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王の格

「私、ブルドン百貨店に行くけど、翔真君はどうする?」


 フロルは手を後ろに組み、振り向く。その耳の紫色のピアスは朝の光を受けてきらりと輝き、まるで小さな星が瞬いているかのようだ。


 絹のように白がかった金色の髪は細く柔らかく、風にそよぐたび、光を反射して周囲の視線を無意識に引き寄せる。


「あぁ、俺は……そうだな、そこら辺、ぐるぐる回ってるよ」


 アゼル王都の大通りは、まだ朝の光にほんのりと染まる中、すでに活気に満ちていた。石畳の上を、行き交う人々の足音がリズムを刻む。


 商人たちは店先で声を張り上げ、果物やパン、スパイスの香りを漂わせる。


 屋台の上では金色のトーストが湯気を立て、隣では鉄板で肉が焼かれ、焦げた匂いと油の香ばしさが混ざり合う。


 子供たちは石畳の隙間で遊び、母親たちは笑いながら追いかける。


 この街では、子供が一人で歩くのも、女性が一人で買い物するのも当たり前の光景だ。


 治安が良いからこそ、誰もが自然に自分の足で街を歩き、商人と客は言葉を交わし、笑顔を交わす。


 フロルが百貨店「ブルドン」に入っていく姿を見送ると、俺は人々のざわめきと屋台の香りに混ざりながら、自分の足を屋台の通りに向けた。


 目的はフロルにプレゼントを贈ること。


 これは、まぁ……アレだ。これから一緒に住むわけだし。


 でも、どうも、吊り合わない。

 

 どう考えても、自分が選んだものが彼女の手に渡る日を想像すると、心の奥がざわつく。


 定番はアクセサリーか……。見た目も良く、場合によっては護符のような役割も果たすかもしれない。だが、選ぶとなると途端に迷う。


(……どうしよう、いきなり男が「はい、プレゼント」なんて渡して、キモがられたら……)


 前世の記憶が頭の片隅でこっそり囁く。

 女性に「俺が」贈る。そんな直接的な行為。照れや羞恥より先に、どう受け取られるかの恐怖が先立つ。


 表面上は平然と屋台を見回す。


 手に取ったものを軽く握り、色や形を確かめるフリをする。だが心の奥では、悲観的な気持ちがうずく。


(やっぱ、やめとこうかな……)


 それが人間の自然な心だろう。迷い、引く、後悔するかもしれない未来を先に想像してしまう。

 

 いや、まだ決めたわけじゃない。だが、選んだ先にある責任を考えると、どうしても足が止まる。


 周囲の通行人が笑い、屋台の店主が呼び込みを続ける。子供たちが駆け回る声、焼き立てのパンの香り、午前の冷たさと混ざる。

 

 それらすべてが、俺の心を現実に引き戻す。決めなければならない。


 ──だが、決められない。


 ふと胸の奥を覗き込む。思わず吐き出しそうになる本音が、気づかぬうちに浮かぶ。


(もしかして、俺……フロルのことが、好きなのか……?)


 言葉にするとバカみたいだ。


「好き……」


 そんな単語。前世の自分なら、好きだの愛だのを言うことに抵抗なんてなかった。


 ──だが、今は違う。


 昨日会ったばかりだというのに、もうこんなことで動揺している。

 

 プレゼントを渡すことで、関係が変わってしまったらどうする?

 

「キモイ」とか、「いきなり何?」とか、「ふぅん、下心でもあるの?」とか言われたら……?


 頭の中で最悪のシナリオが無限に再生される。

 

 それでも心のどこかで、ちょっとした期待も芽生えている。


 自分の感情と理性、未来への恐怖と欲望が入り混じり、胸の奥で小さな嵐が巻き起こる。


 そこでハッと気づく。


(……あれ?俺、好きなんだ。これ、前世ならわからなかった……いや、気づかなかっただけだ……)


 自覚はじわじわと重みを帯び、体の中心に落ちてくる。

 

 それが何なのかはまだわからない。


 恋……か。


 いや、初めての感覚ではないが、昨日より鮮明に、今この瞬間に強く感じる。

 

 それを認めることは怖い。しかし、逃げても仕方がない。逃げれば、自分の中でずっともやもやが燻り続けるだけだ。


 俺は息を整え、ゆっくりと胸に手を当てる。心臓の鼓動が早くなる。恐怖と期待が同居する感覚。

 

