4.私の推しはなんてカッコいいのだろう
ある休日の昼下がり、私は命じられた。
「ソレイユ、今夜パーティへ行くからエスコートしなさい」
「はい!
………………………………え?」
えっとそれはつまり。私が状況を把握するより先に、ロザリア様が指を鳴らした。
ヴァレンティーノ家のメイドたちが颯爽と現れる。
「連れて行きなさい」
「かしこまりました」
「こ、心の準備が~~!!」という私の叫びは一切無視され、別室へと連れて行かれた。
そして二時間後──
「似合ってるじゃない」
「……恐れ入ります」
全身を襲う疲労感にややぐったりしながら、私は答えた。
鏡の中には、ネイビーのタキシードを着た私の姿が映っている。メイドたちの腕があがっているのか、前回よりも男性らしさが増している気がした。
それにしても、さらしをキツめに巻かれているため呼吸がしづらい。近くにいたメイドに小声で不満をぶつける。
「胸を潰すためとはいえ、キツく巻きすぎじゃない?」
「え? 胸? 姿勢をよくするためよ?」
ソレイユのおっぱいに尊厳はないのか。
悲しみに打ちひしがれていると、不意に名前を呼ばれた。
「ソレイユ」
名前を呼ばれると、胸元に何かが留められた。
視線を落とすと、ネクタイにピンが差し込まれている。銀色の台座に、虹色の光沢を持つ美しい真珠が一粒、誇らしげに輝いていた。
そしてポンっと胸元辺りを一度だけ叩かれる。ロザリア様は上目遣いで微笑んだ。
「ふふ、いい男」
妖艶に笑うロザリア様に、くらっと目眩がする。
全身の血流が沸騰して、鼻から飛び出そうだった。思わず鼻の頭を押さえる。
ロザリア様が怪訝そうな顔で尋ねてくる。
「何してるの?」
「……とんでもない量の鼻血が出そうで……」
真面目に答えたのだが、ロザリア様には呆れたような視線を向けられてしまった。
*
パーティ会場は想像よりも大規模だった。
煌びやかなシャンデリアの下、ホールには人が溢れている。さらに前回のパーティは学園に通う生徒が中心だったが、今回は違う。老若男女が入り混じり、年齢層も身分もバラバラだ。
ガチガチに緊張している私とは違い、ロザリア様は完璧だった。
どんな相手にも臆せず、堂々と振る舞っている。今は、老婦人がロザリア様のネックレスに興味を持っているところだった。
「それが噂の真珠ね。まぁ、とても綺麗ね」
「恐れ入ります」
「他に面白い商品はないのかしら?」
「それでしたら彼がつけているピンなんかはいかがでしょう」
洗練された仕草で、私のネクタイピンを指し示す。
老婦人は目を丸くした後、すぐに目を細めて笑った。
「いいわね、これ。主人の贈り物にもぴったりだわ」
「えぇ」
「あぁでも、最近主人の横幅が広くなってきて。豚に真珠かしら」
老婦人の軽口に、ロザリア様もくすっと笑う。和やかな雰囲気の中、他の商品も紹介し、老婦人は満足そうに微笑んだ。去り際に振り返る。
「『ロズ商会』の商品、これからも楽しみにしているわ」
「はい、ありがとうございます」
老婦人と別れた瞬間を狙い、私は近くにいたウエイターを声をかけた。シャンパンのグラスを二つ受け取り、ロザリア様に渡す。
「どうぞ」
ロザリア様はグラスを受け取り、一口だけ飲んで喉を潤した。
遠ざかる老婦人の背中を眺めながら、ぽつりと呟く。
「『ロズ商会』だと味気ないかしら……」
何のことか分からず首をひねっていると、二人の令嬢たちが近づいてくるのが見えた。
彼女たちの顔と名前が一致した瞬間、私は「ゲッ」という声が喉まで出かかったが、何とか飲み込む。ロザリア様も私と同じことを思っているのだろう。先ほどまでの自然な笑顔が、明らかに作り物の笑顔に変わった。
彼女らは私たちの前で立ち止まり、挨拶を述べた。
「ご機嫌よう、ロザリア様」
「ご機嫌よう。何かご用です?」
「早く帰れ」と言わんばかりの淡々とした声で、ロザリア様は挨拶を返す。すると令嬢たちは、見下したような笑みを浮かべた。
「いえ? ただ未だに元婚約者に未練があると聞いて、本当なのか確かめにきたんですの」
「そうですか、随分と暇でいらっしゃるんですね」
ロザリア様は言葉に棘を織り交ぜ、打ち返した。しかし令嬢たちの顔は全く動じない。
普通だったら、公爵令嬢に面と向かって悪意のある言葉を吐くものはいない。それは社会的な死を意味するからだ。
しかし、彼女たちは例外だった。メントリア派の傘下にいる者たちだからである。
極端な排他主義であるメントリア派閥。その結束力は宗教的とも言える。しかも派閥の規模が大きすぎて、ヴァレンティーノ家でも簡単に手出しはできない。
まとめると、ひたすら面倒くさい連中ということである。
令嬢の一人が扇を広げ、口元を隠す。
「フィローレ様も心を痛めておりますわ。お可哀想に……」
(なぜ急にフィローレの名前が?)
