崩落の騎士②
──夜の山道。
アステリアは馬を置き、静かなリタンに続く参道を一人で進む。
心の奥には、緊張と不安が混ざり合い、重くのしかかる。
上空には雲がウロコのように連なり、月明かりに鈍く光る。
遠く、山の向こうから微かに太鼓のような音が響いてくる。
鼓動のような衝撃音。
地面が微かに震え、風も異様にざわめいている。動物の声も虫の声も聞こえない。
「何が起こっているの……?」
アステリアは声に出さず、自らに問いかける。
そして、地面がえぐれている。
「なにこれ……?」
さっき来た時には、こんな大きな穴はなかったはずだ。
馬をも飲み込みそうな穴を松明で照らすと、それは大きなワームの口だった。
呼吸をしている。動いている。
驚きで声も出ず、地面に尻もちをつく。
「え??なんなの……??今のは……??」
震える声で穴をもう一度見ると、そこには何もいなかった。
「気のせいよね……」
まさか、古代種のワームが潜んでいるなんて。
私、疲れているのかしら……?
だが、背後で地面が不自然に膨らむ。
土を割るような音がして、馬が激しく暴れた。
振り返ると──土の中から、馬を喰らわんとえぐるように現れる巨大なワーム。
その牙と蠢く体が、月光に黒く光る。
──逃げる時間は、ほとんど残されていない。
幻覚じゃない。
目の前の光景は、確かに現実だ。
土が盛り上がり、蠢く影が明確に形を持つ。
鼻腔に届く土の匂いと、微かな湿った腐臭。これが幻覚なわけがない。
しかし、何故──古代種のワームがこんな場所に潜んでいるのか!?
山道は人も馬も通る安全な道のはずだ。ここに、封印されていたはずの存在が現れる理由などあるのか?
世界は、知らぬ間に狂い始めている。
アステリアは心の中で問いかける。
(今、世界で何が起こっているの……?)
答えは風も光も教えてはくれない。
ただ、蠢くワームの体が、山道を押し潰すように暴れている。
──逃げるしかない。
だが心の奥底で、戦う覚悟も芽生えていた。
──夜の山道、冷たい風がアステリアの髪を乱す。
視界の端で、土の盛り上がりがさらに大きくうねる。
光と影が絡まり合い、巨大なワームの口がゆっくりと開いた。
そして、驚愕の声が耳に届く。
「そこの人間、安心しろ。我らは人間の敵では無い」
──喋った!!?
アステリアは思わず後ずさる。
古代種が言語を操る?
いや、そもそもなんで通じているのか?この世界で人間の言葉を理解しているのか?
その瞬間、頭の中が疑問で埋め尽くされる。
「えっと……質問したいことが山ほどあるんだけど……」
口をついて出た言葉に、ほんの少し震えが混ざる。
心臓が早鐘のように打つ。
目の前の存在は、ただ巨大で恐ろしいだけではなく、知性と意思を持っている。
「当たり前だろう。お主らに言葉を教えたのは元を辿れば我々だ」
その声には威圧もなく、ただ静かな説得力があった。
その瞬間、アステリアの脳裏に歴史の概念がひっくり返される。
教科書、伝承、古文書──全てが塗り替えられるような衝撃。
(今までやって来た歴史の授業は何だったの……)
「私はアステリア・ローグ。君、名前は?」
呼吸を整え、慎重に問いかける。
胸の奥では恐怖と好奇心がせめぎ合う。
「名はロープ」
──短く、しかし重みのある名。
響きに力強さが宿り、揺るぎない存在感を放つ。
「ロープさん、お願いがあるんだ。友達の安否を確認して欲しい!!命は幾らでもやる!!」
声が震える。言葉に焦りが滲む。
全身の血が熱を帯び、手が思わず拳を握る。
「お主の命は要らんが、友達だと?」
声には疑念もなく、淡々とした力強さがある。
体の芯に直接響くような、圧倒的な存在感。
「翔真っていうんだ!!」
言葉を叫ぶ。叫ばずにはいられなかった。
暗闇の山道に、感情が反響する。
「なんだ、翔真様か。あの人は平気だ。何故なら《《我々》》、古代種を地上に解放してくれた恩師だからな」
──言葉を聞いた瞬間、アステリアの胸は大きく揺れた。
(恩師だって……??)
