8.サンベルク家の次男
「職人たちとの予定が……全て、キャンセル?」
ロザリア様は信じられないといった表情で、言葉をなぞるように繰り返した。私は青ざめながら、否定することも出来ず、ただ頷くことしかできない。
「ルストレア」では、新作アクセサリーの企画を練っている最中だった。
今まで出していたアクセサリーはシンプルなものが多かったため、今回は彫金技術と真珠を組み合わせた商品にする予定だった。ブローチにするところまでは決まり、その制作を担う職人を捜していたのだ。
貴族向けの品となれば、求められるのは一流の技術。国内の有名な金細工職人たちと面談し、その中から依頼先を選ぶ予定だった。
ところが突然、職人たちが次々と面談をキャンセルしてきたのだ。
しかも理由はみな曖昧で、揃いも揃って歯切れが悪い。
公爵家からの正式な依頼を断るなんて、正気の沙汰ではない。無礼を通り越して、恐怖すら覚える状況だった。
ロザリア様は険しい顔で考え込み、やがて決断したように立ち上がる。
「ソレイユ、出かける準備をして」
「どちらへ行かれるのですか?」
私の問いに、彼女は一拍も置かずに答えた。
「職人たちのところよ」
*
私たちが訪れたのは、王都の喧騒から少し離れた場所にある工房だった。
ここに所属する職人は、王都でも名の知れたブランドアクセサリーを数多く手がけており、弟子も多い。工房は大きく、内部からは金属を打つ音や、忙しなく行き交う足音が聞こえてくる。
馬車から降り立った瞬間、工房の前にいた男がぎょっとしたように目を見開いた。公爵家の紋章に気づいたのだろう。
ロザリア様は逃さないと言わんばかりに、コツコツと早足で近づいた。
「ご機嫌よう、ボネラはいるかしら?」
「お、親分は今、不在で……」
「そう。なら、戻るまで待たせてもらおうかしら」
その瞬間、男の顔から血の気が引く。
「しょ、少々お待ちください!」
男は深く頭を下げ、慌てて工房の中へと消えていった。貴族を待たせることの意味を、反射的に理解したのだろう。
数分後、大柄な男を引き連れて戻ってきた。
彼が今回依頼を断ってきた、ボネラという職人だろう。
ロザリア様が口を開くよりも先に、ボネラは勢いよく膝をついた。次の瞬間、額を地面に打ち付ける。
突然のことに、私もロザリア様も声を失った。
「お、お許しください……ヴァレンティーノ公爵……! どうしても、どうしても取引できねぇんです……!」
親分と呼ばれ、工房を束ねる男とは思えないほど、必死な懇願だった。肩は縮こまり、指先まで力なく震えている。何か大きい恐怖に支配されている、そう言われても納得してしまうほどの様子だ。
弟子の男は青ざめ、何が起きているのか分からないまま立ち尽くしていた。
ボネラは頭を下げたまま、言葉を続ける。
「俺には弟子がおります。コイツらを、どうしても食わせていかなきゃならないんです……!」
ボネラは顔をばっとあげた。
必死に縋るようなその表情には、誇りも体面もなかった。ただ焦りと恐怖だけが滲んでいる。
「俺はどうなってもいい! せめて弟子たちだけは……」
「落ち着きなさい」
ロザリア様の一言が、張り詰めていた場を制した。
感情のない赤い瞳に睨まれ、ボネラの唇がぐっと引き締まる。
「私は罰しにきたわけではないわ。ただ事情を聞きに来ただけよ」
「それ……は……」
掠れた声が漏れる。ボネラの顔は真っ白になり、唇は震え、言葉を探すように何度も開いては閉じた。
ロザリア様は何も言わず、ただ言葉を待つ。だが返ってきたのは説明ではなく、再びの謝罪だった。
「も、申し訳ございません……そちらを説明するわけには……」
「それは、公爵家の命令でも?」
声は低く、感情が一切こもっていない。拒めばどうなるかを、十分に理解させる問いだった。
それでもボネラは沈黙を貫く。答えないことが、すでに答えだった。
ロザリア様は深く息を吐く。
「……はぁ」
ボネラの体がびくりと跳ねる。
そしてロザリア様は踵を返した。そして私にだけ聞こえる声で告げる。
「帰るわよ」
淡々とした声だったが、その背中からは明確な苛立ちが伝わってきた。私はロザリア様の背中を追いながら、一度だけ振り返る。
ボネラはまだ地面に額をつけたままだった。一度も顔をあげることなく、身動きひとつしない。
馬車が動き出しても、距離が離れても、その姿勢を崩すことはなかった。胸の奥が重く沈む。
工房が見えなくなる頃、ロザリア様は吐き捨てるように言った。
「……そういうやり方ね」
ヴァレンティーノ公爵家の名前を出しても折れない。つまり同等以上の力が、裏から圧をかけている証拠だった。
そしてここまで露骨な手段を取る人物は、一人しかいない。先日の邂逅が脳裏に浮かぶ。
(セドリック……!)
