に向かっていく。
疾走の先に、草原で馬を放牧する遊牧民の一団が見えた。
俺は手を振りながら笑顔で声をかける。
「こんにちは〜!」
風に揺れるテントの旗がひらめき、遊牧民たちは目を丸くしてこちらを見た。
驚きの表情と、戸惑いながらも返す小さな手。
その瞬間、世界がほんの少し柔らかく、軽やかに広がったように感じた。