 そして、目の前のアクセサリー──いや、贈るもの全てに視線を落とす。


 これが、フロルに渡す「自分だけのもの」になる。渡すことで初めて、想いが形になる。


 もう迷わない。迷っても、立ち止まっても、答えはここにある。

 

 そう思った瞬間、屋台のおっちゃんの声で現実に引き戻される。


「お客さん、俺の事が好きなのは分かったからよ。店の前でウロウロされちゃ困るんだよ。一文無しなら帰った帰った」


 ああ、そうだ。俺は、迷ってる場合じゃない。


「よし……自分にしか渡せないプレゼントを、渡そう」


 胸の奥の小さな炎が、一気に大きく燃え上がる。

 

 迷いと恐怖、悲観と希望が混ざった複雑な心。だが、今はそれを抱えたまま、前へ進むしかない。



 俺がベンチに腰掛け、無心で景色と人通りを眺めていると何か、とんでもない気配を感じた。


 俺がベンチに腰掛け、無心で通りを眺めていると、いつもの賑わいの中に――異質な静寂を感じた。

 

 屋台の呼び込みの声や子供たちの笑い声、石畳を蹴る足音――それらすべてが遠くなり、まるで自分だけが時間の流れから切り離されたかのような感覚。


(……なんだ、この感覚は……?)


 背筋がひんやりと震え、心臓が早鐘のように打つ。

 

 目を凝らしても、最初は何も見えない。ただ、空気が微かに揺れているだけ。


(……気のせいか?)


 そう思いかけた瞬間、空気がわずかに歪む。

 人々の視線や足音が遮断されたかのように、世界の一部だけが沈黙している。




 ──それは現れた。


 


 背丈は常人の倍以上、肩幅も広く、足元から立ち上る威圧感は人間のそれを超えていた。


 それでも、街の人々はまるで気づいていないかのように通り過ぎる。


 空間に隠し扉でもあるのだろうか、と錯覚するほどの異質さだ。


 足取りは確かで、地面に触れるだけで微かな振動を伝える。


 だが、周囲の人々はまるで見えていないかのように通り過ぎ、誰も足を止めない。


(……この存在感……何者だ?)


 直感が告げる。これまでの常識が通用しない。只者ではないと。

 

 胸の奥が高鳴り、思わず俺は立ち上がる。握りしめていた手をそっと下ろす。




 「……王の気配を感じた。貴様が王か?」




 その地の底で鎮座するような声は、周囲の空気を揺らし、石畳を微かに振動させた。


 屋台の呼び声や子供の笑い声は、まるで遠くのラジオから漏れる雑音のようにかき消される。


 一瞬、世界の中心がこの影の人物に吸い込まれるような感覚に襲われた。


(……この圧力……王のそれだ)


 翔真の体中に小さな電流が走る。


 直感が告げる、この人物は只者ではない、と。

 見た目だけでなく、何年、何千年と熟成されたような、そんな存在が「格」の違いを物語っていた。


「あぁ、正しく聖域国家マステルの王さ」


 俺がそう軽く言うだけで、周囲の空気の重みがさらに増す。

 

 巨大な影が漂わせる威圧感。全身から感じる力の波動。


 その影は漆黒のフードに包まれているが、ただの布ではなく、まるで闇そのものが形を取ったかのように不気味に揺れている。


(……この圧……王のそれだ)


 翔真の体中に小さな電流が走る。

 直感が告げる、この人物は只者ではない、と。

 見た目だけでなく、存在そのものが「格」の違いを物語っていた。


 

 それをただの人間として受け止められる者など、この場にはいないだろう。



「……ふっ。それは驚いた。貴様、名は?」



 ── 一瞬だけ息が止まる。

 


 本当のことを言うべきか、隠すべきか。

 

 心の奥で、小さな恐怖と興奮が同時に蠢く。


(……やつは、ただ者じゃない。ここで嘘は通用しない……)


 無意識に息を整え、勇気を振り絞る。

 

 これが出会いの瞬間だと直感が告げる。

 

 ここで踏み出さなければ、二度と同じ機会は訪れない。



 ――そんな気がした。



「分かった。行商人さん、それじゃあ、その箱をくれる代わりに、俺の名を教える」


 影はゆっくりと肯き、応える。



「よかろう」


 

 だが、俺の胸に残ったのは、まだ見ぬ未来への期待と、少しの興奮だった。



「翔真。そして、リリス・ウェル。よろしく」


 

 名を言い終えた瞬間、黒フードの姿は音もなく掻き消えた。



 ――と、同時に。


 

 ドンッ!!!


