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2.ロザリア様の制服姿は国宝である

 

 専属侍女に任命されて二ヶ月。

 梅雨が明け、夏の日差しが厳しい季節がやってきた。

 メイドから専属侍女への昇進、これが一般企業だったら嫉妬の的になっていただろう。だが、この世界で待っていたのは──


「ソレイユが辞めるまであと一ヶ月ってところかしら」

「じゃあ私は、残り二週間に銀貨三枚」

「私は銀貨五枚」


 賭博の対象になっていた。

 休憩室で賭博に勤しんでいるメイドたちに声を張り上げる。


「人の退職時期で博打を打たないでください!」

「いやいや、ロザリア様の侍女って全員三ヶ月持たないのよ? 賭けるしかないでしょ。もはや伝統よ」

「嫌な伝統だぁ……」


 私が専属侍女に選ばれてから、休憩室は毎日、カジノかと思うくらい盛り上がっていた。

 休憩時間が終わった同僚のメイドたちは、椅子から立ち上がる。


「地獄みたいな毎日で大変だと思うけど、頑張って」


 同情のこもった視線と肩ポンを浴びせられるが、私は内心叫んでいた。


(むしろ毎日が天国なんですけど!?)


 たとえば今朝──


「ソレイユ、髪を結いなさい」

「はい!」


(うあああああ、ロザリア様の御髪がサラサラすぎる!!)


 鏡台の前で、私は恍惚としながら木製のコームを滑らせていた。紫の絹糸のような髪が、するすると指の間を抜けていく。この艶、この滑らかさ、この光沢。今すぐ国宝認定して欲しい。


「手が止まっているわよ」

「申し訳ございません!」


 ロザリア様の声で我に返る。

 慌ててサイドの髪をとり、ゆるく編み込んだ。髪型をセットし終え、アクアマリンのバレットで留める。夏の海を閉じ込めたような宝石が、朝日に照らされてきらりと輝いた。


「香水もつけてよろしいでしょうか?」

「えぇ」

「では、白花の香水を。雨上がりの朝によく映えますので」


 鏡台の上から二段目の引き出しを開け、小さなガラスの香水瓶を取り出す。

 耳の後ろに一吹きかけると、ふわりと華やかな香りが広がった。ロザリア様の赤い瞳がほんの一瞬だけゆるんだ……気がした。


「悪くないわ」


(「悪くない」=最高の賛辞!)


 推しからの賛辞をいただけた喜びに打ちひしがれながら、クローゼットへ向かう。

 扉を開き、ドレスを取り出す。深い漆黒の生地に、鮮やかなロイヤルブルーの刺繍が施されているデザインだ。腰にはロイヤルブルーのサテンリボンが縫い付けられている。


「本日はこちらなどいかがでしょう?」

「……」

「ロザリア様?」

「あなた、時々妙に鋭いわよね。頭の中が覗かれているみたい」

「推しのことなら……いえ、職務として最善を尽くしているだけです」


 慌てて咳払いで誤魔化す。

「アクアマリンのバレッタ」「白花系の香水」「ロイヤルブルーのドレス」これらはロザリア様が、夏に気に入っている組み合わせだった。「花キミ」のファンブックを隅々まで読み込み、ロザリア様の幸せを四六時中考えていた私に死角はない。


