表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/49

トラル王

 謁見の間に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。


 高い天井に反響する靴音がやけに重く響き、まるで俺の鼓動まで晒されているかのようだった。


 玉座はひときわ高い段に据えられ、そこに腰掛ける男は一目で「王」とわかる存在感を放っていた。


 豊かな銀髭をたくわえ、深海のように澄んだ蒼の衣をまとい、背筋を真っ直ぐに伸ばす。


 その眼光は雷鳴を孕んだ海原を思わせ、地球の神話で読んだ海神ポセイドンを彷彿とさせる。


 手にした金の杖は波を象る彫刻が施され、まるで海そのものを統べているようだった。


 俺は反射的に背筋を正す。

 圧倒される──それが正直な感想だ。


「……遠きアゼルの地より来た異邦の旅師よ」

 王の声は低く響き、謁見の間全体を震わせた。


 ただの言葉のはずなのに、まるで潮が満ち引きするように胸の奥を揺さぶられる。


 ナイトが一歩前に出て俺を守るように立つが、俺

 は静かに首を横に振った。


 これは俺自身が受けるべき呼びかけだ。


 大理石の床に片膝をつき、声を絞り出す。


「……お招きに預かり、光栄に存じます」


 謁見が、始まった。


「……おかしい」


 謁見の間へ向かう途中、ふと胸にひっかかるものがあった。


 ──俺、まだアゼル王にすら会っていないんだよな……?


 国に仕えているわけでもなく、正式な臣下でもない俺が、こうしていきなり隣国の王の招待を受けている。


 普通なら順番が逆だろう。


 先にアゼルの王に呼ばれ、功績を報告し、そこから外交の橋渡しで他国に招かれる──そういう流れのはずだ。


 なのに、今こうして足を運んでいるのはトラル王国の王城。


 どこか胸の奥で、現実感が剥がれ落ちていくような感覚がした。


(……それだけ、リタンの件が大きかったってことか)


 俺は無理やり自分を納得させる。


(……しかも俺は、公表していないだけで聖域国家マステルの王だ)


 そう、アゼルの王にすら会っていないどころか、本来なら俺自身が“迎える側”の立場。


 今は王座を離れ、好き勝手に旅をし、遊び呆けているだけにすぎない。


 だが──だからこそ、こうして「一介の旅師」として他国の王に呼ばれるのは、どこか妙にこそばゆい。


(俺の正体を知ったら、このトラル王も一体どんな顔をするだろうな……)