恐怖、安堵、驚愕、そして何より、歴史の流れそのものを目の当たりにしているという畏怖。
全身の血が熱を帯び、風の冷たさも、暗闇の不気味さも、すべてが霞む。
目の前の巨大なワーム──ロープは、ただの獣ではない。
──
大気圏。
青と黒が渦巻く空の只中、翔真と崩落の騎士の死闘は、未だ終わる気配を見せない。
「楽しいな!騎士さん!」
翔真の声は、絶叫でも歓喜でもない。純粋な遊戯心が、その口から溢れ出していた。
肉体も感覚も限界を超え、血と衝撃と風圧が身体を打つ。
それでも彼の目は輝き、笑みは戦慄すら含む。
崩落の騎士は無言。だがその動きは、まるで会話を交わすかのように翔真の行動に反応する。
剣を振るたびに空気を裂き、瓦礫と衝撃波が周囲の大気を震わせる。
「──次はどう出る、騎士さん?」
翔真は空中で軸を変え、崩落の騎士の足元を縫うように動く。
一振りの剣が地面を叩き、空間を裂き、轟音が雲を突き抜ける。
衝撃の反響で空気が波打ち、雲が裂けて光が飛び散る。
まるで世界そのものが彼らを軸に回転しているかのような錯覚。
──これはもはや遊戯ではなく、空中に描かれた災厄の舞踏。
翔真の血の軌跡と、瓦礫に包まれた崩落の騎士の剣筋が、空のキャンバスに無数の線を刻んでいく。
「アトラー、こいつは俺のものにする」
冷たい空気を切り裂くように宣言する翔真。
「遊びは終わったのか?」
アトラーの声には、静かだが鋭い警告が含まれていた。
「別に、今日じゃなくてもいいし」
翔真は笑みを浮かべつつ、崩落の騎士を空中で止める。
瓦礫に覆われた巨体が、重力を無視するかのように静止する。
「すまない。魔改造するわ」
その言葉と共に、翔真の手が光を帯び、崩落の騎士の構造に干渉する。
砕け散る鎧、空洞の内部、衝撃波の流れ──すべてを自分の思うままに再構築する。
動きが徐々に滑らかになり、剣の振り方や衝撃波の出力まで、翔真の意図に従い始めた。
まるで巨大な生ける兵器が、新たな意志を宿したかのようだ。
オルガが見たら絶対好きそうだな、こんな“魔改造。
だが翔真の顔には遊び心と計算が混ざり合い、戦場は再び静かに、しかし凄まじい期待感に満ちていった。
──
「完了!!これでお前は俺の……いや、遊び相手で護衛係だ!!名前は……ナイトかな」
翔真の声に、空中の崩落の騎士が微かに反応する。
瓦礫の隙間から漏れる光が、まるで新たな意志を宿したかのように瞬いた。
「お主はよくそんなこと思いつく」
アトラーは静かに呟く。冷静だが、内心は少し感心している様子だ。
「まぁまぁ、後でオルガにもっと強化してもらうから」
翔真は笑みを浮かべ、崩落の騎士の肩に手を置く。
巨体の鎧が微かに振動し、遊び相手としての忠誠を示すかのように立ち上がる。
アイシェの修行相手に……、まだ早いか。
(アイツら元気かな……?)
──
──
翔真と、元塔の手下──崩落の騎士、現ナイトは地上に降り立った。
翔真はふと、アステリアの元へ戻ろうと考える。
「アステリアさん、絶対に顔真っ赤にして怒ってるだろうな……」
「いや、お主のこと、むしろ顔真っ青にして心配していたぞ」
アトラーは冷静に、しかしどこか楽しげに口をつぶやく。
「それも嫌だな」
翔真は少し苦笑する。
「今のナイトのように魔改造できるが、どうする?」
「お前は本当に人間に対して悪魔だな……。精神を操るようなことはなるべくしたくない」
「我々にとっては、人間も悪魔もロボットも変わらんがな」
アトラーと軽口を交わしながら歩く。
だが、その会話の合間に疑問が浮かぶ。
──なぜ、異端者らがリタンの街にいなかったのか。
翔真は視線を隣のナイトに向ける。
重要依頼書では、異端者と堕天がリタンを占拠していると記されていたが、実際に残っていたのはナイトだけだった。
「……なるほど」
翔真の頭の中で、事態の輪郭が見え始める。
異端者らは兵器としてナイトを持ち込んだものの、何らかの不具合で暴走。結果としてリタンをもろとも破壊してしまったのだ。
「意外と物事って単純なのかもな」
ナイトの冷たい鎧を見つめ、翔真は静かにそう呟いた。
世界の混沌を前に、だが今は確かに、物語の一片が形を取り始めていた。
「おーい!!翔真様ー!!」
声の主は、森の向こうから駆けてきた古代種ワームのロープだった。
「ロープとアステリアさん!!」
アステリアは駆け寄り、肩で息をしながらも、顔には安堵と苛立ちが入り混じっている。
「もう、本当に心配したんだからね」
「すいません……」
翔真は頭をかき、軽く謝る。
「君には色々、聞きたいことがあります」
アステリアの瞳は真剣だ。
その目には、戦場での激闘を見届けた者だけが持
つ鋭さが宿っていた。
──空にはまだ、瓦礫と崩壊の痕が残る。
だが今、三人の仲間は再びひとつの呼吸を取り戻していた。
──
こうして、翔真の摩訶不思議な力によって、
土と瓦礫に覆われていたリタンは、一晩のうちに元の姿を取り戻した。
砕けた石畳はぴたりと元通りに整い、倒れた建物もまるで何事もなかったかのように再生する。
人々の家々には灯りが戻り、街角には再び生活の匂いと笑い声が漂い始める。
「これで……大丈夫だな。とりあえず、旅師ギルドには異端者と堕天を倒しました、って報告しますね。
あと、この復興に関しては出来れば、内緒でお願いしますね、アステリアさん」
翔真は地面を見下ろし、微かに息を吐いた。
「う、うん……」
アステリアはその光景を見つめながら、唇をかすかに震わせた。
目の前で展開される非現実的な光景に、言葉を失い、ただ静かに呼吸を整えるしかなかった。
──非常識だわ




