王の招待状
絶の試験への応募を済ませた翔真が、旅師ギルドを後にしようとしたその時だった。
扉を押し開けた瞬間、衛兵の一団が整然と立ちふさがる。槍の穂先は向けられていないものの、緊張感が空気を張り詰めさせる。
「翔真殿であられるな」
一人、胸甲に王紋を刻んだ騎士が前に進み出る。
その手には厚く重い羊皮紙の封書。赤い蝋で封をされ、その上から黄金の印章が力強く押されていた。
「これは……?」
思わず受け取った翔真の指先に、ずっしりとした重みが伝わる。
「トラル王国国王陛下よりの正式な招待状である」
騎士は低く、だが揺るぎない声で告げる。
「王様に……呼ばれた?」
アステリアが翔真の肩越しに覗き込み、その封蝋を目にした瞬間、息を呑んだ。
そこには確かに、トラル王家に代々伝わる双頭の獅子の紋章――王権を象徴する印が刻まれていた。
血筋と権威を保証するその紋を前にして、軽々しく触れることすら畏れ多い。
「まさか、翔真君が国王陛下から直々に?」
アステリアの声は震えていた。
翔真は無意識に喉を鳴らし、視線を落とす。
封書の端には、鮮やかな青の絹糸が巻かれており、それは海に面した大国トラルを象徴するトラルブルーの色彩だった。
ただの一通の招待状でありながら、まるで王国そのものが凝縮されたような迫力が漂っていた。
──
二日かけて、俺とナイトはトラル王国の王都へと向かった。
街道を進むにつれて、風が変わっていく。乾いた大地の匂いが次第に薄れる。
遠くに広がる海原はトラルブルーと呼ばれる。陽光を反射して煌めく青は、ただの海ではない。
まるで王国そのものが誇る宝玉のように、見る者を圧倒し、吸い込むような深さをたたえていた。
王都に近づくと、海に浮かぶ大小の島々が視界に現れる。
橋で結ばれた島々には白壁とオレンジ屋根の家々が並び、港には無数の帆船が寄せ集まる。
その光景は確かにアゼル王都の景観に似ていた。だが、石畳を撫でる潮の香りと、絶え間なく聞こえる波音が、どこか柔らかく、人々の暮らしを豊かにしているように思えた。
「……綺麗だな」
気づけば、胸の奥が少し熱くなる。
リタンの復興の件だろう。
それが理由で俺は、国王から招かれた。
だが――その真意までは、まだ分からない。
不安が胸をざわつかせる一方で、未知の扉を叩くような期待が心臓を高鳴らせていた。
まるで、この潮風そのものが次の物語の始まりを告げているかのように。
二日間の旅路を経て、ついに城門が視界に入った。
巨大な石造りの門は、海風にさらされて白みを帯び、日の光を受けて淡く輝いている。
門の両脇には背の高い守衛が並び、銀色の甲冑が太陽に反射して鈍く光った。
「……あれが王城か」
俺は思わず息を呑む。
門の向こうには広大な中庭が広がり、手入れの行き届いた庭園が眼下に連なる。噴水の水面が朝日の光を反射し、まるで小さな星々が地上に散らばっているかのようだ。
ナイトも俺の隣で姿勢を正す。
「ここまでの規模……防衛も完璧ですな」
その声は無機質で冷静だが、俺の鼓動は少し早まった。
潮風に混ざって、遠くから海鳥の鳴き声が聞こえる。王都の喧騒も、城門の前では遠く、静けさに包まれていた。
俺は深呼吸を一つ。胸に湧く不安と期待を押さえ、ゆっくりと城門へと歩を進めた。
王が待つその先には、どんな顔、どんな言葉が待っているのか――。
王城の一室。
磨き上げられた大理石の床に、陽光を受けて透き通るように輝く窓。
豪奢なカーテンが波のように揺れ、部屋の中央に据えられた大きな鏡の前で、俺は召使いたちに囲まれていた。
「少し動かないでくださいませ、袖がズレます」
「首元をもっと詰めて……はい、完璧です」
文字通り「無理やり」青黒いスーツに着替えさせられ、言われるがままに腕を広げ、首を締め付けるようなネクタイを結ばれる。
……屈辱、とまでは言わない。だが、むず痒い。
身体のラインにぴったりと沿った生地。
普段はラフな格好しかしない俺にとって、この格式ばった衣装は、まるで異世界の拷問に近い。
アルデビドさんの屋敷の中でもラフだったぞ?