私は眉をしかめたが、すぐに原作の設定を思い出した。
フィローレは光の魔法使いだ。その力は、アストレイヤ様の加護の力と信じられている。教会派の人々にとっては、彼女は選ばれし者、聖女も同然の存在だった。
メントリア派は教会の中核勢力。当然、フィローレを女神の化身のように崇めている。
(確か原作だと、フィローレが平民なのに光魔法を使えることで揉めて、反対派と争った後に和解する展開があった……)
だけど彼女たちの様子を見る限り、この世界ではすでに教会派がフィローレを支持しているのだろう。いつの間にそんな支持を受けるまでになったんだと考えていると、令嬢たちの失礼な言葉が聞こえてきた。
「ロザリア様って魅力的ですものねぇ」
「今日も別の男性を連れていらっしゃいますし」
「少しは落ち着かれたらいかがです?」
耳が腐るような言葉たち。私は拳を固く握りしめ、こみ上げる殺意を必死に抑えた。侍女の立場じゃなければ、今すぐにでも飛びかかって殴ってやるのに!
その時、ロザリア様が静かに息を一つついた。そして、持っていた扇をパシッと音を立てて閉じる。その音に、令嬢たちがびくっと肩を震わせた。
ロザリア様は閉じた扇で、左側にいた令嬢の胸元をつついた。
「グレイヴ伯爵令嬢、『少し落ち着かれる』のは貴方の方じゃなくって?」
「な、何のことですか」
「あら? クロフォード伯爵とのご関係、覚えがありませんか?」
そして、もう一人の令嬢にちらりと視線を向ける。
すると彼女は驚愕の表情を浮かべた後、顔を真っ赤にした。怒りで鼻の穴を膨らませ、今にも飛びかかりそうな勢いで、相手を糾弾し始める。
「エリシア! まさかアンタ、人の婚約者に手を出したの!?」
「そ、そんなことしてない!」
「そうなのですか? 一昨日、仲睦まじく会員制のサロンへ入っていく二人を見たと聞きましたが」
「一昨日って……私の誕生日なのに、二人とも予定が入ったと言ってたわよね。まさか……!」
「ち、違う! あっちから声をかけてきて……」
「はぁ!?」
突然、目の前で仲間割れが勃発した。二人ともパーティ会場ということを忘れ、口々に罵り合っている。その醜い争いに、会場の注目が一斉に集まり、好奇の目が注がれはじめた。
ロザリア様は扇を広げ、冷ややかに言い放った。
「情報戦でヴァレンティーノ家に勝てるだなんて、随分と甘く見られたものね?」
(か、かっこいい~~~~~~!!!!)
私は心の中で絶叫しながら、冷たく令嬢たちを見下ろすロザリア様に崇拝のポーズをとっていた。
私の推しはなんてかっこいいんだろう。あれほどの侮辱を受けても、暴力に訴えることなく、言葉で切り返す。品格を保ちながら、相手を完全に圧倒している。その凜とした姿に、私は改めて惚れ直した。
すると令嬢たちはキッとロザリア様を睨みつけ、捨て台詞を吐いた。
「好き勝手に振る舞えるのも今のうちですわ!」
そして令嬢たちは去って行った。まるで嵐のようだ。好き勝手に振る舞っているのはそっちの方でしょうが!と心の中で塩を撒く。
ロザリア様は令嬢たちが去って行った方に目線を向けた。
「この様子だと噂は社交界まで回っていそうね……」
声には、隠しきれない疲労と怒りが滲み出ていた。
婚約破棄のあと、あれほど根回ししたというのに、水泡に帰してしまったのだ。ロザリア様を守るため、セルドア様も奔走したというのに。そんな声も出したくなるだろう。
私は励ますようにして優しい声を出す。
「根も葉もない噂はいずれ消えます」
「わかっている、わ……」
ロザリア様が何か言おうとして、急に凍りついた。まるで時が止まったかのように体が固まっている。
何事かと視線を追うと、遠くの方で一人の男性が談笑していた。周りより頭一つ分くらい高い身長と栗色の髪。その見慣れた姿に声をあげそうになる。
(ダミアン……!)
先ほどの迷惑二人組令嬢が近づき、彼の周りに群がろうとしていた。嬉しそうに話しかける彼女たちに、ダミアンは穏やかに対応している。
ロザリア様の纏う雰囲気が変わった。扇を握る指先が、かすかに震えている。
私は思わず名前を呼んだ。
「ロザ……」
「……少し風にあたってくるわ」
ロザリア様はそれだけ言うと、足早にパーティ会場を去ってしまった。
「ロザリア様!」
名を叫び、慌てて追いかける。その時、誰かの視線を感じて目を向けると、ダミアンがこちらを見ていた。何かを察したように、心配そうな目で私を見つめている。
私は助けを求めたい気持ちを抱きながらも、首を横に振った。
(今、私がやるべきことは──ロザリア様のお傍にいること……!)
私は視線を振り切り、ロザリア様の背中を追いかけた。
お読みいただきありがとうございます。
本日より、第二章完結まで毎日更新していきます!
ロザリアとソレイユが、大きな試練に立ち向かう章です。
誰が敵で、誰が味方なのか──
真実が少しずつ明かされていくので、
ぜひ最後まで一緒に見届けていただけたら嬉しいです。
☆☆☆☆☆評価やブクマでの応援、励みになっています。
いつもありがとうございます!




