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死神

 オルガ、イリーナ、アイシェの3人をアゼル王国まで馬車に乗せ終えた頃、王都には潮の香りが漂い、月と五星が静かに光を落としていた。


「さて、ナイト。トラル王と短剣、火薬、毒針の3人組に挨拶して行くか」


「そうですね」


 ここトラルから東へ。


 ベルト王国を超え、シート公国を抜ければセントラだ。


 だが、ベルト王国は戦場そのもの。新聞では、ベルト騎士団が異端者と激突していると報じられていた。



 ⸻



 ベルト王国ネルサ郡ラクマ村。月は厚い雲に覆われ、零れる光が稲穂の先端を銀色に染める。風は稲を揺らし、遠くの森から夜鳥の声が響く。静寂は、異様な緊張に染まっていた。


 村の中心、古びた石造りの教会前。


 ベルト騎士団が異端者討伐のために集結していた──はずだった。


 空が裂ける。黒い渦が生まれ、そこから人型の巨大な影がゆっくりと現れる。


 ――その黒は、闇というよりも、存在そのものが圧倒的な否定で構成されているかのようだ。


 輪郭は霧に溶け、光は跳ね返される。存在するだけで空気が重くなり、時間が凍りつく。

 

 騎士たちの意志は、黒の影に飲み込まれた。




 死神デス ──その名さえ言葉にならぬ威圧を放つ。歩を進めるごとに、地面の草木は黒く染まり、空気は冷たく張り付く。歩く影の先には、光も希望も存在しない。




 村人の目に映るのはただ、黒く巨大な影が大地を蹂躙する姿だけ。


「見ろ……あれは……何だ……!?」


 小さな声が震え、消えかける。誰も叫ぶことはできない。


 目の前の死神が立ち止まり、振り返る。黒い瞳は吸い込むように冷たく、魂の奥底まで透視する。




「命は借り物である……。返す時が来ただけ……」




 その声は風と同化し、村全体を支配する。


 騎士たちは跪き、村人は凍りつき、稲穂は赤黒く波打つ。



 ──翌朝、黄金の稲穂畑は、悪夢の赤黒い海になっていた。



 朝陽の光は雲間から差し込むが、畑に映る光は鈍く、死神の影が染み込んだように鈍色に輝くのみ。


 村は静まり返り、遠くの森の鳥も声を潜める。


 戸は閉ざされ、世界全体がその場の異様を認めることを拒否しているかのようだった。


 死神デスの姿は消えた。


 だがその圧倒的な存在感は、赤黒く染まった稲穂の波として、村に刻まれ、消えることはない。


 ──


 俺とナイトは、森の闇を切り裂くように馬を駆け巡っていた。


 木漏れ日が揺れ、枝葉が風に引き裂かれる音が耳を打つ。


「やっぱり、馬は面白いね。ていうか、ナイト、手馴れてない?」


「ありがとうございます……!」


「その方が騎士っぽくて良いよ!」


 ふと閃いた。


 ──これだ!