 ちなみに専属侍女になった当初は、不機嫌なロザリア様から水をかけられたり、平手打ちを食らったりした。だがどれもご褒美だったので何も困らなかった。

 そして梅雨が終わってからは、不機嫌な日も少なくなり、手を出されることが減った。


「もっと叩いてくださってもいいのに……」

「なんか今、気色悪いこと言わなかった?」

「いえ! 何も!!」


 笑って誤魔化し、私はロザリア様を玄関までお見送りした。



 *



 翌日、夜十一時。

 ホットミルクを入れたティーポットと共にロザリア様の部屋へ向かう。深夜の屋敷は静寂に包まれ、廊下には私の足音だけが響いている。

 部屋に到着し、軽くノックをしたが返事はない。

 そっと扉を開けて入ると、室内の一角で、ロザリア様は机に向かって黙々とペンを動かしていた。


「王国歴182年……アストレイヤ様……王家の象徴として……」


 内容を聞く限り、建国史の勉強をしているようだ。年号や人物名を必死に暗唱している。

 その時、何か解答を間違えたのか、苛々と髪の毛をかきあげた。


「違う、違うわ……駄目よ、間違えてはいけないのに……」


 鬼気迫る表情でそう呟いたロザリア様の瞳は、焦燥と恐怖に揺れていた。

 完璧でなければならない。

 一つの過ちさえ許されない。

 そう自分に言い聞かせるように、彼女はおもむろに左手を太ももへと伸ばし、次の瞬間──自らの肌を強くつねり上げた。

 ロザリア様の顔が痛みで歪む。


「ロザリア様っ!」


 反射的に叫んで、私はトレイを放り出すように机に置いた。


「失礼します!」


 有無を言わさず、シルクの部屋着の裾をめくりあげた。そこで見たものに言葉を失う。

 ロザリア様の白い太ももには、紫色の痣が転々と広がっていた。

 古いものも新しいものもあり、明らかに何度も自分を傷つけた跡だった。私はぐっと声を詰まらせる。

 ロザリア様は私の行動に特に何も言わず、机上の小さな銀の置き時計を見て、ぼんやりと呟いた。


「……あぁ、もうこんな時間」


 言葉には疲労が滲んでいた。

 この様子だと学園から帰られてから休むことなく勉強を続けていたに違いない。

 私は痛々しい痣を隠すように、そっと裾を下ろした。涙が出そうになるのを必死に堪えて、立ち上がる。


「あとで手当します。まずは休憩されてください」


 ホットミルクをカップに注いで、ロザリア様の前に置く。彼女は一口飲み、小さく吐息を吐いた。そのかすかな安堵の息に、再び泣きそうになってしまう。


 二ヶ月侍女として働いて分かったのは──ロザリア様は努力家だということ。それも異常なほどに。

 ヴァレンティーノ公爵家の一人娘と生まれ、次期王妃候補として期待されるロザリア様。彼女の小さな体には、重い責任がのしかかっている。


 王家からの期待、父からの要求、社交界からの視線──

 ロザリア様はそれら全てに、身を削るような努力で応え続けてきた。


 朝方になるまで勉学に励み、休日は家庭教師が入れ替わり立ち替わり訪れ、貴族マナーや外交術などを学ぶ。それでも学園では完璧な令嬢を演じ、屋敷でも弱みを吐くことは許されない。公爵家という家柄のせいで苦労を分かち合えるような友人もいない。

 既にロザリア様の心は限界だったのだろう。外から見えない部分の自傷行為がそれを物語っていた。


(こんな姿、原作では描かれていなかった……)


 原作で描かれていたロザリア様は、公爵家の権力を笠に着て、傲慢に振る舞う悪女だった。ヒロインを排除するためなら手段を選ばず、残忍な計画も躊躇なく実行する。

 善良で愛らしいヒロインをより輝かすための対照的な配役──それがロザリア様に与えられた役だった。

 彼女の太ももに薬を塗りながら、唇を噛みしめる。


「……弟の治療費は大丈夫なの?」


 突然の質問に、我に返ってロザリア様の顔を見上げた。

 ソレイユには病弱の弟がいる。そのことだと分かり、慌てて明るい表情を作って返事をした。


「はい! 専属侍女にしていただいたおかげで、給金も増えましたから!」

「そ」


 それだけ言って、ロザリア様は再びカップを口に運んだ。

 ソレイユの家は子爵家という肩書きがあるものの、国の西端に小さな領地があるだけで、決して裕福な貴族とは言えなかった。ソレイユは病気がちな弟の治療費を稼ぐため、ヴァレンティーノ家のメイドとして働き始めたのだ。


(気にかけてくださるなんて……!)


