雷鳴の芯律
──荒れ狂う荒野。
ここはギン王国。かつてレリオという大きな街があった場所だ。
瓦礫や崩れた建物の影には、まだ焦げ臭い煙が立ち上り、空は赤黒く染まる。風は焼け焦げた砂を巻き上げ、騎士団の足元を容赦なく叩いた。
その荒野に、パルス率いる第3階聖騎士団は散開していた。
「団長、東側。異端者は全て捕らえました」
「西側、城を築き、逃げ道を塞ぎました」
パルスは眉をひそめ、周囲を見渡す。疲弊した兵たちの姿が、荒れ狂う大地に影のように浮かぶ。
「うん、ご苦労様。今日はゆっくり休みな」
「「団長!!!」」
副官ボンが駆け寄り、必死に声を張り上げる。
「ナニナニ?どうした、ボン?」
「北から、物凄い勢いで何かが迫ってきます!」
パルスは重苦しい沈黙の後、頷く。地鳴りのような圧力を全身で感じ取る。
「んん。それはマズイね。とりあえず、撤退だ。兵は長時間の戦で疲弊している」
──その瞬間、地面が激しく揺れる。
砂と瓦礫が舞い上がり、大地を突き破る轟音と共に、異形の影が姿を現した。
──腐敗した肉塊と骨の集合体。
それ自体が塔となって荒野に突き立つ。表面には血管のような線がうねり、無数の奇怪な目が不規則に開閉する。
裂けた口が断続的に呻き、内部からは絶望に満ちた叫びや、意味のわからないささやきが絶え間なく漏れ出す。風に乗って漂うそれらの声は、聴く者の理性を徐々に侵食するかのようだった。
── 塔の最上部には二つの王座。
血と臓器で形成されたそれに、二人の人物が深く絡みつくように座していた。肉塊と一体化した彼らの体は、もはや人の形を留めず、触手や骨の槍が塔の一部として伸び、荒野の戦場に向けて獰猛な攻撃を繰り出す。
背を向け合った二人の表情は、苦痛に歪みながらも、どこか満ち足りた狂気に満ちていた。
絶え間なく蠢く塔と融合したその姿は、理性の限界を押し広げ、見る者すべてに深い恐怖と戦慄を刻み込む。
──まるで、この塔そのものが意志を持ち、荒野を支配しているかのようだった。
騎士団は一斉に散開したものの、その動揺は明らかだった。
「なっ、なんなんだ……アレは……?」
「夢を見てるんじゃないのか……」
「くっ……臭っせ。死体が腐った匂いがする……!」
兵たちの声が震え、恐怖に駆られた目は塔を見上げていた。瓦礫の上に足を置く手も小刻みに震え、盾を握る手は白くなっていた。
「団長、あれは……いったい……?」
一人の若い団員が、顔面蒼白で身体を震わせながら、パルスに問いかける。
パルスは剣を握り締め、荒野に立つ巨大な塔を睨む。冷静を装いながらも、心の奥で同じ恐怖を感じていた。
「恐らく、あれは……塔だね……」
だが、言葉は理屈を説明するだけで、兵たちの恐怖は少しも和らがない。
「右翼、塔の側面を押さえろ!触手に注意!」
「左翼、防御陣形を維持しつつ、撤退路を確保だ!」
命令は飛ぶが、声が空回りする。騎士団員の動きは統率を失い、散開したはずの隊列は乱れ、互いにぶつかり合う。
「まさか……こんな化け物と戦うなんて……!」
「逃げよう!無理だ、無理だぁ!」
地面を蹴り、瓦礫を飛び越える兵、恐怖で立ち尽くす兵。騎士団全体が理性を保てず、絶望に支配されつつあった。
塔から放たれる不気味な呻きと目の光が、彼らの心を切り裂く。誰もが、自分たちの無力さを痛感し、戦意を失いかけていた。
しかしパルスだけは、荒野に翻るマントの下で剣を握り締め、団員たちの方へ視線を送る。
「我々は聖騎士だ。理性を失うな!!」
だがその声も、迫り来る塔の圧倒的存在感の前では、氷のように冷たく響き、恐怖で震える騎士団の胸には届き切らない。
パルスは剣を握りしめ、荒野の風に翻るマントを背に立つ。