 俺は超微生物ネットワークの能力で馬の力を増幅させた。


 蹄が地面を蹴るたび、森が震え、空気が引き裂かれる。


 速度はみるみる上がり、風が耳を切り裂き、枝葉はまるでスローモーションのように後方に流れる。


 馬も俺たちも、ただの生き物ではなく、疾走する戦闘兵器のようだ。


 森の闇が迫るほど、俺たちの影は長く、黒く、まるで夜そのものを駆け抜けるかのように伸びる。


「ははは!やっぱり、速いのは気持ちいい!」


 俺の声は風に乗り、森の奥まで響いた。


 蹄の衝撃で土が飛び、枝葉が散り、森は俺たちの通過を知る──まるで森全体が、俺たちのスピードに息を呑むかのようだ。


「見てください。草原が見えます」


 眼下に広がるのは、風に揺れる黄金の草原。柔らかな日差しが、波打つ草の先端を煌めかせている。


 遠くに小さな村が点在し、まるで絵画のように穏やかだ。


 草原を見つめると、かつての聖域国家マステルの風景が脳裏に蘇る。


 胸にほんのり懐かしさが広がる。


「あれが今、噂のラクマ村じゃない? 行ってみる?」


「はい、行きましょう」


 馬の蹄が草を踏みしめ、風が顔を撫でる。


 その先に、まだ誰も知らぬ、暗く静かな運命が待っていることを、俺たちはまだ知らなかった。


 ──


 ラクマ村に着いた頃、村は異様な静寂に包まれていた。


「……静かだね。昨日で終わったのかな?」


 鳥の声も、遠くの水音も消え、風だけがかすかに草木を揺らす。


 家畜は野に放たれ、戸口は開いたまま。地面にはベルト王国の旗が無造作に転がっていた。


 その光景は、ただの戦闘の跡とは違った。血の匂いは薄く、しかし空気そのものが重く、どこか生気を吸い取られたような感覚を伴う。


 おかしい――本能がそう告げた。


 村全体が、何か恐ろしいものの影に覆われている。見渡す限りの家々は静まり返り、草木さえも怯えるかのように揺れた。


 そして、俺たちの視線の先、稲穂の間から……人影が見えた。



「ん?……え……?」


 俺の目に映ったのは、信じられない光景だった。


 稲穂は赤黒く染まり、風が吹くたびに血の海のように揺れる。そして、百を超えるであろう聖騎士団――その全員が、無惨にも自ら命を絶っていた。


「おかしいだろ……。ナイト、何か分かるか?」


「おそらく、死神デスの仕業でしょう。運が悪かったですね」


死神デス……?」


「そう、死を司る堕天です」


 アトラーが低く冷たい声で告げる。言葉の端々に圧倒的な威圧感が滲み出る。


「……久しぶりだな。お前の声、なんだか懐かしいな」


「まずはこいつらを処理しないと、次が来ます」


 俺は覚悟を決め、稲穂畑に散らばる騎士たちの死体を一体ずつ確認した。


 名前を呼び、腐敗を防ぐために丁寧にコーティングを施す。


 その後、空間創造で作った棺に安置する。


 静寂の中、赤黒く波打つ稲穂畑に、死の静けさだけが残る。


 死神デスの影はどこにも見えない――しかし、この畑の赤黒い色、無惨な光景が、圧倒的な存在感を語っていた。


 ──


 2人は情報提供のため、ここから50kmほど離れたベルト共和国の大都、キラルへと向かった。


 街の入口を抜けると、淡い朝霧の中に小麦の香りが立ち上る。


 風に乗って、遠くの鐘楼から澄んだ鐘の音が響く。


 ――まるで街全体が目覚めの儀式をしているかのように。


 キラルは「パンの街」と呼ばれ、世界でも屈指の小麦生産量を誇る。


 黄金色に輝く穀物は、農民たちの汗と誇りの象徴であり、街の活力の源でもあった。


 しかし、表向きの穏やかさとは裏腹に、街の一角では静かに緊張が漂う。


 騎士団に情報を伝え終えた俺は、そのまま街を後にした。


 ──


 騎士団と避難民を従え、再びラクマ村へと戻る。道すがら、村の様子を思い浮かべるだけで胸が重くなる。


 ――黄金の稲穂畑が赤黒く染まり、聖騎士団の無惨な姿が散らばったあの光景。


 村に着くと、俺は騎士団を前に集め、明確に事情を説明した。


 騎士団の面々は言葉を失い、目の奥に恐怖と困惑が浮かぶ。


 村の静寂を破るように、風が稲穂を揺らす。


 赤黒く染まった穀物は、まるで警告のように揺れ、次なる戦いの影を示していた。


 騎士団の代表が俯きながら一歩前に出た。


 午後の光は弱く、村の空気は冷たく凛としている。石畳を踏む足音がやけに大きく聞こえた。


「……彼らを、家族の元へ送ってやってください。」


 声は低く、しかし震えがない。言葉は簡潔で、どこか救いを求める祈りにも似ていた。


 翔真は無言で頷く。言葉を返す代わりに、彼は棺の蓋にもう一度そっと手を触れた。冷たい木の感触が掌に伝わる。あの日、稲穂の海の上で吹き荒れた「死」の匂いを思い出すと、胸の辺りがきつく締め付けられるようだった。


 棺は一つずつ、慎重に馬へと積まれ、騎士達が廻りを固める。村人たちが小さな列を作り、涙をぬぐいながら近づいてきた。顔を真っ赤にしている者、無言で手を合わせる者。誰もが言葉を選んでいた。


「ありがとう……本当にありがとう、若者よ」


 老女が震える声で言った。手に握られた古びたハンカチからは、まだ暖かさが残っている。


「私はただ情報を提供しただけです。お礼ならそこの棺の中にいる英雄達とその家族に言ってあげてください」


「ご協力、感謝致します、翔真殿」


 ベルト王からの使者でもある隊長が、形式ばらずに頭を下げる。


 その一言に、周囲の空気が少しだけ和らいだ。


 翔真は軽く笑って見せるが、その目は真剣だ。笑いの裏にあるものは、責任と決意だ。


 自分がこの世界に来てからの積み重ね――助け、修復し、時には壊れたものを元に戻す行為の連続が、自分の内側に小さな灯をともしているのを感じた。


 馬車がゆっくりと動き出す。


 棺を乗せた列は村の外れへ向かい、やがて砂埃を上げながら遠ざかっていった。


 村人たちは道端に並び、手を振り、あるいは額を地につけて見送る。


 朝の風が、赤黒く染まった稲穂の香りを遠くへ運ぶ。


 翔真はその背中を見送った後、ナイトと目を合わせる。


「行こうか」


 ナイトは頷き、静かに返す。


 村の広場に残されたのは、再び静かな日常──しかし、その日常は以前と同じではない。


 誰かの不在が、確かに新たな空間を生んでいる。


 翔真は胸の奥で、小さな声を立てた。


 ——守るべきものが、また一つ増えたな。


 その思いは甘くも苦くもあり、しかし確かに力を与えるものだった。

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