3.ヒーローがそんな性格だなんて聞いていません
漫画やアニメで何度も見てきたが、やはり実物の破壊力は違う。あまりの眩さに目が潰れそうだ。
彼はロザリア様に気づくことはなく、馬車の中にいる誰かに向けて手を伸ばしている。「足下に気をつけて」という甘い声が風に乗って聞こえてきた。
そして馬車から降りてきた人物を見て、私の全身から血の気が引いた。
(まさか……!)
私の悪い予感は的中してしまった。
馬車から降りてきたのは、淡い桃色の髪を持つかわいらしい美少女。
やわらかな髪は肩にかかる長さで、ゆるやかなカールが優雅に揺れている。大きな瞳は澄んだ水色で、見る者すべてを吸い込むような輝きを放っていた。まるでおとぎ話から抜け出した妖精のようだ。
彼女が石畳に降り立った瞬間、足元が少しふらついた。
「あ……!」
「大丈夫か?」
アランは素早く美少女の体を受け止め、優しく抱き支えた。
その瞬間、隣にいるロザリア様が纏う温度が急激に下がった。ひいっ!と悲鳴を必死に飲み込む。
(ラブコメでよくあるシーンを婚約者の前でやるなああああああ!!)
私の絶叫もむなしく、アランと美少女は二人だけの世界に入ってしまっているのか、抱き合ったまま見つめ合っている。
そんな二人の元にロザリア様はヒール音を鳴らしながら、コツコツコツとまっすぐ歩いて行く。私は慌てて後を追った。
アランがロザリア様に気づくと、最初は目を見開いて驚き、居心地の悪そうな顔を浮かべた。彼の腕の中にいる美少女は明らかに怯えの色を浮かべ、小動物のように震えている。
「ごきげんよう、アラン様」
「……あぁ」
「フィローレ・ランシェ、いつまで人の婚約者にくっついているのですか?」
「あ、す、すみません……!」
そう、美少女の正体は「花キミ」のヒロイン、フィローレ・ランシェだったのだ。
ロザリア様は冷え切った声でアランを糾弾する。
「婚約者がいる身でありながら、別の女性と同じ馬車に乗るとはどういうことですか?」
ロザリア様が至極真っ当な意見をぶつける。
私はその通りだと内心首がとれそうなほど頷いて同意する。
アランは眉を寄せ、明らかに不機嫌な表情を浮かべた。そして反論するように口を開く。
「貴重な光の魔法使いをもてなすのは王家の役目だ」
「他にも方法があるはずです」
ぴしゃりと言い放つと、アランの額に青筋が浮かんだ。
フィローレはおろおろとアランの顔を見上げる。すると彼は一転して、彼女に向けて優しい微笑みを浮かべた。ロザリア様の雰囲気がさらに殺気だつ。
学園に向かう貴族たちも、三人の異変に気づいて視線を向け始めた。好奇心に満ちたざわめきが波のように広がり、遠目から様子をうかがっている。
注目が集まっている中、アランは鋭くロザリア様を睨んだ。
「君がそんな偏屈な女だとは知らなかった。フィローレの淑やかさを少しは見習え」
隣で息を呑む音が聞こえた。
そっと視線を向けると、ロザリア様は完全に凍りついていた。当然の反応だ。アランの婚約者として血の滲むような努力を重ねてきたのに、ぽっと出の女を見習えと言われているのだから。
彼女は拳を握り、わなわなと体を震わせた。彼女を纏う空気が困惑から怒りへと一変する。生徒たちが集まってくる。私の脳内で警報が鳴った。
(これは原作でもあった展開……!)
原作では、ロザリア様が嫉妬に狂ってフィローレを一方的に罵倒し、アランが騎士のように彼女を庇うという展開だったはずだ。
一部始終を見ていた私には、アランが百億パーセント悪いと分かる。しかし周りの貴族からは、ロザリア様が一方的に暴れているようにしか見えないだろう。
ここで口論になったら、ロザリア様が「悪女」認定され、断罪ルートに入ってしまう。
(それだけは絶対に駄目!!)