 内心でそんな苦笑を浮かべながら、俺は謁見の間の扉が開かれるのを待った。


 俺は自然と、頭を下げていた。


 ……違う。これはただの礼儀ではない。

 目の前に座す男の放つ重圧が、そうさせたのだ。


 威圧でも恐怖でもない。


 存在そのものが「王」として完成された、揺るぎない威厳。


 思わず心の奥で苦笑する。


 聖域国家マステルの王である俺が――だ。


 王が王に頭を垂れるなど、どんな絵面だよ、と。


 だが同時に理解してしまった。


 俺はまだまだ経験不足で、王の指先にも触れていない。


 王座を離れ遊び歩いているうちに、王であることの重みをどこか忘れていたのかもしれない。


 本物の王は、ここにいる。


「翔真と申したな?この度はリタンを救ってくださり、誠に感謝する」


 トラル王は堂々とした声でそう告げると、次の瞬間――その大きな身体をゆっくりと折り、深々と頭を下げた。


「……え」


 俺は一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

 王が、頭を下げている。


 本来なら、頭を垂れるのは俺の方だろう。


 それなのに、世界の大国を背負う王が俺に感謝の礼を示すなんて。


「いえいえ、そんなとんでもない!こちらこそ、すいません!」


 思わず口から出たのは、場違いなまでに軽い日本語の謝罪だった。


 ……よりによって、謝る必要もない場面で「すいません」。


 日本人の悪い癖が、こんな異世界の王宮で炸裂するとは。


 王の豪快な笑い声が王座の間に響き渡った。


「ダハハハ!!こりゃ見事だ。その護衛、名は?」


 ナイトはきちんと背筋を伸ばし、礼儀作法を伴った口調で答える。


「はっ。ナイトでございます」


 磨き上げられた甲冑の輝き、剣を扱う所作、そのすべてが単なる鉄の塊ではなく、一つの生命体としての威厳を放っていた。


 トラル王の目は興味深そうにナイトを見据える。


「ナイト。面白い。ご主人とどちらが強い?」


「ご主人様であらせられます」


 その声には迷いも嘘もなく、鋼鉄の信頼が宿っていた。しかし王の目は鋭く、さらに問いかける。


「なんと、じゃあ、今弾き飛ばしたのは」


「ご主人様が一瞬のうちに目で合図したので飛び出しました。私が名声を買ってくれたのでしょう」


 ナイトの言葉は、完全なる嘘である。実際には、俺は何も指示していないし、名声を買ったわけでもない。


 ──しかし、嘘をつくその余裕と、俺の株を意図的に上げる戦略性に、思わず唸るしかなかった。


 ナイトはただの護衛ではない。学習し、考え、判断し、俺を守りながら自己表現すらできる存在に変わりつつある。


 冷徹な機械だった鉄の塊が、確実に生命を帯びつつあることを、王もきっと理解したのだろう。


 俺は少し顔が熱くなるのを感じながら、ナイトの成長を誇らしく思った。


 そして、心のどこかで――


(このやつ、完全に俺より賢くなるんじゃねぇか……)


 そんな不安さえ浮かんでしまうほどだった。


 王は肩を揺らして再び豪快に笑う。


「なるほど……面白い!楽しみになってきたぞ、翔真よ」


 その笑い声の奥には、試す者としての好奇心と、戦士としての敬意が入り混じっていた。


「褒美を遣わす。トラル王国の永住権、王国の土地三割、王城の財宝三割をあげよう」


 王の言葉は、玉座の間に集う者すべての耳を疑わせた。


 ざわつきが一瞬にして広がり、家臣たちが互いに顔を見合わせる。王国の三割の土地と財宝――それは王の権威すら揺るがすほどの大盤振る舞いだ。


 俺はその異様な空気に押されそうになりながら、思わず口を開いた。


「……、いや、要りません」


 その場に冷風が吹いたかのように、ざわめきが止む。


 家臣のひとりが「な、何を言っている……!」と声を上げ、別の者は「無礼だ!」と顔を真っ赤にした。


 しかし、俺は視線をそらさずに続ける。


「俺は旅の途中の身です。土地も財宝も、この場で受け取ったところで持て余すだけ……。それに、永住権をもらうというのは、この国に縛られることを意味する。俺にじゃなくて、公共事業に寄付してやってください」


 一瞬、空気が張り詰めた。だがその沈黙を破ったのは、トラル王の豪快な笑い声だった。


「ダハハハハ!!よい、よい!その心意気こそが欲しかったのだ!」


 玉座に響く笑声に、家臣たちは再び息を呑む。

 王はトライデントを軽く掲げ、まるで戦友に対するかのように俺を指した。


「富を望まず、名誉に溺れず、己の道を行く。貴様、ますます気に入ったぞ!翔真よ、そなたはただの来訪者ではない。我が王国における客人として、いつでも迎えよう!今日は1杯やるかー!」


 王の目には、疑念も侮りもなく、純粋な敬意だけが宿っていた。


 ――俺はその視線に背筋を伸ばしながら、心の中で小さく呟いた。


(やっぱりこの王様、ちょっとネジぶっ飛んでるけど……悪い人じゃないな)


 要らない、と言ったはずなのに、逆に得体の知れない「信頼」と「縁」を得てしまった気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