「奴の餌に絶対なるな!全員、冷静に行動だ!」
兵士たちは重い息をつき、瓦礫を踏みしめながら仲間と声を掛け合う。
だが、塔の咆哮は圧倒的で、理性を揺さぶり、恐怖と絶望が一瞬にして心を覆った。
荒野に立つ騎士団は、塔の異形な姿と呻き声に圧倒され、戦意を失いかけていた。瓦礫の上で足をすくめ、盾を握る手も白くなる。
叫び、泣き、祈る者もいる。まさに戦慄のパニックだ。
「まさか……こんなものに……!」
「逃げろ!俺たちでは……太刀打ちできない!!」
叫び声と絶望が荒野に渦巻く中、パルスは剣を握り、深く息を吸った。目の前で震える団員たちの姿を見やり、彼は静かに、しかし確固たる決意を胸に秘める。
「神よ。我に、この者たちを庇う力を……今だけでもお与え下さい……」
低く呟く言葉の後、彼の体に雷鳴の芯律が宿る。静かな閃光が膝から下を包み込み、鋼のような圧力と熱が走る。
塔から放たれる電撃が騎士団を襲おうとする瞬間、パルスは間一髪で兵たちの前に立ちはだかった。
「みんな、離れろ……!俺が盾だ……!」
──激しい閃光と共に、膝から下が吹き飛ぶ。
だが、その犠牲により、騎士団全員は命を保った。
兵士たちは左脚を失ったのにも関わらず、己の身を盾として立ち尽くす姿に息を呑む。
茫然自失、恐怖、そして無力感──それが全員を覆った。
「団長……脚が……!」
「どうして……!」
叫び声、泣き声、祈り、震える手足。
荒野を覆う絶望の色は濃く、塔の呻きと電撃の残響が重なるたび、騎士団の心は砕けそうになる。
「諦めるな。我らは聖騎士だ……!」
パルスは痛みに顔を歪めることなく笑顔で剣を握り、仲間たちを鼓舞する。
しかし、視界には瓦礫と腐れた血の匂い、そして迫る塔の圧倒的存在感しか映らない。
その瞬間、騎士達は初めて、自らの無力さと死の危険の隣り合わせにあることを理解した。
荒野に立つ巨大な塔、仲間を庇い自らを犠牲にした団長──現実の恐怖は、誰も逃れられない悪夢のように彼らの心を支配した。
「……俺たちは……まだ、戦えるのか……?」
恐怖と絶望の中で、騎士団は立ち尽くし、荒野に押し寄せる死の気配を呑み込むしかなかった。
──圧倒的な絶望の中、雷鳴の芯律で脚を失いながらも、パルスの目には微かな光が残る。
仲間たちに生きる希望を繋ぐために、彼は塔に背中を向けた。
──
夕陽が登り、橙色の光が訓練所の壁に長く影を落とす。
(俺は武器である足を一本失ってしまった……。もう元には戻れないだろう。そして、死んでしまった団員達も)
パルスは、かつての戦場を思い返しながらも、目の前の光景に視線を移す。
訓練所では、騎士たちが汗を光らせ、剣や槍を握って黙々と鍛錬を積んでいる。
剣のぶつかる音、足踏みの振動、掛け声が軽やかに響く。
パルスは片足で立ち上がり、杖や補助器具を使いながらも体を伸ばす。
手を叩き、士気を高めるように声を張る。
「よぉし、今日は早めに切り上げるぞ!」
訓練場に小さな笑い声と歓声が広がる。戦場で失ったものは多いが、今ここには、再び立ち上がる力と希望があった。
──
夜になり、翔真は訓練所の一角にある広い浴場へ向かった。
そこにはすでに第3階隊長パルス・キデンが浸かっており、片足立ちで湯に腰を沈める姿が目に入った。
細マッチョの体はしなやかで、アイドルのような体型。金髪は紫色の髪留めを外し、肩まで下ろされている。湯気の中で輝くその背中に、翔真は思わず目を見張った。
「……肩、担ぎますか?」
つい口を滑らせる。風呂場は濡れて滑りやすく、危険だと心の中で警告しつつも、無意識に出た言葉だった。
「えっ、いいの?君、優しい!」
パルスの声は、湯気に混じって弾むように響く。
