9.推しが美しいのは、ぜんぶ雪のせいだ
エルフェリア王国より遙か北に位置する国、グリフレア国。
馬車から降りた瞬間、切り裂くような冷気が頬を打つ。吐く息さえも凍りそうなほどの寒さに身をすくめながら、後ろを振り向いた。
ロザリア様を見た瞬間、先ほどまで私を容赦なく襲っていた寒さがどこかへ吹き飛んだ。
(か、か、かわいい~~~~~!!!!!)
真っ白なファーの帽子と手袋。そして純白のロングコート。
寒さを避けるために重ね着しているせいか、シルエットがふっくらとしている。とても愛らしい。まるで雪の精だ。
見蕩れている私に、ロザリア様は淡々と言い放った。
「何ぼおっとしてるの」
「すみません!」
我に返って、頭を下げる。慌てて姿勢を正し、差し出した手をロザリア様が取った。
「寒いわね……」
白い息がふわりと浮かび、空へとほどけていく。
視線の先には、雪化粧をまとった街──タタンがあった。
グリフレア国の首都であるタタンは、やわらかな雪にすっぽりと包まれていた。レンガ造りの家々が肩を寄せ合い、煙突から立ち上る白い煙が空へと溶けていく。
通りには屋台が並んでおり、色とりどりのランタンが揺れていた。子どもたちが笑って駆けていき、鈴の音がそれに重なる。うっすらと吹く風の中、香ばしい焼き菓子の匂いが漂ってきた。
寒そうに息を吐くロザリア様を見て、罪悪感が胸を刺す。
「すみません、寒いのが苦手なのに」
「本当よ」
ロザリア様に睨まれてしまって、ぐさりと心臓が痛む。
「でも……」と彼女は街並みを見ながらぼそりと言った。
「……貴方の提案は、幸運を呼び寄せるから」
独り言のように小さな声だった。
ロザリア様はそれ以上何も言わず、ふいっと街へと歩いて行ってしまう。
彼女の言葉を反芻し、理解した瞬間──マイナス十度くらいだった体温が五十度くらいまで跳ね上がった。
(そ、それはつまり……ダミアンと出会ったことも幸運だと……!?)
寒さで凍えていた体が一気に沸騰しそうになる。ありがとうございますロザリア様。まさか、ダミアンと出会えたことが一番の幸運だと言ってもらえるなんて(※言ってない)。ダミロザオタク冥利に尽きます……!
ゆるむ頬を押さえながら、私はロザリア様のあとを追いかけた。
街の中心へ行くと多彩な屋台が軒を連ねていた。
香草を練り込んだソーセージを吊したお店、色とりどりのキャンドルが並んでいる雑貨店もある。その合間を、鈴の音を響かせながら子どもたちが駆け抜けていく。
「賑やかね」
「お祭りに参加されるのははじめてですか?」
「えぇ。招待されたことはあったけど、仕事ではなく一般人として歩くのは初めてね」
エルフェリア王国の公爵令嬢となれば、祭りは「楽しむ場」ではなく「顔を見せる場」になる。だが今日は違う。
彼女を知っている者がほとんどいない他国で、一人の女性として歩いている。格式張った服装も、護衛の行列もない。一般客に紛れた護衛たちが、背後で私たちを見守っているだけだ。
いつもは冷静なロザリア様が、珍しく興味津々といった様子で辺りを見回した。私は声をかける。
「ロザリア様、何か買ってきましょうか?」
「そうね、何が良いかしら」
「うーん、あ! ホットワインがありますよ!」
街の一角にある屋台を指さす。銅鍋から湯気が立ち上り、ランタンの光をゆらめかせていた。スパイシーな香りが、雪混じりの風に乗って甘く広がっている。
「いいわね」とロザリア様の表情がゆるむ。私は屋台に駆け寄り、店員に小銭を渡す。ふくよかな女性の店員が、湯気の立つ木のコップを差し出した。
毒味を終えた私は、「大丈夫です」とロザリア様に渡す。
彼女はそろりとコップに口づけた。が、すぐに眉をひそめた。
「……熱いわ」
「ロザリア様って、もしかして猫舌ですか?」
「悪いの?」
赤い瞳で睨まれてしまったので、「とんでもない!」と両手を振る。あの美しいロザリア様が猫舌だなんて可愛すぎる。ギャップにやられてしまいそうだ。
私も一口飲むと、ほのかに苦い葡萄の味が広がった。そのあとシナモンの香りが鼻から抜けていく。寒さで強ばっていた体が、内側からゆっくりとほぐれていった。
ロザリア様がくすりと笑う。
「息がまっ白ね」
私の息が白くて、笑われてしまった。
淡い笑みを浮かべるロザリア様がかわいい。ぎゅんと心臓が握り締められる心地がした。
その後もロザリア様と並んで、屋台を見て回った。
この厄払いの祭りは、北部の中でも最大級のお祭りらしい。本格的な冬がやってくる前に、人々が笑い、歌い、騒ぐことで、寒さとともに訪れる厄災や病を遠ざけるそうだ。
子どもたちが雪を蹴り上げ、鈴を鳴らして走り回る。「いいぞ、もっと騒げ」「悪魔を追っ払え!」と大人たちが楽しそうに囃し立てていた。
賑わう通りの喧騒を横目に、私はひとり焦っていた。
厄払いの祭りは想像以上に規模が大きく、人が多かった。この広い祭りの中で、目的の人物を見つけられるかという不安が再び胸を刺す。
(私が知っているのは、元サンベルク公爵家の次男で、今は金細工職人ということだけ……。名前も顔も知らない……)
そんな僅かな情報だけで、ロザリア様を連れてきてしまってよかったのだろうか。
彼女がダミアンのことで悩んでいる姿を見たとき、どうにか助けになりたいと思った。せめて何かの糸口になればと、この旅を提案した。
(すべて自分の空回りだったら、どうしよう)
黒いモヤが胸の内に広がっていく。
私はロザリア様の幸せのために、働きたいと思っている。心から思っている。だけど──
(すべて、私の独りよがりだったら? 忙しいロザリア様が、実は迷惑に感じていたら?)