 

 広場全体が揺れた。


 

 屋台が崩れ、木材が吹き飛び、人々の悲鳴が上がる。衝撃は爆発のように周囲を薙ぎ払い、すべてを無に帰そうとした。


 しかし、不思議なことに、誰一人怪我はしていなかった。残ったのは壊れた屋台と散乱した品々だけ。


「……おいおい。オセロで負けた奴が盤面ひっくり返す時のノリかよ……」


 俺は思わず吹き出した。あまりにも理不尽で、あまりにも物理的すぎる。


 笑うしかなかった。


(あいつ……本当に何者なんだ?)


「アトラー、さっきの奴をどう思う?」


 俺が尋ねると、影のように静かに立つアトラーが少し考え込む。


「どう思うか……それだけでは答えにはならぬ。だが、お主は必ず再び彼奴と会うことになる」


 その声は低く、まるで地下から響いてくるように重みを帯びていた。


「再び会うって……なんで?」


 アトラーは微かに口元を上げ、俺を見据える。


「理由は簡単だ。――その箱を開けてみろ」


 俺は眉をひそめる。


「……いちいち会話が的外れだな……。そこまで理解力がないとは思わなかったよ」


 軽くからかうように言いながら、俺は箱の蓋をゆっくりと開ける。


 中から現れたのは、複雑な紋様で覆われた金のブレスレット。


 赤い石が散りばめられ、まるで星屑を封じ込めたかのように輝く。


 ひとつひとつの石が呼吸しているようで、俺の視線を引き込む。


「「これは……!?」」


「そうだ。維持石。第一片だ」


 アトラーの声が厳かに響く。


 息を飲む。胸の奥から高鳴る鼓動。


(これが……俺たちの運命を大きく動かす鍵……か)


 箱の中の輝きを見つめながら、俺は直感した。

 これから先、何が待ち受けていようと、この瞬間の発見は決して忘れられない。


 俺はすぐさま空間ボックスにしまった。


 ──


 昼時


「お待たせ〜。はい、これ」


 彼女は周りの状況を気にせず、小走りで駆け寄ってきた。

 

 風に揺れる金髪が太陽の光を受けて輝く。

 

 手に握られた小さな箱を差し出すと、彼女の紫色の瞳が、期待に満ちた光を放った。


「コレって……」


 思わず声が漏れる。箱の中には、黒の宝石──黒曜石のピアスが丁寧に収められていた。


 光を受けるたびに、深い闇の奥に星が瞬くかのように輝いている。


「見て。私が紫で君が黒。デザインお揃いにしたんだ〜」


 その言葉と笑顔に、翔真の胸の中で迷いや悩みが一気にほどけていく。


 プレゼント選びで散々悩んだ自分が、突然ちっぽけに思えた。


 思わず唇が緩む。


「俺に?嬉しい……!本当にありがとう!」


 言葉に力がこもる。


 そして、翔真は自分の空間ポケットに手を伸ばす。


 空中には、緑色の宝石が散りばめられた指輪と、白の指輪が並んでいる。


「じゃあ、君にもこれ」


 手を差し出すと、フロルは目を大きく見開き、箱を受け取るようにして指輪を握った。


 その瞬間、空間がほんのわずかに光を帯びた気がする。


 二人の手元で宝石がきらめき、太陽の光を反射して小さな虹色の輝きを散らす。


「すごい!今のどうやってやったの!?」


「秘密〜」

 

「すごく綺麗、ありがとう。これで、お揃いね」


 彼女の笑顔は太陽以上に眩しく、翔真の胸に熱い感情がこみ上げる。


 あの迷いや悲観、先ほどまでの不安は跡形もなく消え去った。


 代わりに、温かさと、確かな連帯感が心に芽生える。


 二人はしばらく、無言で見つめ合った。

 

 言葉は必要なかった。


 視線だけで伝わるものが、確かにそこにあったのだ。


 ──この瞬間、翔真は心の中でひそかに誓う。


 どんな困難があろうとも、この笑顔を守ること、そしてこの小さな絆を大切に育むことを。


 街の喧騒、屋台の香り、行き交う人々の声、すべてが背景に溶け込み、二人の世界はそこだけ特別に静かで、温かかった。


 翔真は小さく息を吐き、手元の指輪を握りしめる。


 胸の高鳴りが止まらない。


 恋というよりも、確かな想いを形にした喜び。

 

 これが、贈り物の力なのか、と改めて感じる瞬間だった。


 ──二人は、目に見えぬけれど確かに存在する絆を胸に、一日を迎えたのだった。

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