 一見冷たく見えるロザリア様が、ほんの少しだけ垣間見せる優しさに胸が熱くなる。

 薬を塗り終わって片付けしていると、ロザリア様は思い出したように言った。


「そういえば、言い忘れていたわ」

「?」

「明日、学園へ一緒に来なさい」

「え」

「要件はそれだけよ。出て行ってくれる?」


 詳しく聞けずに部屋から放り出されてしまった。


(学園……ということは、ロザリア様が登園されている様子が見れる……ってこと!?)


 そして翌朝──


「美しすぎます!」

「うるさいわね」


 生きててよかった。いや、死んで転生してよかった。

 馬車に乗って共に登園する私とロザリア様。

 いつもは屋敷でお見送りするだけなので、一緒に馬車に乗れるのは新鮮だ。


「明日から夏期休暇で持ち帰りの荷物も多いから連れてきたけど、うるさいなら捨てていこうかしら」

「ひい! 申し訳ございません!!」


 ロザリア様が通う「エルフェリア王立学園」では、侍女やメイドの帯同は基本的に許されていない。部外者の出入りを制限することで、学園の秩序を保っているのだ。しかし何か事情があり、事前に許可をとれば同行も可能らしい。

 私は怒られないように、ロザリア様の制服姿をそっと見る。

 黒を基調にしていたブレザーは、襟元と袖口の赤いラインが印象的なデザインだった。ジャケット下のワインレッドのベストは、ロザリア様の体のラインに沿って仕立てられ、細いウエストを強調していた。襟元を飾るのは、深紅の生地に白いラインの入ったリボン──二年生の証である。

 プリーツスカートにも赤いラインが施され、上品な華やかさを放っている。そしてスカートから伸びる美しい脚は透け感のあるニーハイソックスに包まれ、黒レースが魅惑的なアクセントになっていた。

 

(ああああ美しすぎます! 踏まれたい!!)


「……制服姿なんて毎日見てるでしょ」

「それでも馬車の中で見るのはまた違う感動と言いますか……!」


 拳を握って力説すると、まるで虫けらを見るような視線を受けた。

「馬鹿ね」と小さく呟いて、馬車の外へと視線を移してしまう。


「……でもアンタが来てくれてよかった」

「?」


 何のことか分からず首を傾げる。

 ロザリア様のセリフの意味が分かったのは、学園に到着してからだった。


「わぁ……!」


 馬車を降り、石畳に足を卸した瞬間、思わず声をあげた。

 目に飛び込んできたのは赤褐色のレンガで築かれた荘厳な校舎だった。長い歴史を刻んだ壁には蔦が緩やかに絡まり、歴史と格式を静かに物語っている。大理石の柱に支えられた正門のアーチにはエルフェリア王立学園の紋章である、双頭の鷲と王冠が輝いていた。

 国の未来を担う生徒たちが、規律正しい足取りで正門をくぐっていく。

 作品でしか見たことがなかった学園が、今目の前にある。私は感激で立ち尽くし、言葉を失っていた。


「楽しい風景ってもんでもないでしょ」

「そんなことありません!」


 否定すると、ロザリア様は「ふ」と少しだけ口角をあげた。

 しかしその穏やかな表情が石のように固まってしまう。

 彼女の視線を辿った先には、純白の豪華な馬車が停まっていた。車体に描かれていた紋章を見て、ある人物の存在が頭に浮かぶ。


(あれは……)


 馬車の扉が開き、一人の美しい男が降りてきた。

 陽光のような金色の髪に、深い森を思わせるエメラルドグリーンの瞳。洗練された所作と全身から醸し出る高貴なオーラ。


(アラン・グランセール!)


 紛れもない「花キミ」のヒーロー。

 そしてロザリア様の婚約者にして、彼女を断罪する張本人だった。




次回、婚約者アランの本性がついに……!?



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