気づけば私は一歩踏み出し、声を張り上げていた。
「ロザリア様!」
ロザリア様が私の大声に驚いたように見つめる。
私はまっすぐ彼女を見据えて、声が震えないように意識しながら静かに告げた。
「約束のお時間が迫っております」
「……約束?」
「はい」
堂々と頷いたが、私の背中には一筋の汗が流れていた。緊張で手のひらが汗ばんでいく。
もちろん約束などしていない。この状況から抜け出すための、苦し紛れの嘘だ。
(お願いロザリア様、ここで怒ってはダメ!)
祈るようにロザリア様を見つめていると、彼女は視線を周囲に巡らし、ふっと肩の力を抜いた。
「……。えぇ、そうね」
「おい、メイドの分際で口を出すな!」
アランが声を荒げて叫んだ。私はメイドではなく侍女なのだが。ロザリア様に興味がない彼には些末なことなのだろう。
ロザリア様は沈黙を保ったまま、二人の脇を通り過ぎた。私も素早く会釈をして、彼女の後に続く。
その場から十分に離れたところで、ロザリア様の唇がかすかに動いた。耳を澄まさなければ聞こえないほどの、消え入りそうな声だった。
「……感謝するわ、ソレイユ」
*
ロザリア様が案内してくれたのは、静かな談話室だった。
この部屋は高位貴族のみが使用することができる特別な空間で、学園内でも限られた者しか立ち入ることができないらしい。
朝の時間帯は利用者が少ないのか、今いるのはロザリア様と自分だけだった。
部屋の隅に設置された簡易キッチンでカモミールティーを淹れ、ロザリア様の前にそっと置く。「どうぞ」と小さく声をかけると、彼女はカップを手に取った。
一口飲んだ後、ロザリア様は窓から登校してくる生徒たちを眺めながら口を開いた。
「頭に血が上っていたわ。貴族たちの前で言い争いなど見せてはいけないのに」
私は手に持っていたトレイを強く抱きしめた。
先ほどのアランとロザリア様が言い争うシーンは、原作でも存在した場面だった。しかし状況を振り返ると、全く別の事実が浮かび上がってくる。
アランとフィローレが同じ馬車から降りてくることなど、原作には一切描かれていなかった。
(全てはロザリア様を「悪女」にするため……)
どんなに影で努力をしても、アランの行動がどれほど不誠実でも、彼女が報われる日は来ない。彼女は悪役として描かれ、憎まれ、やがて処刑される──そんな不条理な運命を押しつけられたキャラクターだから。
ロザリア様は独り言のようにぽつりと言う。
「……アラン様を責めたのは、間違っていたのかしら」
「そんなことありません!」
私が否定すれば、ロザリア様は微笑んだ。見ているだけで胸が苦しくなるような笑みだった。
先ほどのアランの様子を見る限り、王妃の未来はほぼ絶望的だろう。このままではアランはフィローレを選び、ロザリア様の努力は無視され、踏みにじられてしまう。
(けど、私なら)
原作の展開を知っている私が動けば、ロザリア様を王妃にできるかもしれない。
(だけど──)
ロザリア様に怒鳴り散らすアランの姿が脳裏に浮かぶ。
あんな男のそばで生きて、ロザリア様は幸せになれるのだろうか。
「……王妃になる必要なんて、あるのでしょうか」
気づけばそう呟いていて、我に返る。不敬すぎる発言に慌てて「すみません!」と頭を下げた。
ロザリア様はティーカップをテーブルに置いて、苦笑した。
「生まれたときから王妃になるための教育を受けてきた。私にはそれ以外の道はないの」
「でも、ロザリア様ほどの方であれば、別の道も……!」
「私には何もないわ」
朝の光が窓から差し込み、彼女の横顔をやわらかく照らしていた。
ロザリア様は諦めたような寂しげな笑みを浮かべている。もう何も望まず、ただ静かに運命を受け入れようとしているかのような、切ない微笑みだった。
私は言葉を否定しようと、反射的に一歩前に踏み出した。その瞬間、ロザリア様の前にある椅子に膝をぶつけてしまう。衝撃で椅子の上に乗っていた鞄が落ちてしまった。
留め具が外れた鞄から、中身が床一面に散乱してしまう。
「す、すみません!」
慌てて謝り、散らばったものを拾い集めたその時、一冊のノートに目が留まった。




