8.ブランド名への想い
春の風が穏やかに吹く昼下がり。
私はロザリア様の姿を見て、黄色い声をあげた。
「素敵です、ロザリア様!」
「当然よ」
低めの位置でまとめたシニヨンに、星がモチーフのバレッタが輝いている。うなじが美しく露出され、大人の色気が漂っていた。
耳元では真珠のイヤリングが揺れ、三連の真珠のネックレスが胸元で存在感を放っている。主役の真珠を引き立てる黒のマーメイドドレスは、体のラインを描きながらも気品を保っていた。
セクシーかつ上品な装いに、倒れ込みそうになる。こんな美しいお姿を無料で見ていいのだろうか。一秒ごとに拝観料を請求しても良いくらいだ。
「準備はいい?」
「はい!」
私の後ろには紙袋を持ったメイドたちが並んでいる。皆、ブランドロゴ入りの紙袋を大切に抱えていた。
ロザリア様は満足げに口元をゆるめ、庭園へと向かった。堂々とした足取りには、ブランド発表への自信が表れている。
いよいよ、あの苦労して作ったブランドが披露されるのだ。私は感慨深い気持ちで、ロザリア様の後を追った。
晴れ渡った空の下、庭園には三十名ほどの招待客が集まっていた。
立食パーティ形式で、テーブルにはサンドウィッチやクッキーなど手軽に食べられるものが並んでいる。紅茶とシャンパンも用意され、優雅な午後のひとときを演出していた。参加者は女性がほとんどで、十代から五十代まで幅広い年齢層が集まっている。
ロザリア様が姿を現した瞬間、場の空気が変わった。招待客から歓声があがる。ロザリア様は笑顔で応えながら、彼女らを見渡せる位置まで歩き、振り返った。
「皆様」
ロザリア様は通る声で呼びかける。庭園の隅々まで届く、凜とした声だった。
「ご参加ありがとうございます。本日は『ロズ商会』の商品のお披露目をさせていただきます」
招待客たちは目を輝かせて聞き入っている。ざわめきが一瞬で静まり、全員の視線がロザリア様に集中した。
「そしてもう一つ
──新ブランドの創設を発表いたします」
庭園に驚きの声が広がった。ざわめきと期待が入り交じった空気が満ちる。
ロザリア様は私にちらりと目配せをした。合図を受け、私は前に進み出る。手に持った金縁の額縁を、招待客たちに向けて掲げた。
「新ブランド『ルストレア』です」
ロザリア様の声に熱がこもる。
額縁の中には『Lustrea』の文字と、女性の横顔と星をモチーフにしたブランドロゴが描かれている。
ロザリア様は先ほどよりも声に熱を込めて、言葉を続けた。
「ブランド名に込めたのは、古代語で光を意味する『ルスト』。そして我らが女神、アストレイヤ様の名前です」
そこで一度言葉を切り、ロザリア様は招待客たちを見渡した。
「エルフェリア王国を生きる私たちは、アストレイヤ様と共に生きてきました。彼女の言葉が、私たちを支え、導いてくれたのです」
そう言い、ロザリア様は額縁に目線を向けた。
「そして、『ルスト』はブランドの主役でもある真珠を表しています。
アストレイヤ様の加護と同じように、皆様の胸の内の光となって宿り続けるよう……そんな願いを込めました。
どうぞ本日は楽しんでいただけると幸いです」
ロザリア様が締めくくった瞬間、温かな拍手が庭園に満ちた。惜しみない拍手がロザリア様に注がれた。
彼女も感謝を込めて一礼をする。その姿さえも絵になる美しさだった。
私は額縁を持っていたため拍手できなかったが、心の中で最大級の喝采を送っていた。ロザリア様、素敵すぎます……!!
