17.ルジェへの断罪
ルジェ視点です。
ある日の朝。学園の一室は、朝日を遮るように分厚いカーテンが閉じられており、暗く重たい空気だけが支配していた。
ソファーには桃色の髪を持つ美少女──フィローレが座っている。水色の瞳には一切の温度がない。
床に額を擦り付けるようにして跪くルジェを、冷たく見下ろしていた。
「作戦は完璧と言っていたわよね?」
「も、申し訳ございません! リリスが失敗して──」
「他人のせいにする人は嫌いよ」
フィローレは片足をわずかに上げ、ヒールの先をルジェの頭にねじ込むように押し込んだ。
ルジェは痛みでうめき声をあげるが、彼女の表情は変わらない。
「か、必ず! 次こそは! フィローレ様の期待に応えられる結果を──」
「そう」
フィローレは相づちを打った。
その相づちに何の期待も含まれていないことに気づき、ルジェはばっと顔をあげた。そして絶望する。
彼女の水色の瞳には、なんの関心も浮かんでいなかった。ルジェに対する期待も、興味も、微塵も残っていない。
ルジェの瞳にぶわっと涙が浮かぶ。
(嫌われてもいい、蔑まれてもいい。どうか、どうか、そんな目で見ないでくれ……!)
ルジェが一番恐れていた感情だった。心臓の鼓動が激しくなり、額には脂汗が浮かんだ。背中がじっとりと濡れていく。
フィローレはそれ以上何も言葉を発さなかった。
(ロザリアを、どうにかしなければ……)
彼女がいる限り、フィローレの目は二度と自分を見てくれないだろう。
ルジェは立ち上がり、部屋から逃げるように飛び出した。
部屋に残ったフィローレはぽつりと呟く。
「あの女、あまりにも原作と違いすぎる……」
静かな呟きが部屋を漂った。
その時、常にロザリアに付き従う、侍女の姿が浮かんだ。
「そういえばあの侍女……原作にはいなかったわね」
フィローレは呟く。
水色の瞳が、すうっと細められる。
「……邪魔ね」
冷たい囁きが、部屋に響いた。
*
部屋から飛び出したルジェは、大股で教室へと向かっていた。
「このままでは、フィローレ様に……嫌われてしまう……」
彼は呪文のように繰り返し呟きながら、歩を進める。
授業がはじまる直前だからか、廊下に人影はない。静寂だけが続いている。
「大丈夫、リリスは僕に惚れている……駒としてまだ使える……」
ルジェは自分に言い聞かせ、唇を引き結んだ。
「娼館で働け」とリリスに命じた一週間後、彼女は現れなかった。娼館で働くことに臆したのだろう。だったら強硬手段に出ればいい。
そして二人きりになったら、また優しくしてやろう。甘い言葉を囁き、美しいと褒め称え、彼女の飢えを満たしてやれば、リリスは再び駒として機能するだろう。そこまで考えて、ルジェの顔には静かな自信が滲んだ。
「成功すれば、またフィローレ様に……!」
気持ちを高揚させながら、廊下を歩いて行く。
彼女の膝の上に頭をのせて、優しく撫でてもらおう。機嫌が良ければ口づけももらえるかもしれない。
妄想が膨らみ、気分が高揚していく。明るい未来が見えてくるのを感じながら、教室の扉を勢いよく開けた。
その瞬間──冷たい視線が一斉にこちらを射た。
先週までにこやかに挨拶を交わしていたクラスメイトたち。しかし今はなぜかひそひそと冷たい視線を送ってくる。まるで汚物を見るような視線だ。
「よく来れたな……」
「……最低男」
自分にかつて好意の視線を抱いていた女たちでさえ、穢らわしいとばかりに目を向けてくる。
ルジェはその視線を気のせいだと言い聞かせ、明るく声をかけた。
「み、みんな、おはよう!」
目を細めて言えば、教室が静まり返った。ただただ冷たい空気だけが彼を取り囲む。
(何だ? 何故こんな視線を向けられる?)
ルジェは胸の奥でざわめく不安を押し込めながら、必死に状況を整理しようとしていた。
そこへ友人の一人がこちらに歩いてきた。怒りと困惑をぶつけるように口を開く。
「なぁ、ルジェ……お前って何人の女と関係を持っていたんだ?」
その問いに、ひゅっと息を呑んだ。
バレるわけがない。証拠を残さないように常に注意していた。自分はうまくやっていたはずだ。
ルジェは震える声を無理やり抑え込みながら「何のことだ?」と問い返す。平静を装ったが、力が入らず、うまく笑えなかった。
友人は呆れたように大きくため息をつき、説明を続ける。
「一昨日のパーティで、お前に弄ばれた女たちが洗いざらい喋ったらしいぜ」
「なっ……!」
「暴力を振るったこととか、娼館送りにしたこととか……本当に何も知らないのか?」
問われて、背筋に汗が流れ落ちた。きいん、と耳鳴りがする。
裏切るわけがない。彼女たちは、自分に心酔し、盲目的に従っていたはずだ。疑うことすらせず、自分の言葉を信じ、都合のいい駒として育て上げた。なのに何故──
そのとき、教師がやってきた。
異様な空気に気づいたのだろう、教室を見回しため息をつく。そしてルジェの方を向き合った。その視線には軽蔑の視線が浮かんでいる。
「ルジェ・モンフォール、今すぐ別室へ」
「なっ……! 僕が何したと……こんなデタラメな噂で……!」
「お前のお父上も、お越しだ」
死刑宣告に近かった。
もう逃げられないのだと悟ってしまう。
教室にいるクラスメイトを見渡す。今まで好意的な視線を投げてきたのに、手のひらを返すように軽蔑の視線を向けている。
その中で、ひとりだけ異彩を放つ女がいた。
紫の髪と、赤い瞳。彼女はこちらを見て、ほんの一瞬、唇の端を吊り上げる。
──体内で、何かが爆ぜる音がした。
胸の奥にこびりついていた怒りが、一気に燃え上がる。
「お前か……ロザリア……ッ!」
咆哮のような怒声が教室を揺らし、空気が一気に凍りつく。
「お前かあああああッ! この悪女があああああッ!!!」
手を伸ばした。
喉が裂けるほど叫んだ。
けれど、誰も動かない。
返ってきたのは、冷たい視線だけ。軽蔑と嘲りが混ざったその目が、皮膚の下まで突き刺さる。目の前の光景が滲んでいく。
「違う違う違う違う……僕じゃない……!」
声は掠れて、空気に溶けた。
教師がため息をつく。そしてルジェの腕を乱暴に掴み、そのまま廊下へと引きずっていく。
ロザリアは何も言わず、薄い笑みを唇に浮かべたまま、教室を去るルジェの姿をじっと見つめていた。




