師匠
聖域国家マステル惑星都市の庭園。
煌めく星々を見下ろすベンチに、オルガ、イリーナ、アイシェの3人は腰かけていた。
夜風が揺れ、遠くの摩天楼が青白く光る。
「……なんか、まだ夢みたい」
イリーナがそっと呟く。
「こんな場所で、本当に学べるなんて」
「私も。戦い方なら何とかなると思ってたけど……ここは想像以上よ」
アイシェは拳を握り、目を輝かせていた。
オルガは微笑んで首を振る。
「大丈夫だよ。俺だって最初は不安だった。……でも、師匠に出会って、変わったんだ」
その時、空気がひんやりと震えた。
星明かりがわずかに揺れ、足音もなく人影が近づいてくる。
その時、空気がひんやりと震えた。
星明かりがわずかに揺れ、足音もなく人影が近づいてくる。
「やぁ、待たせた?」
そう言って現れたのは翔真。
彼の背後から──静かに歩み寄る二つの存在。
ひとりは、背に白い羽を広げた長身の女性。銀の瞳が冷たくも知的な輝きを放つ。
──天空都市を統べる秘書官、セレーネ。
もうひとりは、蒼き肌を持つ屈強な男。波のように滑らかな衣を纏い、その瞳には海より深い闘志が宿る。
──海底都市の統率者、ルイドン。
「紹介しよう。イリーナの師はセレーネ。アイシェの師はルイドンだ」
翔真が指し示すと、二人は微笑みもせず、ただ圧倒的な気配を放った。
「……っ」
イリーナもアイシェも、言葉を失い、ただその存在感に息を呑む。
こうして──彼女たちの、新しい修行の日々が幕を開けた。
セレーネの白い羽がふわりと揺れ、夜気を切り裂く。
彼女は滑らかに歩み寄り、銀の瞳でイリーナを見下ろした。
「あら──可愛らしい子。あなたがイリーナで、お間違いないかしら?」
冷徹な響きの中に、ほんのわずかな親愛の色が混じる。
イリーナは少し緊張しながらも、きちんと背筋を伸ばした。
「初めまして。イリーナ・ハーデンです。……よろしくお願いします!」
その声音には、憧れと決意が滲んでいた。
セレーネの口元が、ほんの一瞬だけ和らぐ。
「いい返事。──では、あなたに私の知を預けましょう。学ぶ覚悟はあるのね?」
「はいっ!」
「うん!いい返事」
夜空に五星が瞬き、ふたりの間に新たな師弟の縁が結ばれていった。
──
ルイドンは庭園の石畳に片足を置き、低く響く声で言った。
「……俺はルイドン。よろしく」
深海を思わせる、どこまでも深い眼差しが、まっすぐアイシェを捉える。
アイシェは一拍だけ緊張したが、すぐに胸を張って応えた。
「私はアイシェ・ハニバ。よろしくお願いします」
その潔さに、ルイドンの口元がわずかに緩む。
「名乗り一つにも力が宿る。お前はまだ粗削りだが……伸びるかもしれんな」
アイシェの頬に自然と笑みが浮かぶ。
「だったら、思いきり伸ばしてみせます!」
夜風に揺れる庭園の木々が、二人の新しい師弟関係を祝福するかのようにざわめいた。
──
「てことでお二人さん、ちょっと悪いんだけど──明日、学園だけど大丈夫?」
翔真が肩をすくめながら茶々を入れる。
「いっけなーい!!明日、大試験じゃない!」
イリーナが頭を抱え、慌てふためく。
「本当ね。でも家庭教師のリナがちゃんが教えてくれたから平気だよ」
アイシェは涼しい顔で、まるで他人事のように微笑む。
「ちなみに、オルガはもう帰ったよ」
翔真がさらりと告げた瞬間──
「「いつの間に!?」」
二人は同時に振り返り、目をギョッとさせる。
「じゃ、また明日」
ルイドンとセレーネも「明日からね」と軽く手を振り、夜の庭園を後にする。
こうして、二人は翔真の空間移動で、それぞれ寮と家へと帰った。
──
イリーナの部屋。
しんとした静けさの中、机に座り込み、ランプを灯す。
暖かい光が彼女の姿と机の物を照らす。
「あぁ……夢の中に居たのかしら、私」
時計の針は、すでに夜中の二時を回っていた。
ため息をつき、すぐに机のノートを開く。
「……切り替えて、試験の勉強しますか」
勉強馬鹿の血が、結局、彼女を突き動かす。
──
一方のアイシェは、ベッドに寝転びながら闇に包まれた白い石の天井を見つめていた。
「あれはきっと……夢の中の出来事なんだわ。そうに違いない」
そう呟くが、心臓の高鳴りは収まらない。
結局、彼女も目の玉を血ばらせながら、眠れないままの夜を過ごすのだった。
──
セレーネたちも姿を消し、庭園のベンチに座っているのは翔真ひとりだけになった。
夜風が静かに吹き抜ける。
「──オルガ、もういいよ」
声をかけると、植え込みの陰からひょっこり顔を出すオルガ。
だが、顔をしかめて鼻をつまむ。
「……くっさ! 間違ってゴミ箱の中に隠れちゃったよ。最悪だ」
ぶつぶつ言いながらも、翔真の隣に腰を下ろす。
「で、例の物だろ?」
翔真は頷くと、何気なく空中に手を伸ばし──ひらりと、一冊の古びた本を取り出した。
表紙には誰も知らない文字が刻まれている。
「禁書……。正直、あっても無くても変わらないと思う。どうする?俺の右脳の君に任せる」
翔真が本を軽く持ち上げて見せる。
その瞳には感情が宿っていない。
オルガは短く息を吐き、夜空を見上げながら答えた。
「そのうち、あの二人も知ることになる。……だったら俺は、無くてもいいって意見に賛成だよ」
静けさが戻る庭園。
二人の間に置かれた禁書は、ただ重く沈黙していた。
「……それじゃ、消すよ」
翔真の声は淡々としていた。
禁書が空中に浮かび上がる。古びた装丁が月光を浴び、ひび割れた文字がかすかに光を帯びる。
指先を軽く弾く。
──パチン。
次の瞬間、禁書は“ぼっ”と赤橙の火の玉に包まれた。
音もなく燃え広がる炎は、普通の火ではない。
頁が捲れるように光へと分解され、言葉ひとつ残さず夜空に溶けていく。
(これ地味にやってみたかったんだよね。まさか、こんな所でやる事になるとは)
オルガは思わず眉をひそめる。
「……ずいぶん簡単に燃やすんだな。あれだけの代物を」
翔真は炎を見送りながら、肩をすくめて言った。
「禁書なんて、所詮は物語断片みたいなものだよ。残すより、消す方が《《未来は軽くなる》》」
残り火が弾け、灰すら残さず消え去った。
庭園には再び夜風と静寂だけが戻る。