焦りのようなものが湧き上がってきた。
そのとき、ロザリア様は二杯目のホットワインに口づけ、ふと口を開いた。
「ねぇソレイユ」
「はい」
「楽しいわね」
私は驚いてロザリア様を見た。
私があまりにも勢いよく顔をあげたせいで、ロザリア様がきょとんとしている。私の驚きが顔に出ていたのかもしれない。ロザリア様は「本心よ」と、やわらかく言葉を続けた。
「最近色々あったから、気分転換できてよかったわ」
その何気ない一言で、涙がこぼれた。
安堵なのか、嬉しさなのか、自分でも分からない。
慌てて裾で拭い、ロザリア様に気づかれないようにする。
ロザリア様を街を駆け回る子どもたちを、優しい眼差しで見つめていた。私はそんな彼女を見ながら、自分に言い聞かせる。
(そうだ、不安になってどうする!)
拳を握り締めた。
ロザリア様の迷惑になるかもしれない、余計なことかもしれない、そう不安になるのは簡単だ。
でもそんな言葉で、自分の想いを殺したくない。立ち止まりたくない。
私は私なりに、彼女の幸せのために動いてきた。その行動に自信を持とう。
きっとロザリア様にも、この気持ちは伝わっているはずだから。
するとロザリア様は、一つの店舗に目を留めた。そのまま迷いなく歩き出したので、私も慌てて後を追う。
店員はすらりとした三十代くらいの女性だった。私たちに気づくと「いらっしゃい」と目を細める。ロザリア様は返事もせず、並べられた商品を食い入るように見つめていた。
そこはアクセサリー屋だった。指輪やネックレス、ブローチなど様々なものが置かれている。この街は金細工の名産地として知られているため、似たような店が数多くあった。
しかしロザリア様がここまで興味を持ったのは初めてだ。
ロザリア様は顔をあげ、店員に尋ねた。
「こちらは貴方が?」
「いえいえ。別の者が作ってるんですよ」
「その方はどちらに?」
「今は工房ですかねぇ。ものすごく無愛想でねぇ……めったに人前に出ないんですよ」
店員は困ったように笑う。
ロザリア様は頷いて、並んだアクセサリーを指さした。
「すべて購入しますわ」
「え!? す、すべてですか!?」
「えぇ。その代わり、この作品を作った方と会えないかしら?」
女性は戸惑いの表情を浮かべ、腕を組んで小さく唸る。
「構いませんが……本当に無愛想で気難しい人ですよ? 大丈夫ですか?」
「えぇ」
ロザリア様が微笑むと、女性は観念したように頷いた。
「こちらで足りるかしら?」とロザリア様は小袋から金貨を五枚渡す。彼女は目を丸くし、すぐに満足げな笑みを浮かべた。
「少しお待ちくださいね」
そう言って女性は裏路地へと消えていった。
その背中が見えなくなったのを確認してから、私は問いかけた。
「ロザリア様……一体、なぜこちらを?」
私が尋ねると、ロザリア様は呆れたように私を見つめた。
そしてブローチを一つつまみ上げ、指先を傾ける。
「ものすごく腕のいい職人がつくってるわ。見て分からないの?」
「わ、私にはさっぱり……」
ブローチの中央には繊細な植物の彫りが施され、金の縁取りが光を受けて淡くきらめいていた。美しいとは思う。しかし、どこに技術が宿っているかまでは分からない。
ロザリア様はさらに呆れた声で言った。
「私の侍女として、もう少し目を養った方がよさそうね」
「う……頑張ります……」
確かに、前世でも今世でも、私はブランド品や宝石などに何も興味がなかった。私の美しいの基準はすべてロザリア様だったからだ。
ロザリア様が身につければ、ガラス玉でもダイアモンドに見える。どんな布きれでも、彼女が纏えば光り輝くドレスに見える。
そう思ってしまう時点で、私の目は確かに偏っているのかもしれない。
しばらくすると店員は、一人の男性を連れてきた。




