5.推しカプが尊すぎる件について
彼は私たちの前で止まり、優雅に腰を曲げた。
「はじめまして、ロザリア様。ダミアン・サンベルクと申します」
短く整えられた淡い栗色の髪。目元は涼しげなグレーで、奥に優しい光を宿していた。
ロザリア様よりも二十センチほど高い身長と均整のとれた体つき。シンプルだが上質な仕立ての服で身を包んでおり、物腰のやわらかさが全身からにじみ出ていた。
(お、推しカプが、目の前に……! 公式で……!!)
私は興奮のあまり倒れないように気をつけながら、まばたきすることも忘れて二人を凝視した。この瞬間を一瞬たりとも見逃すまいと網膜に焼き付ける。
ダミアン×ロザリア
略して「ダミロザ」、私が五年間推し続けたカップリングである。
ダミロザは「花キミ」のマイナー中のマイナーのカップリングだった。
どれくらいマイナーかというと、ピクチブという大手小説投稿サイトの投稿数が分かりやすいだろう。メジャーカプであるアラン×フィローレの小説は一万件ほど。それに対して、ダミロザは五十件だ。
そのうち四十八件は、私が書いた小説である。
マイナーカプである最大の要因は「原作で二人の接点が皆無なこと」。接点どころか、ダミアンとロザリア様が同じ空間に登場することさえもない。
しかし私は推した。五年間推した。新刊も毎年出し続け、「え、何でダミロザ?」「絡みあったっけ?」と囁かれながら売り続けた。
私がダミロザを推し始めたのは「ロザリア様を幸せにできる男は誰か」という観点から、ひたすら妄想しまくった結果だった。
フィローレを選んだアランと結ばれても、ロザリア様が幸せになる未来が見えなかった。他の男性キャラでも検討したが、どれもピンと来なかった。
「ロザリア様は孤高で気高い人で、人に甘えることを知らない子なんだ……! 包容力がある男が大きな愛で抱きしめてくれないとロザリア様は幸せになれない……!」
そう考えて辿り着いたのが、サブキャラの一人、ダミアン・サンベルクだった。二十八歳。バツイチ。
ちなみに彼の離婚理由は、前妻が散財と不倫を繰り返すとんでもない人だったからで、ダミアンには何の落ち度はない(※ファンブック情報)
「突然、申し訳ございません」
「いえ、こんな辺鄙な港町に興味を持っていただけて嬉しいです」
(しゃ、喋った!! 二人が同じ空気を吸って喋ってる!!!)
出会うことのない二人の邂逅を、妄想だけで乗り超えた拗らせオタクには刺激が強すぎる。供給過多でどうにかなってしまいそうだ。
ダミアンはふわりと笑い、私たちを屋敷の中へと案内した。所作の一つ一つが丁寧で、相手を気遣う優しさに満ちている。
原作ではあまり出番がなかったが、実際に会ってみると包容力の塊のような人だ。先日のアランの横暴さを見ていたからか余計にそう感じてしまう。
貴賓室に案内され、ロザリア様がソファーに腰を下ろした。ダミアンも向かいの席に座り、口を開く。
「ポルーノはご覧になりましたか?」
「えぇ」
「寂れた町でしょう?」
「……」
ロザリア様は気まずそうにカップに口つけた。その様子を見てダミアンはからからと笑う。
「サンベルク家でも正直、扱いに困っている町なんです。魚は捕れますが、どれも小さくて王都に卸すには向いていないんです。すぐそばにはグラン港という国内屈指の港もありますし。自分としては思い入れがある土地なので、できれば栄えて欲しいと思っているのですけどね」
ダミアンは苦笑を浮かべながら、手にしたカップに口づける。
彼はサンベルク公爵家の三男で、兄であるサンベルク公爵家当主の一部業務を引き受けているそうだ。そしてポルーノはダミアンが管轄する領地の一つだったが、魚の買い手が中々見つからず頭を悩ませている……といったことを端的に語った。
そこでじっと考え込んでいたロザリア様が、顔を上げた。何か閃いたような表情で提案する。
「その魚たち、ヴァレンティーノ家で買い取れるかもしれません」
彼女の言葉に私だけではなく、ダミアンも目を丸くしている。
「し、しかしヴァレンティーノ家で卸すにはあまりにも小ぶりなのですが……」
「いえ、私の家に卸すのではなく、『カゼッタ』に卸すのです」
「! あぁ、なるほど! ヴァレンティーノ家の運営でしたね」
「よくご存じで」
ロザリア様がダミアンに微笑んでいる!
