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推しの悪女の侍女になりました 〜断罪フラグ? 推し愛で全てへし折ります〜【書籍化・コミカライズ】  作者: 海城あおの
第三章 ダミアン過去編

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5.彼がついた嘘


ロザリア視点です。




 

 二週間後。

 私は「ノワール」の前に馬車を停め、窓の外を眺めていた。王都は夜の帳が降り、街灯の暖かい光が石畳を照らしている。

 ほどなくして、従者が馬車の扉を軽く叩いた。来客を知らされ、扉がゆっくりと開かれる。

 冬の訪れを感じさせるような冷たい空気に、そっと息を吐いた。

 馬車を降りると、濃紺のタキシードを纏ったダミアンがいた。


「すみません、お待たせして」

「いえ」


 差し出された手に、自分の手を重ねる。

 形式的な所作だと分かっているのに、なぜか指先が熱を帯びる。

 その熱が「アストレイヤの会」の記憶を呼び覚ました。


「私がダミアン様だったら、どう思われますか」


 あの時、素直に想像してしまった自分が憎い。そして反応を見せてしまった自分も。


(もう少しソレイユの足を強めに踏んでおくべきだったわ)


 そんなことを考えながら、私たちは店へと向かった。

 ダミアンの腕に導かれるように歩く。彼にエスコートをしてもらうと、とても歩きやすい。私の歩幅に合わせ、リズムも一定。私のドレスの裾が乱れぬよう、自然にリードしてくれている。

 ふと、ウッド系の香水が鼻をかすめた。

 私はダミアンの横顔を見つめる。栗色の髪はオールバックに撫でつけられ、端正な額のラインが街灯の光を受けて美しく際立っている。彼の横顔を盗み見ていると、グレーの瞳がこちらを射貫いた。心臓がびくりと跳ねる。


「どうかされましたか?」

「今日はいつもと香りが違うな、と」

「あぁ。実は、特別な日につける香りなんです」


 悪戯めいた笑みを浮かべるダミアンに、思わず心臓が縮まる。私は言い聞かせる。


(お酒が楽しみって言っていたから、きっとそのことよ)

(アンタが変なことを言ったせいで、変なことを考えちゃうじゃない)


 私は視線を逸らし、ここにはいない侍女に怒りの矛先を向けた。

 ソレイユはここ二週間、妙に忙しそうだった。

 仕事が終わった後、こそこそと屋敷から出ていく姿も見かけた。「ソレイユはいつも屋敷に引きこもっている」というのは、メイドたちの噂から聞いていた。珍しいこともあるものだと、彼女の後ろ背中を眺めた。

 その時、ふと胸の奥を冷たいものがかすめた。

 ソレイユには病弱の弟がいたはずだ。もしかすると家族の身に何かあったかもしれない。

 だが、彼女のことだ。私に心配をかけぬよう、打ち明けられずにいたのかもしれない。私は小さく決意する。


(帰ったら、話を聞いてみるべきね)