「……動きづらい」
「王城においては、威厳こそが剣よりも強力なのです」
粉雪くらい白い肌のエルフの召使いの言葉に返す気力もなく、鏡に映る自分を見つめる。
そこには、見慣れぬ「貴族風の青年」が立っていた。
背筋を伸ばし、髪を整えられ、仕立てのいい布に身を包んだ自分。
だが、胸の奥にあるのは緊張と居心地の悪さだけだ。
「……誰だよ、これ」
思わず口をついて出た呟きに、背後の召使いたちが小さく笑う。
俺は舌打ちで誤魔化し、もう一度深呼吸した。
──王と対面する前に、自分の心が折れそうだ。
王城の一室で青黒いスーツに身を包まされた俺は、鏡に映る己の姿を眺めながら、妙な居心地の悪さを抱えていた。
首元を締め付けるネクタイ、身体に沿う生地、整えられすぎた髪。
それらすべてが、俺という存在を「誰か別人」に仕立て上げているように思えて仕方がなかった。
「ご主人様、似合っています」
背後から響く、金属質ながらも柔らかさを帯びた声。
振り返ると、ナイトがいた。
最初に出会った頃とはまるで別人のように、彼の声には抑揚が宿り、表情のないはずの兜の奥からは、確かに生命の息吹と意志を感じる。
──いつの間に、こんなふうになったのだろう。
思い返すのは馬車での道中だ。
退屈を持て余し、俺は何度もナイトに話しかけた。
「お前は何を考えてる?」
「好きな食べ物は?」
「暇なときは何をする?」
最初は的外れな応答ばかりだった。質問に対して、事務的な答えが返ってくるだけ。
けれど繰り返すうちに、彼の返事にはわずかなズレが生まれ、それが会話の余白を作った。
そこから先は早かった。
笑い声のような抑揚が混じり、独り言に近い思考を吐き出すようになり、今ではこうして自然に俺を褒める。
「似合っている」と。
思わず頬を掻きたくなる。だがそれ以上に、胸の奥に棘のように引っかかる違和感があった。
──あれ?本当は元のコイツがリタンを滅ぼしたんだよな……?
頭の中で、その事実が繰り返し響く。
忘れちゃいけない。
目の前で穏やかに立っているこの鉄の巨人は、かつてリタンという都市を破壊し尽くした張本人だ。
──だが、どうしてだろう?
今のナイトからは、その記憶が信じられないほど違和感がない。
むしろ「滅ぼした」という言葉と彼の存在が結びつかない。
理由ははっきりしている。死者が、いなかったからだ。
瓦礫と化した街並み。砕け散った塔、裂けた大地、黒煙を上げる広場。
俺もその惨状をこの目で見た。リタンという都市は確かに消えた。
──その瓦礫の中に、血の匂いはひとつもなかった。
奇跡のように、生きていたのだ。
老いも若きも、兵士も商人も、ひとり残らず。
難民として西に西へと逃げていたのだ。
もちろん怪我人はいた。腕を失った者、立てなくなった者もいた。
けれど命そのものが奪われた例は、一件もなかった。
……そんなことが、あり得るのか?
街を滅ぼすほどの破壊行為をしながら、同時に命を守る?
そんな器用な真似ができるなら、そもそも最初から都市を壊す必要などなかったはずだ。
俺の思考は、堂々巡りを繰り返す。
ナイトは本当に「滅ぼした」のか?
それとも「救った」のか?
あるいはそのどちらでもあるのか?
「ご主人様?」
ナイトが小首をかしげる仕草をする。鉄の装甲で覆われているはずなのに、その仕草は妙に人間臭い。
「いや……なんでもない」
言葉を濁すしかなかった。
だが心の底では、答えを求める声がうるさく響いていた。
──ナイト。お前は何者なんだ?
破壊の化身か、守護の奇跡か?
それとも、俺たちの知らない第三の存在か?
鏡に映る自分の背後、ナイトが静かに立っている。
その姿は不気味なほど馴染んでいて、俺はどうしても目を逸らせなかった。
「ご主人様、謁見のお時間です。行きましょう」
ナイトの低い声が、部屋の静寂を破る。
「……ああ、わかった」
胸の奥で渦巻く疑問と違和感を無理やり押し込め、立ち上がる。
スーツの生地がわずかに擦れる音が、やけに大きく響いた。
ドアの向こうでは、王城の長い回廊が待っている。
青と金のタペストリー、磨かれた床、淡く差し込む陽光──その全てが、これから起こることの重大さを無言で告げていた。
ナイトは俺より半歩前に出て、鉄の腕でそっとドアを押し開ける。
その仕草は、かつて街を滅ぼした存在とは思えないほど丁寧で、どこか優しささえ感じられた。
「……行くか」
小さく呟き、俺は一歩、回廊へ踏み出した。