「俺はパルス。ランドン聖騎士団第3階隊長。よろしくね。君は?」
翔真は礼を言うように頭を下げ、湯船にゆっくり体を沈める。
「俺は翔真です。ランドン聖騎士団長補佐です」
「わぁお!!翔真君って言うんだ!!補佐?え?その若さで!!」
パルスは湯に手を打ち付けて泡を立てながら、目を輝かせる。
「ランドンさん、全くそんなこと言ってなかったなぁ」
翔真は少し照れ笑いを浮かべつつも、湯船の縁に手をつき、肩の力を抜く。
「……裸の付き合いってことで、語り合いませんか?」
「いいねぇ!」
パルスは嬉しそうに肩まで湯をかき分け、二人の間に湯気が立ち上る。
──
湯船の中、二人は互いに笑顔を交わしながら、自然と会話を始めた。
緊張も力も解け、広い浴場には不思議な安堵の空気が漂う。
湯船の中、沈黙が一瞬漂う。翔真は少し戸惑いながらも、つい口を開いた。
「……不謹慎で申し上げにくいのですが、その脚、どうしたんですか?」
もちろん、ランドンさんからは一連の話を聞いていた。だが、本人の口から直接聞くのはまた別の意味がある。
パルスは肩まで湯に浸かり、くすくす笑う。
「これかい?いやぁ、実は三日前の戦いで負傷しちゃってねぇ。でも、もう大丈夫。知り合いの然使いの人に高額で施してもらったからさ」
「なるほど……だから、こうして普通に生活できるんですね」
翔真は湯に手をつきながら、納得の表情を浮かべる。
「そう言うことだ」
パルスは軽く頷き、笑みを浮かべる。その笑顔は、傷を負ったばかりの戦士というより、明るく前向きな青年そのものだった。
「もし、その脚が戻るとしたら、何がしたいですか?」
翔真は少し考え込むように尋ねる。
「面白いこと聞くね、君。そうだね……リベンジしたいね。あの塔に」
パルスの瞳が、湯の揺らめきに反射して輝く。
「……そうですか。それじゃあ、黙って目を瞑ってください。そして、俺と会ったこと喋った事を内緒にしてください。良いですね?」
翔真は軽く微笑み、湯の中で静かに視線を伏せる。
二人の間には、不思議な安心感と、戦いを共にする覚悟のような空気が漂った。
荒野での絶望、そして犠牲を乗り越えてきた者同士だけが共有できる沈黙のひとときだった。
──
「目を開けて良いですよ」
翔真の声に、パルスはゆっくりと目を開けた。
湯気の向こうに見えるのは、何も変わっていない風呂場の景色……のはずだった。
しかし、視線を下に落とすと、確かに――脚が二本、しっかりと揃っている。
「一体、何が……?」
パルスは思わず声を上げる。
「ちょっとした手術をしただけですよ。少し強化してますけどね」
翔真は軽く笑い、湯に手を浸す。
「……ちょっとって、これちょっとのレベルじゃないよね?君は一体、何者だい?」
パルスの目に、信じられない喜びと驚きが混ざる。
「俺は翔真です。お礼とかそういうのはいいんで。奴を一緒に倒しましょう」
その言葉に、パルスの胸の奥で熱いものが込み上げる。
「ありがとう、翔真君……!」
声が自然と湯気に溶けて消える。
パルスの心は喜びで満ちていた。
自分の足が戻ったこと以上に、あの塔を倒せる可能性が増した――という希望が、全身に力を与える。
腕に力を入れると、軽く膝を曲げるだけで、以前よりも力強く地面を蹴れる感覚。
湯に手をつき、脚を動かすたびに、塔との再戦での戦いのイメージが胸に浮かぶ。
「……これで、奴を倒せる……!」
パルスは声を漏らす。喜びと決意が混ざり合った瞬間だった。
翔真の視線を受けつつ、二人は広い湯船の中で、しばし静かにその希望を味わった。
──荒野での絶望の記憶を乗り越えた者だけが味わえる、喜びと覚悟のひととき。