「ノワール」の前に到着し、黒服を着た従者たちが恭しく扉を開けた。

 ──そこには、信じられない光景があった。


「お待ちしておりました」


 出迎えてくれたのはカノンだった。こちらを見て、上品な微笑みを浮かべている。

 しかし私はある一点から目が離せなくなっていた。


「……何でソレイユがいるのよ?」


 店の奥で給仕をしていたのは、ここにいるはずのないソレイユだった。

 絶句しながら言葉を漏らすと、カノンは顔を輝かせた。


「実は二週間前に、『ノワール』で臨時で働きたいと希望を受けまして」

「そんな短期間で給仕できるはずないでしょう」

「そう思ったのですが、ソレイユさん、本当に優秀で。飲み込みが早くて、とても助かったんですよ。

 あと、何と言うのでしょうか……強い執念を感じましたね」


 小声で説明してくれるカノンの声を聞きながら、こめかみがズキズキと痛み始める。

 さっきまでソレイユを案じていた私の心配を返して欲しい。今すぐに。

 その時、ダミアンが不意に身を寄せてきた。


「流石、ロザリア様の侍女ですね」

「……っ!」


 低い声が耳元をかすめる。

 思わず息が詰まり、耳の先がかっと熱を帯びた。深みのある香りが、心拍を狂わせていく。

 私の反応に、ダミアンは心配そうな表情を浮かべた。


「大丈夫ですか?」

「はい……」


 ノワールは静寂に近い雰囲気で包まれている。

 グラスが触れあう微かな音と、客たちの囁くような声しか聞こえない。

 ダミアンは店の雰囲気に、配慮しただけなのだろう。分かってはいるが、それでも不意打ちはやめてほしい。

 カノンに案内され、店奥の席へと案内された。

 深いバーガンディの革張りの椅子に腰を下ろし、ちらりと視線を店内に巡らせた。

「ノワール」が盛況というのは本当らしい。どの席も埋まっていた。ただ席と席の間には十分な距離があるため、騒がしさは全くない。貴族たちは酒をゆったりと傾け、煙草をくゆらせながら、思い思いに会話を楽しんでいる。

 ダミアンはカノンに尋ねた。


「トリト国のウイスキーがあると聞いたんだが」

「えぇ、ありますよ。お持ちしますね」

「ロザリア様は?」

「同じものを」

「かしこまりました」


 カノンは小さく頭を下げ、その場を去った。

 店内に漂う煙草の煙を眺めながら、口を開く。


「煙草は吸われますか?」

「いえ。実は少し、苦手なんです」


 ダミアンは肩をすくめ、困ったように笑った。

 言われてみれば、彼が煙草を吸う姿を見た記憶は一度も無い。苦手だと言われ、納得がいく。

 同時に、胸の奥にかすかな痛みが走った。


(私は、何も知らないのね)


 ダミアンと出会って一年が経つ。

 真珠の流通や、ブランド模倣事件、様々な出来事を共にしてきた。しかしそれはあくまで「仕事上の話」にすぎなかった。彼の好きな香りも、苦手なものも、何も知らないと気づいてしまう。


「彼には人の心がない」


 マリエッタのセリフが記憶の底から浮かんだ。あのときは、被害妄想のようなものだと片付けた。

 だけど断言はできなかった。

 私はダミアンのことを何も知らないから。

 仕事上の関係。互いに踏み込みすぎない距離。

 本来それで──よかったはずだ。

 なのに、寂しい気持ちが湧き上がるのは何故なのだろう。


「お待たせしました」


 カノンの声で我に返る。

 彼女は切り子細工のグラスを二つ、テーブルに置いた。琥珀色の液体の中には透き通った氷が沈んでおり、蝋燭の光を受けてゆらめいていた。

 ダミアンはグラスを掲げ、唇に弧を描いた。


「ロザリア様。連れてきてくださり、ありがとうございます」

「いえ」


「乾杯」という声が、いつもより密やかで、思わずどきりとする。

 グラスに口づけると、薬草のような匂いが鼻を抜け、熟成されたウイスキーの芳香が追いかけてくる。

 ダミアンは満足げにグラスを揺らし、穏やかに微笑んだ。


「おいしいですね」

「えぇ。何だか薬草のような香りがするのですね」

「トリト国のウイスキーは、海辺で熟成を行っているんです。海藻や潮の香りが、木樽に染みこむと言われていますね」


 なるほどと感心して頷く。

 この一年、ダミアンと会話を重ねるたびに実感した。彼は単なる博識ではない。知識を積み上げ、体系化し、それを生かす柔軟さを持っている。

 私は人差し指にはめた真珠のリングに視線を落とした。

 きっと、ダミアンがいなければ「ロズ商会」はここまで大きくならなかった。

 何度も支えられ、何度も助けられてきた。

 感謝という言葉では言い尽くせないものが、胸の奥で疼いた。私は口を開く。


「詳しいのですね」

「酒は好きなので」

「トリト国に行ったことはあるのですか?」

「いえ、行ってみたいのですが、中々時間がとれなくて」


 ダミアンはグラスに口づけ、問い返す。


「ロザリア様はどこか行きたい場所などあるのですか?」

「行きたい場所ですか……」


 考えたことなどなかった。

 私の人生は、最初から決められていた。敷かれた道を、ただ前だけを見て歩くしかなかった。

 幼少期からアランの婚約者として教育され、周囲は「未来の王妃」として私を扱った。

 押し寄せる勉学と礼儀作法、そして重苦しい責務。息苦しさを感じなかったと言えば嘘になる。

 けれど、それが当然だと思い込んでいた。

 弱音を吐くことは、責務を放棄する弱さだと信じていた。だから私は、感情に蓋をして歩き続けていた。誰かが描いた人生の中を、淡々と、ただ歩いていた。


(そういえば、いつからだろう)