私の心臓が破裂しそうだ!!
「カゼッタ」とは庶民向けの酒場の名前だ。王都にもいくつか店舗があり、私も以前メイドに誘われて足を運んだことがあった。
この店はあくまで庶民向けだが、実はヴァレンティーノ家の手によって運営されている。
表に名前を出すことはないが、王家への売上報告書を追えば「カゼッタ」がヴァレンティーノ家が運営していることはすぐ分かるため、ダミアンが知っていたのも不思議ではない。
では、なぜ公爵家が酒場の運営をしているのか?
目的はただ一つ──「情報収集」である。
酒場のスタッフは全員ヴァレンティーノ家で訓練を受けた人たちで、客たちの噂話に聞き耳を立てている。そして王家に関する噂、貴族間の対立、反乱の兆しなどを拾い上げて、ヴァレンティーノ家の主人に報告しているのだ。
ロザリア様は再び紅茶を口に含む。
「最近、父がぼやいていましたの。グラン港のギルドから仕入れる魚の価格が高くなっていると……。私たちとしては魚の大きさはそこまでこだわりがありませんの。どうせ加工してしまいますから」
「値段が安い方が重要と言うことですね」
「えぇ」
「少しお待ちいただけますか? 魚の種類と値段をリスト化したものが確か……あぁ、あった」
足下に置いた革鞄から書類を取り出し、テーブルの上を滑らせるようにしてロザリア様の前に差し出す。彼女は書類を受け取り、記載内容に目を通し始めた。
その後、具体的な取引条件について交渉がはじまった。扱う魚の種類や、キロあたりの単位設定、まとめ買いによる値引率などいくつか質問を投げかけていく。
そして窓から差し込む光が夕焼け色に変わりはじめた頃、ロザリア様は立ち上がった。
「では、今の条件で父に聞いてみますわ」
「はい。お待ちしております」
貴賓室を後にして玄関ホールに到着すると、ダミアンは先回りして扉を開けた。潮風の空気が室内に流れ込んでくる。
彼は石段を降りてから振り返り、ロザリア様に手を差し出した。
「段差があるので」
ロザリア様は一瞬だけ迷い、そっと手を重ねた。エスコートされながらゆっくりと段差を降りていく。
待機していた馬車の前に辿り着くと、ダミアンは満足そうに笑った。
「本日はありがとうございました。ロザリア様のお話がどれも興味深くて、つい時間を忘れてしまいました」
「……お世辞を言っても、得るものはありませんよ。『カゼッタ』の管轄は父ですから」
「ふふ、お世辞ではありませんよ」
「……そうですか」
ロザリア様の冷たい反応を気にすることなく、ダミアンは優しく目を細めた。ロザリア様が馬車に乗り込んだのを確認して、私も後に続く。
馬車が走り出したあとも、彼は屋敷前から動かなかった。だんだん小さくなっていく馬車を、最後まで見送り続けてくれている。どこまでも誠実な人だ。
それにしても今日は供給過多でどうにかなりそうだ。五年も脳内で妄想し続けたカップリングが目の前で話していたのだから。どうか私の脳みそを取り出して、ブルーレイに焼き付けることができないだろうか。
私は多大なる感謝を伝えるため、口を開いた。
「ロザリア様、本日はありがとうございました!」
「……えぇ」
「ダミアン様の印象はいかがでしたか?」
軽い気持ちで聞いた質問だった。
先ほどまでのロザリア様は、徹底して事務的だった。公爵令嬢として完璧に立ち振る舞い、淡々と対応していた。だから彼の印象を聞いても、「特に何も」と素っ気なく返されるだろうと予想していた。
だけど──
ロザリア様の顔が、真っ赤に染まった。
(え?????????????????????????????)