そして紙袋を持ったメイドや執事たちが、一斉に招待客のところへ向かった。
受け取った人たちの反応は様々だった。紙袋に描かれた「ルストレア」のロゴに見惚れる人、ブランドロゴ入り紙袋という発想に驚く人、待ちきれずに中身を確認し始める人……興奮が庭園に満ちていく。
ロザリア様の周りにも、次々と人が押し寄せてくる。額縁をメイドに託し、私も急いでロザリア様の傍に戻った。
三十代半ばの貴婦人が、温かい声で祝福した。
「ロザリア様。新ブランドの立ち上げ、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「紙袋にロゴを描くという発想も斬新で……」
ブランドの話が一段落すると、話題は商品そのものへ移った。
「随分とシンプルなデザインになりましたね」
「手に取りやすい価格を実現するため、デザインを見直しました」
「あら残念、開閉部分についていた真珠もない……あら?」
パウダーの容器を開けた瞬間、彼女の目が丸くなった。
ロザリア様はにこりと笑う。
「こちらの商品には、特別に調合した香料を加えております」
「まぁ素敵。薔薇の香りね」
招待客たちはうっとりとしながら答えた。
今回の新商品は価格を抑えるため、装飾を省き、パウダーの真珠の配合を減らした。そのため既存の商品と比べてしまうと、見劣りは避けられない。
だからこそロザリア様は、独自の魅力を加えることにした。香りという付加価値で差別化を図ったのだ。
ちなみにこの香りは、ロザリア様が愛用している香水とよく似ていた。つまりパウダーを使えば、ロザリア様と同じ匂いが纏えるのである。最高だな?
パーティの熱気が落ち着いたころ、一組の男女が近づいてきた。
中年の男性は恰幅が良く、いかにも成功した商人という風貌だった。隣の女性は十代後半くらいだろうか。男性とは対照的に、華奢でくりくりとした大きな瞳が愛らしい。薄いピンクのリップが、清楚な印象を与えている。
(あの女性、学園で見たことが……)
記憶を探っていると、男性がロザリア様に話しかけた。
「いいパーティですな」
「ありがとうございます。グレモア様」
「今日は勉強のために娘をつれてきたんだ」
「お初にお目にかかります、ロザリア様。リリス・グレモアと申します」
上品に膝を折り、リリスは可憐な笑顔を見せた。
グレモア伯爵家──その名前を聞き、記憶が蘇る。薬草やスパイスなどの貿易事業で、財を成した家。セルドア様とも深い取引関係にあったはずだ。
リリスは興奮した様子で、前のめりになって言った。
「こちらの商品、とても素敵ですわ!」
突然の熱烈な反応に、ロザリア様は一瞬目を瞬かせたが、すぐに優しい笑みを返す。
リリスは興奮冷めやらぬ様子で続けた。
「真珠の配合は控えめにして、代わりに香りで差別化を図る……素晴らしい戦略ですわ! あとこちらの容器! シンプルにしたことで、かえって洗練されていて……」
そこでリリスは我に返ったようだ。「す、すみません! 熱くなってしまいました……」と慌てて深々と頭を下げた。商談の場で、興奮してしまったことに顔を真っ赤にしている。
父親は苦笑を浮かべながら、娘を庇うように言った。
「申し訳ございません、娘は化粧品となると我を忘れまして。今日も絶対に参加したいと縋られたんですよ」
「お、お父様!」
「ふふ、嬉しいですわ」
リリスの顔が、さらに真っ赤に染まった。
ロザリア様は穏やかに話しかける。
「リリス様は、化粧品がお好きなのですね」
「はい! 実は私、昔から引っ込み思案で……だけど化粧をした瞬間、力をもらったような気がしたんです」
「分かりますわ」
ロザリア様は同意するように頷く。
そしてリリスが持っていたパウダーを見つめながら、微笑んだ。
「この化粧品も、使う人の背中を押せるような存在になってほしい。そう願っています」
「なれます! 絶対に!」
リリスは拳を握り、力説した。しかし、すぐに我に返る。
「すみません……ロザリア様に失礼な態度を……」
恐縮して小さくなるリリス。
しかしロザリア様は、くすりと優しく笑った。
「えぇ、ありがとうございます」
リリスはロザリア様の言葉に、顔を輝かせた。
そうして「ルストレア」のお披露目と新商品の紹介は、多くの注目を集め、無事に成功を収めたのだった。
ダミアンはパーティーをあえて欠席しています。
二つの公爵家が参加すると、招待客がそわそわしちゃうためです。




