維持石と古代種
カタカタと馬車が森の小道を進む。
月光は木々の隙間を揺らめき、地面に長い影を落とす。
夜の静けさの中で、風が葉を撫で、木々の間をさざめく音が響いた。
「お客さん、何処まで、行きますか?」
御者の声にはわずかな震えが混ざる。森の暗がりに潜む何かを察しているのだろう。
「神聖トラル帝国のリタンまで」
翔真は重要依頼書を握りしめ、静かに答える。声には迷いはない。
「え?いやいや、冗談はよしてくださいよ〜、あそこは今、危険地帯ですよ〜」
御者の瞳には不安が浮かぶ。手綱を握る手が少し強張る。
「俺は旅師です。問題ありません」
翔真は落ち着いた声で言い、依頼書をひらりと示した。
その仕草に、御者は少しだけ息を呑む。
「……冗談じゃないのか。見せられても信じられん」
翔真は窓の外を指差した。
「そういえば、この地には古くから言い伝えがあります。夜の森には、生ある者を喰らう影が潜む、とね」
翔真は窓の外、月明かりに照らされた森を見やりながら、淡々と語る。
御者の目が大きく見開かれる。
「は、はは……そんな化け物いる訳、ないだろ?」
「いや、居るんですよ、目を凝らせばすぐに分かります」
翔真が指差すと、森の闇の中で影が蠢き、地面が微かに揺れた。
「下を見てください。居ますよ」
馬車の脇で、土を割るように巨大な影が蠢いた。
黒光りする体が、森の静寂を切り裂く。
御者は声を上げ、手綱を握り直す。
「なんだ、コイツは?!」
しかし、翔真の瞳は動じない。
影をただ見据え、瞬時にその挙動を読み解く。
恐怖ではなく、冷静な観察。
──障害はあるが、超えられぬものではない。
「疑うのなら、確かめればいい。俺が危険を作るか、そうでないかを」
土の中から地響きを立て、巨大なワームが顔を出す。
その体は蠢き、牙のような口を見せて唸る。
「お願いだ、死にたくない……助けてくれ!」
御者の声が夜に反響する。
翔真は小さく息をつき、手を差し伸べる。
力で押さえつけるのではなく、落ち着いた声と動きで、ワームの緊張を解きほぐす。
──恐怖を鎮め、影の存在と歩調を合わせる。
ワームは一瞬うなり、体を揺らす。だが翔真の視線は揺るがない。
静かな沈黙の後、影は柔らかく動きを止め、顔を向ける。
理解を求めるようなその瞳に、敵意はなく、ただ状況を把握しているだけだった。
──これで道は開かれた。無駄な衝突も血も必要ない。
翔真は深く息を吸う。
ただ強いだけではなく、状況を読み、相手を知り、調和する力。
それこそが、旅師としてこの世界で示すべき価値だと、今はっきりと理解する。
「よし、行こうか。リタンまでの道は長い」
ワームは沈黙のまま、馬車の進路に沿う。
御者は目を見開き、ただ唖然とする。
そして翔真は、静かに新たな旅の始まりを胸に刻む。
森の静寂と、影の蠢きと、そして自分自身の足取りを確かめながら。
──
月光が揺れる小道を抜けるその先には、まだ見ぬ景色が待っている。
ワームが静かに身を沈めた後、翔真はふと夜空を仰ぐ。
ワームのような古代種が突然現れたのはなぜだろうか。
頭の中に、かつてアトラーが言っていた言葉が浮かぶ。
その中でも、維持石が本来の場所に戻ったことで、地下に封印されていた古代種たちが地中や海中を埋め尽くすという話だった。
そして、維持石を全て元の場所に戻し、本来のゲアの大地の姿を取り戻せば、創世記の出来事さえも霞む、人類にとって理不尽なカタストロフが始まる──そう言っていた。
恐ろしいな、と翔真は思う。
──本来なら、そうかもしれない。
しかし、翔真は小さく笑った。
今この世界には、自分と、絆という名の三人の仲間がいる。絆のメンバーには、このゲアの大地を守る責任がある。
思考の端で、少しだけ肩の力が抜ける。
──なんかファンタジーしてるわ
馬車はカタカタと石畳を踏み、森の奥ではまだ見ぬ影たちが蠢いている。
だが翔真の胸には、確かな仲間の存在と、未来への微かな希望があった。
──
あれから三日後、朝日がゆっくりとトラル王国のサルマの大都を照らし出す。
淡い光は石畳に反射し、通りを歩く人々の影を長く引き伸ばした。朝の空気はまだ冷たく、遠くから運ばれてくるパンや香辛料の匂いが街のざわめきと混ざり合っている。
馬車を降りると、通りには人々の笑い声や呼び声、荷車の車輪音が入り乱れ、都市の鼓動を刻んでいた。
「ありがとう、おっちゃん。ここまででいいよ」
俺は小さく頭を下げ、手渡された報酬をそっと握りしめる。
「リタンまで乗せていくぞ、なんたって貴方様は恩人だ」
御者は少し誇らしげにそう言ったが、俺は肩をすくめて笑う。
「いいよ。いいよ。冗談で言ってみただけさ」
街に足を踏み入れると、当然、難民もこの都市に集まっていた。戦火や異変の影を避ける人々、生活のために集う者たち。
その背後に、遠くから聞こえてくる水車の音や市場の喧騒が混ざり、街全体が一つの呼吸のように動いている。
──この広がり。生の匂いと希望と不安が入り混じった場所。
俺は深く息を吸い込み、重要依頼書を握る手に力を込めた。
今日からここで、また新たな旅の一歩を踏み出すのだ。
大通りを見渡すと──なるほど、中々の規模だ。
アゼル王都に比べればやや小さいが、要衝としては十分すぎるほどの都市である。
そして、なぜか妙に魔女が潜んでいそうな雰囲気が漂っているのが不思議だ。
もちろん、この世界に魔法が存在しないのだから、本当に魔女はいないはずだが。
混血の多さはアゼル王都と同じだが、こちらは人種の偏りが少し感じられる。
通りを歩く人々の顔ぶれや声色が、ほんの少し異国情緒を醸し出していた。
「ちょっと、ちょっと聞いてる? そこの田舎者、退けてちょうだい」
突然、声が飛んできた。
振り向くと、金色の髪を靡かせた少女──いや、失礼、若い女性が立っている。
口調は威勢がよく、どこか魔女めいた雰囲気を漂わせている。
「なんだ。魔女ガキか」
俺は心の中で呟く。
「魔女ガキって何よ〜」
少女は眉をひそめる。
「「魔女だ!!!」」
俺は咄嗟に指を指す。
──
「私のことを知らないとは、余程の常識知らずなのね」
アステリア・ローグは軽く顎を上げ、上から見下ろすように微笑む。
その姿は、まるで魔女のようだった。細身の体を覆う黒のマント、長く揺れる髪。
腰には何冊かのグリモワールのような書物が吊るされ、歩くたびにわずかに揺れる。
魔法は存在しないはずの世界なのに、その出で立ちと佇まいだけで、周囲に異質なオーラを漂わせていた。
「私は星詠の賢者、アステリア・ローグよ」
声は穏やかだが、どこか意思の強さを感じさせる。細身の肩越しに見るその瞳は、俺の存在を一瞬で見透かすような冷静さを宿していた。
俺は思わず立ち止まり、街の雑踏の中に差し込む彼女の影に目を奪われる。
──ただの都市の朝日なのに、まるで新しい章の幕開けを告げるかのように、彼女の存在が際立っていたのだ。