 私はドレスの上から右の太ももに触れた。

 辛いと感じたとき、思考を断ち切るために行っていた自傷行為。いつからか、自然とやらなくなっていたことに気づく。

 いつからだろうと考えて、あぁそうかと店内を見渡す。

 店の中央ではソレイユが給仕をしていた。私の視線に気づいたのか、こちらを見て小さく微笑む。なんだかいつもより機嫌がよさそうだ。


(ソレイユとダミアンに出会ってからね)


「ロザリア様?」

「すみません。そうですね……寒いところが苦手なので、暖かい場所へ行きたいですね」

「いいですね。行ったことがある場所だと、ノルダニア国という場所が暖かくてよかったですね」

「へぇ、どなたと行かれたんです?」


 軽い気持ちで聞いた質問だった。

 だが、ダミアンの表情がわずかに揺れた。一瞬だけ答えに詰まる。

 だがすぐに笑顔を取り戻し、穏やかな声で答えた。


「昔、友人と行ったんです」


 私は察する。マリエッタと一緒に行ったのだと。

 胸の奥で、何かがきゅっと縮む。ほんの針の先ほどの痛みなのに、妙に鮮明だった。

 静まり返った店内に、グラスの氷が微かに音を立てる。濃いウイスキーの香りが、現実の輪郭を曖昧にしていく。

 痛みがゆっくりと広がっていく。度数の強い酒のせいなのか、それとも──

 思考がうまくまとまらない。脳みそがふやけてしまったみたいだ。

 だからだろう。普段なら絶対にしなかった質問を、私は気づけば口にしていた。


「前の奥様とは、どのような関係だったのですか」


 言葉が落ちた瞬間、空気がぴんと張り詰める。

 ダミアンの顔が固まった。初めて見る顔だ。


「前の、妻ですか……」


 わずかに掠れた声で繰り返し、彼は視線を落とした。

 手に持ったグラスを見つめたまま、沈黙の中で言葉を探している。やがて丁寧にグラスをテーブルに戻した。

 その仕草はなんだか、まるで時間を稼いでいるようだ。

 取り繕うか、誤魔化すか、様々な感情が彼の中に渦巻いているのが分かった。私はまっすぐに彼を見据え、言葉を待ち続ける。

 ダミアンの灰色の瞳が、私を捉えた。真意を探るように。

 濃密な沈黙が、私たちを包んでいた。

 そしてようやく、彼は言った。


「優しい方でした。自分にはもったいないくらいの」


 胸が鋭く痛んだ。

 ダミアンが私に嘘をついたことに。


 サンベルク家のことは、ポルーノの件で関わり始めてから徹底的に調査していた。ダミアンとマリエッタの離婚理由も、その過程で当然把握している。

 不貞行為で離婚したはずの妻を「優しい人」などと形容するはずがない。

 そして彼も、私が調査していることは分かっていたはずだ。「調べる」という行為は、貴族社会における最も基本的な防衛手段だから。


(それでも彼は、嘘をついた)


 私に嘘が通じないと分かっていながら、あえて言葉を選び、嘘を選んだ。

 大きく、越えられない壁が作られた気がした。


(私なんかが、踏み込んでいい場所ではなかったのかもしれない)


 全ての音が遠くなった気がした。

 空間が薄膜に覆われたように静まり返る。

 ダミアンはグラスの底に見つめながら、ぽつりと独り言のように言った。


「……彼女と離れたとき、痛感しました。自分は、誰かを愛する資格がないのだと」


 低く、掠れた声だった。

 それはまるで懺悔のようで。胸がひどく締め付けられた。

 さっきの嘘が、ほんの一瞬でも彼の良心を痛めた証のように思えた。彼はとても優しい人だから。

 そんな彼が嘘をついてまで隠したかった理由が分からなかった。

 けれどその理由を、彼が教えてくれることはないのだろう。

 それがどうしようもなく寂しくて、痛かった。




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― 新着の感想 ―
ロケーションもさることながら、会話内容も「これぞ大人の恋愛」という雰囲気が漂っててなんというか…エロい…!! ソレイユは大丈夫なのでしょうか…? 会話内容まで聞いてるかわかりませんが、推しカプがこんな…
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