めんどくささ
王城の夜が明け、琥珀色の燭光が消えたあとも、回廊にはまだ微かな冷気が残っていた。
三人の暗殺者――短剣、毒針、火薬玉――は、翔真の監視のもと、鎖を外されずに別室に拘束されたまま夜を越した。
「さて……まずは、お前らのネットワークだ」
翔真は淡々と告げ、ナイトが背後で影のように控える。
「動きやすくしてやる。だが、命を守りたければ指示を守れ」
短剣の男が小さく舌打ちをしたが、目の奥には戦士としての誇りとわずかな期待が見える。
毒針の男は唇を噛みしめ、火薬玉の男は目を細めて周囲の安全確認を行う。
「俺たちが動くなら、王の目をかいくぐるための隙間が必要だな……」
短剣の男が言うと、翔真は微笑んだ。
「そこはお前らに任せる。だが全て、ナイトが監視している」
──そして、彼らは初めて「暗殺者としてではなく、スパイとして」王都に潜入する。
三人は影のごとく街に散る。
短剣は貴族の屋敷の裏口に忍び込み、情報を探る。
毒針は労働者街を歩き、内部の不満や動向を記録する。
火薬玉は交易港の倉庫に潜伏し、資材の流れや密貿易を監視する。
翔真は王城の高い窓から王都を見下ろす。
彼の目には、宴で見せた王の笑顔と、これから暴かれる王国の暗部が交錯していた。
「……よし。これで、誰が王の手を食い物にしているか、少しずつ分かる」
ナイトが静かにうなずく。
夜の街に、三つの影が滑り込む。
冷たい月光がその動きを追い、王都の暗部に潜む腐敗を、ゆっくりと炙り出していく――。
ナイトが鎖で縛り上げた反発派の三人は、なおも苦々しい視線をこちらに向けていた。
トラル王国を蝕む内政の亀裂──その生々しい証拠が目の前にある。
俺は深く息を吐き、ゆっくりと膝を折って目線を合わせる。
「……お前らが言いたいことは分かった。王国のやり方に不満があるんだろう」
「当たり前だ!王の富も土地も、全部特権層で山分けだ!俺たちがどれだけ汗を流しても、報われやしねぇ!」
怒声に宿るのは純粋な憤り。だが、無知と絶望が混ざったそれは、燃料さえあれば暴動へと化ける危うさを秘めていた。
──やれやれ。
堕天や異端者よりも、こういう人間社会の方がよほど厄介だ。
だが、俺にとっては懐かしい。聖域国家マステルの王として絶賛、活躍中の頃、毎日のようにこういう声を聞いた。
むしろ、力で殴るよりは得意分野だ。
「なぁ、俺に協力しろ」
「……は?」
「お前らの不満、全部記録して王に届ける。だがその代わり──お前らは俺の目になれ。
本当に腐ってる部分があるなら探し出せ。俺はそれを正す。王を斬るんじゃない。腐敗を炙り出すんだ」
三人は顔を見合わせた。絶望からくる反発に、まだ希望を信じたい心が残っているのか。
その瞳に一瞬、迷いの光が走る。
「……俺たちが、スパイに?」
「そういう言い方もできるな。ただし俺の監視下でだ。裏切れば、次はナイトの鎖が容赦なく締まる」
ナイトが無言で鎖を軋ませると、三人は小さく身を震わせた。
「選べ。闇に沈むか、声を未来へ届けるか」
俺の声に、重苦しい沈黙が落ちる。
──ここからが、俺の舞台だ。
堕天や異端者だけじゃない。この世界には、人間社会のめんどくささもある。
だがそれを解きほぐすのは……俺の得意分野だ。
俺は、民の不満、分配の不公平、街の裏路地での飢餓──
暗殺者たちが涙混じりに吐き出した現場の声を、あえて婉曲に、だが確実に伝えた。
「……繁栄の陰には、必ず影が生まれます。
王都は輝いておりますが、その輝きが強すぎるがゆえに、隅に追いやられた者たちがいるのです。
彼らの声が積もれば、やがて爆ぜる火薬となりましょう」
ざわ……。
広間の空気がわずかに揺れる。貴族たちは互いに顔を見合わせ、落ち着かぬ様子を隠せない。
「む……」
王は豪快な笑みを消し、重々しく顎に手を当てた。
俺は杯を置き、あえて視線を王から逸らさず言葉を続ける。
「民を疑えと言っているのではありません。
ただ……分配の仕組みを少し見直すだけで、民の心は安らぎます。
働いた者には相応の実りを、路地裏に眠る者にも最低限の灯を──。
それを怠れば、王国の敵は外ではなく、中から生まれましょう」
「……ふむ」
王はゆっくりと息を吐き、重々しく頷いた。
広間の貴族たちは、誰もが表情を固くして酒杯を動かさない。
中には苛立ちを隠せずに舌打ちをする者もいた。
「……翔真よ」
王はやがて口を開く。
「お前の言葉、実に耳が痛い。しかし確かに理がある。だが──その声はどこから聞いた?街の民か、それとも……」
試すような視線が俺に突き刺さる。
俺は一瞬だけ杯を指で転がし、軽く微笑んだ。
「さぁ……宴の席で、誰が何を囁いたかなど、覚えてはおりませんよ」
その答えに、王は一拍置いてから豪快に笑った。
「ハハハッ!なるほど!言葉を選ぶものよ!」
その笑い声に、張りつめていた空気が少しずつ解けていく。
音楽が再び広間を満たし、貴族たちも安堵したように杯を傾け始めた。
──だが、俺は知っている。
王の背後にいる誰かが、この分配の不均衡を利用して私腹を肥やしていることを。
