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推しの悪女の侍女になりました 〜断罪フラグ? 推し愛で全てへし折ります〜【書籍化・コミカライズ】  作者: 海城あおの
第三章 ダミアン過去編

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6.ダミアンと兄


ダミアン視点です。



 

 ロザリア様と分かれ、馬車に乗り込む。車窓から見える、王都の街並みをぼんやりと見つめていた。その単調な景色に紛れ込むように、先ほど尋ねられた問いが浮かんだ。


「前の奥様とは、どのような関係だったのですか」


 何と答えれば良いか分からなかった。だから嘘をついた。その言葉を放った瞬間、彼女の目の奥にわずかな翳りが差す。

 間違えたと、すぐに思った。


(何と答えるのが、正解だったのだろう)


 街灯の光が滑るように流れていく。彼女の問いの答えは見つからないまま、ただぼんやりと外を眺めていた。まるで水中にいるようだった。思考がゆらゆらと意味もなく漂っている。

 すると不意に、馬車が停まった。

 軽い衝撃とともに体がわずかに揺れ、眉をしかめた。まだ屋敷には到着していないはずだと扉へ視線を向ける。その瞬間、冷気とともに見慣れた影が姿を現した。

 その人物を見て、胸の内に暗雲が立ちこめる。


「……兄さん」

「夜遊びか? ダミアン」


 片頬だけ吊り上げる。

 セドリック・サンベルク。自分の兄であり、サンベルク家の現当主。

 母譲りの黒髪に、自分とよく似た灰色の瞳。その鋭い眼光を向けられるだけで、責められるような圧を感じてしまう。

 ふと馬車の外へと視線を移すと、従者が気まずそうに立ち尽くしていた。サンベルク家の主人には逆らえなかったのだろう。彼に非はないと言い聞かせ、指先で「出発してくれ」と合図する。従者はほっとしたように頭を下げ、やがて馬車がゆっくりと走り出す。

 兄は足を組むと、わずかに顎を持ち上げた。自分を見下すようにして話し始める。


「次はあの女か」

「……違います。彼女とは、そんな関係ではありません」


 こめかみ辺りが重く疼き、痛みを放った。

 しかし兄は自分の言葉など何一つ信じていないようで、「そうか?」と言った。


「バーで二人で会っているのに?」

「珍しい酒が入ったと聞いたので、店の案内をお願いしただけです」

「ふうん」


 興味がなさそうに相づちをうち、懐へ手を伸ばした。取り出した銀色の金属ケースには、サンベルク家の紋章が刻まれている。兄はケースを開き、紙巻き煙草を一本取り出す。そして真鍮のオイルライターを取り出し、カチ、と鳴らして火をつけた。

 煙が馬車内に広がり、空気が重くなる。自分は耐えきれず、馬車の窓を静かに開け、外気で煙を逃がした。兄は特に何も言わない。

 その沈黙にほっとしつつも、胸の奥の緊張はほどけなかった。


「ロザリア・ヴァレンティーノの何が不満なんだ? 家柄も若さも、申し分ない。優秀な跡継ぎを残せるだろう?」

「何度も言いますが、彼女とはそんな関係ではありません」


 先ほどより強い口調で言った。言葉を続ける。


「彼女は年齢以上に大人びてはいますが、まだ学生で、経験も浅い。私はただ、自分ができる範囲の手助けをしているだけです」


 兄の目が細まった。刃物のように冷たい光が走り、反射的に視線を落とす。

 昔から苦手だった。あの冷ややかな視線も、こびりつくような煙草の匂いも──そして、人を物のように扱う独善的な言葉も。すべて胸の奥をざらりと逆撫でする。


「──お前はいつもそうだな」


 軽蔑を含んだ声色だった。


「母親に『優しい子でいてほしい』と望まれては、その通りに振る舞う。前の妻に『理想の夫』を求められれば、そう装う。お前自身の意志なんて、最初からどこにもない」


 乾いた、笑いとも息ともつかないものが喉の奥からこぼれた。

 煙がじわじわと馬車内を浸食していく。苦い煙草のにおいは、嫌でも幼少期の記憶を蘇らせた。金切り声をあげる母親。無関心を貫く兄と父。そして公爵家を飛び出して消えたもう一人の──

 煙の向こうで兄は淡々と、しかし容赦なく告げる。


「だからお前は誰にでも利用される。どれほど尽くしても、誰の心にも残らない」


 白い煙をぼんやりと見つめる。

 彼の言葉は、煙草の煙と同じだった。こちらが拒んでも、肺の奥に入り込み、じわりと重く広がっていく。

 兄は皮肉めいた笑みを浮かべた。


「──哀れな奴だ」


 これほど見下されても、これほど貶されても、怒りは湧かなかった。

 悔しさも反発も、何も出てこなかった。

 ただ兄の言葉が、心の底へ沈んで行くのを感じていた。


(仕方がなかった。それ以外、生きる術はなかった)


 言い訳のような言葉が滲んで、自嘲の笑みを浮かべた。

 誰にも迷惑をかけず、誰からも疎まれず。

 他人の期待に応え続けることでしか、生きて来れなかった。本当に、それしかなかったのだ。


(……本当に?)


 暗く深い心の底から、誰かが囁いた。兄ではない。

 その声が自分自身だと気づいた瞬間、ぞくりと背筋が冷えた。

 触れられては困る。目を逸らしてきた理由が崩れてしまう。

 今まで直視せずに生きて来れたのだ。だから今回も大丈夫、やり過ごせる。

 そう言い聞かせていると、馬車が停まった。屋敷の門が見え、薄い安堵が広がる。


「では、失礼します」


 形式的な言葉だけ残して馬車を降りた。兄が何も答えないのは予測済みだ。重い空気から逃げるようにして、早足で屋敷へと向かう。

 だから、背後で兄が面白そうに呟いた言葉が、耳に届くはずもなかった。


「……ロザリア・ヴァレンティーノか。面白い。少し、つついてみるか」




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