私はぎゅっと拳を握り締める。
まさかロザリア様を手に入れるために、こんな卑怯な手を使うなんて。おそらく新作ブローチについて情報を掴み、職人たちに圧をかけたのだろう。
サンベルク家はあらゆる分野の人脈を張り巡らせ、力を大きくしてきた家だ。敵に回せば、工房どころか、職人たちの名そのものが簡単に潰されかねない。
だからこそ誰も逆らえなかったのだろう。ボネラがあそこまで怯えきっていた理由が、嫌というほど分かる。
「ソレイユ」
「はい」
「屋敷に戻ったら、王都近くの工房だけでなく、国中の職人を視野に入れて候補を出して。私はお父様の伝手を探ってみるわ」
その言葉にうなずきながら、気になっていたことを口にした。
「……ダミアン様には、相談されないのですか?」
「今は別件で、かなり忙しいと聞いていたわ。それに……」
ロザリア様の横顔が歪む。まるで触れてはいけない場所に触れられたように。
「サンベルク家の内情を、私は何も知らない」
ダミアンを頼ることができない理由以上の何かが、その言葉には含まれている気がした。
胸が痛くなり、私は思わず視線を落とす。切なげなロザリア様を、それ以上見ることができなかった。
今は遠くの地にいるダミアンについて考えを巡らせる。
(ダミアンのことか……)
正直、原作でも彼に関する情報はあまり明かされていないのだ。
サンベルク家の三男であり、一度離婚している。犬の世話が趣味で、好きな飲み物はハーブティー。説明文に書かれていたのは基本的な情報と、「人の顔色を読むのが異常に上手い」という文章だけ。その程度の設定しかファンブックには記載されていなかったのだ。
ロザリア様の役に立ちたいのにと唇を噛んだその時、ふっと一文が思い当たった。
(ん……? 三男……?)
セドリックは長男で、ダミアンは三男。
次男はかつて「出来損ない」と呼ばれ、十五歳の時に家を出たきり、消息不明のままだ。
だが小説の巻末、作者が書いていた一文が蘇ってきた。
「サンベルク家の次男は北部の街で、金細工職人として働いています。『厄払いの祭り』でアクセサリーを売って暮らしているとか」
(厄払いをする北部の街といえば……)
創作のために、地図は何度も舐めるように眺めてきた。「ダミロザで旅行させるならどこがいいだろう」そんな妄想を繰り返してきた経験を今生かすときだ。
そして、一つの街が脳裏に浮かぶ。
確か今の時期、ちょうど祭りが行われているはずだ。
「ロザリア様」
私が声をかけると、彼女はこちらを見た。
その赤い瞳を見て、一瞬だけ迷いがよぎる。だが覚悟を決め、身を乗り出しながら提案した。
「国外へ、行きませんか?」
ロザリア様の眉がわずかに上がる。
「国外で職人を捜すということ? 何か当てはあるの?」
当然の問いだ。ぐっと喉を詰まらせる。
正直、確かな当てなどない。
十年以上も前に国を出た次男。今どこで何をしているかも分からない。
会えたとしても、話を聞いてもらえるとは限らない。むしろ拒絶される可能性の方が高いだろう。
考えれば考えるほど、無謀な提案だ。失敗すれば、時間も労力も無駄になる。
私は言葉を失い、黙り込んでしまう。そんな私を見て、ロザリア様はしばらく考え込むような表情を浮かべた後、やがて静かに口を開いた。
「……まぁいいわ」
「え!?」
思わず情けない声をあげてしまう。
するとロザリア様は私の反応を見ておかしそうに、ふっと唇をゆるめた。張り詰めた空気をほどくような、やわらかな笑みだった。
「何か考えがあるのでしょう? 付き合ってあげるわ」
胸の奥に溜まっていた緊張が、一気にほどける。
「あ、ありがとうございます!」
深く頭を下げながら、私は安堵の息を吐いた。ロザリア様の優しさが、じんわりと胸を染みていく。
そんな私の様子を見て、「それで、どこへ行こうと考えているの?」とロザリア様は尋ねた。
一拍置いて、私は答える。
「グレフレア国です」
「グレフレア国……北方にある?」
「はい!」
私は大きく頷き、声に力を込める。
「ロザリア様。私と一緒に──お祭りへ行きましょう!」