それを暴くために、暗殺者たちを生かして目として使うことを。
ナイトが無言で俺に目を向ける。
俺はただ杯を口に運び、琥珀の酒でその思惑を隠した。
──ここからが本当の駆け引きだ。
宴の喧騒が再び広間を満たす中、事は静かに、しかし確実に動き始めていた。
ナイトが控える側室で、短剣、毒針、火薬玉――三人は素早く情報を持ち寄った。彼らは暗殺を企てた“泥臭い現場”を熟知している。今回は命を救われた身分だ。もはや遠慮など無い。仕事は早い。
短剣の男は貴族の屋敷の裏手に潜入し、足早に回覧文書と帳簿の写しを掻き出してきた。痩せた指が震えるのを、誰も責めない。彼の目には血のように赤い静かな光が宿っていた。
毒針の男は労働者街で寝泊まりする下層民に紛れ、耳で聞き、舌で味わい、匂いで確かめて回った。裏路地の酒屋で聞き出したのは、「配給がこっそり減らされている」「夜の役人が袋を抱えて消える」──そんな生々しい証言だ。
火薬玉の男は港の倉庫で密売の手口を掴んだ。書類の隙間に挟まれた荷札、船長の筆跡、運賃の不自然な増減。彼は濡れた手でそれらを引きずり出し、鼻先で嗅ぎ分けた。錆びた鎖をほどくような手際で、証拠を集めていく。
三者三様の動きは、互いに補完し合うように出来ていた。
暗殺者だった彼らの仕事の速さは、今やスパイとしての有能さに直結している。
かつては刃を振るった手が、今は書類をめくる指先になっている。だが、その手つきには昔と変わらぬ、ためらいのない速さがある。
深夜、回廊の薄明かりの下で、三人が持ち寄った証拠がテーブルに並ぶ。
帳簿の切れ端、港の荷札、街の酒場での録音に似た断片的な告白。
どれも単体では弱い。だが重ね合わせれば、一本の線が浮かび上がる。
「さて……これで誰が黒いか、分かるな」
短剣の男が低く呟く。声は擦れているが確信に満ちている。
俺はその書類の端を指でなぞり、目を細めた。細工された分配表、夜に動く運賃の帳尻、不自然に増えた私人の口座──
どれも貴族の一派が関与している証左になっていた。
「トラル王国の上層のうち、財務を差配する三家の一角だ」
俺が言うと、毒針の男が小さく笑った。
「俺たち、あいつらを知ってる。豪奢な仮面の下で、食い物みたいに国を食ってる連中だ。名前を言っていいか?」
短剣が口を開く。名前はひとつ、またひとつと出る。
どれも表向きには慈善や公共事業を掲げる家系だ。
だが帳簿は嘘を付かない。
金は動き、物は流れ、分配は歪められていた。
「奴らは巧妙だ。直接懐に入れるのではない。船会社、徴発の名目、外部の商会に噛ませて流している。港の細工はそのルートの一つだ」
火薬玉が淡々と説明する。言葉は無骨だが、眼差しは正確だ。
「そして厄介なのは──彼らの多くが、王に近い立場にあることだ」
ナイトが冷静に付け加える。
「王直属の管財部の帳簿にも、怪しい押印がある。これを公にするには証拠をもっと固める必要があるが、今晩の段階でも十分、動かせる」
俺は言葉を切らず、三人を見回した。
「ここからどうするかは、あんたら次第だ。俺は王に改善の提案をする。その提案は、公開の場でなくてもよい。だが行動が伴わねぇなら、ただの綺麗事で終わる」
短剣が唇を噛む。毒針が目を伏せる。火薬玉は拳を握りしめた。
「俺たちは……復讐がしたかった」
短剣の声は震えていた。怒りと悲しみが混じっている。
「だが、お前らのやり方は国を壊すだけだ。お前らの怒りは正当だが、手法が違う」
俺は静かに言った。王を殺すより、王国の糸を一本ずつ切る方が、ずっと手間はかかるが確実だ。
三人は頷いた。彼らが求めていたのは破壊だけではない。
名誉と、認められること、そして――何より、自分たちの家族を守る実利だった。
「まずは王に小さな試験をさせよう」
俺は案を話し始めた。王の信任のもとで混乱を避けつつ、腐敗を摘出する段取りだ。
暗殺者としての技能はそのままに、今度は情報を引き出すための策に変える。局所的な摘発と同時に、港や倉の監査を取り付ける。
「お前らの仕事は現場だ。潜入して更なる証拠を固め、誰が何を受け取っているか、直に確認してこい。俺は王と静かに話をつける。王が動けば、上層の者どもも動かざるを得ない」
短剣が一瞬、目を輝かせた。その目にはかつての戦士の火が戻っている。
「いいだろう。だが条件は――」
毒針が言った。彼の条件は、家族の安全と、完遂後の名誉だった。
小さな誓いがそこに交わされる。
俺はそれを受け入れた。
使うときは使い、救うときは救う。それが今の自分のやり方だ。
夜が深まる。回廊の外では、まだ宴の音が遠くに響く。
王国の昼と夜は表裏一体で回る。
俺は胸の内で一つだけ確かに思った──
「人間のめんどくさいところこそが、この世界を動かす真実だ」
その《《めんどくささ》》を、俺は今、味方につけようとしている。
三人は床から立ち上がり、各々の影をまとって夜の王都へと散った。
仕事は始まったばかりだ。どこまで暴けるか、どこで折れてしまうかは誰にも分からない。
だが確かなのは、彼らが速く、そして容赦なく動くということだった。




