表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
推しの悪女の侍女になりました 〜断罪フラグ? 推し愛で全てへし折ります〜【書籍化・コミカライズ】  作者: 海城あおの
第一章 婚約破棄編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/38

16.婚約破棄


ロザリア視点です。





 パーティー当日。

 車輪の音を聞きながら、窓の外に流れる風景をぼんやりと眺めていた。


「ロザリア様、到着しました」


 従者が馬車の扉を開けて声をかけた。気が重くなるのを感じながら、自分に言い聞かせる。


(しっかりしなさい、ロザリア・ヴァレンティーノ)


 黒塗りの馬車から降り立つ。

 その瞬間、悪意のこもった視線が突き刺さった。周りの貴族たちが、エスコートもつけずに現れた公爵令嬢を、まるで見世物のように眺めていた。

 やがて大扉の前に到着すると、従者が声を張り上げる。


「ヴァレンティーノ公爵家ロザリア様のご到着です!」


 名が告げられた瞬間、会場のざわめきはぴたりと止んだ。

 賑やかだった談笑が嘘のように消え、張り詰めた静寂が広がる。

 そして次に起こったのは、押し殺したような嘲笑のざわめきだった。耳に届くたび、胸の奥がきゅっと締めつけられる。


「まさか本当に一人で?」

「まぁ哀れなこと」

「婚約者に捨てられたのかしら」


 わざとらしい同情と侮蔑が入り交じった声が、あちこちから響いてくる。

 私は聞こえないふりをして、堂々と会場の中心へと進んだ。

 歩みを進めるたびに、周囲の貴族たちは潮が引くように道を空け、私の周囲だけが不自然なほどぽっかりと空く。


 あからさまな悪意に、胸の奥で苛立ちがざわついた。心を落ち着かせようと、私はパーティから帰った時のことを考えた。


(まずソレイユにミントティーを淹れてもらいましょう。きっと到着するのは夜中だけど、スコーンも焼いてもらって。リンゴのコンフィチュールもたっぷり添えましょう)


 それから明日はダミアンとの報告会もある。売上げの数字を確認して、今後の戦略を考えて──そこまで考えて、不意にあの日の記憶が蘇ってきた。

 立ちくらみを起こし、ダミアンに抱きしめられた日のことを。

 たくましい胸板に支えられ、太い腕にしっかりと抱きかかえられた感触。そして穏やかなグレーの瞳で見つめながら、「大丈夫ですか」と本当に案じてくれた優しい声。


 頬がじんわりと熱を帯びていく。

 初めて会ったとき、正直言えば頼りなさそうに見えて、「こんな人物に公爵家の仕事が務まるのか」と内心疑っていた。ソレイユがいなければ、きっと関わることもなかっただろう。

 けれど──蓋を開けてみれば、ダミアンは驚くほど有能だった。

 魚の仕入れルートの確立、真珠ビジネスの基盤づくり。あらゆる人脈を駆使して交渉に臨み、すべてを完璧にこなしてくれた。私は幾度となく彼に助けられたのだ。

 それなのに、自分の功績としてひけらかすことは一度もなかった。

 むしろ私のささやかなアイデアにも「流石です」と心から感心してくれた。「公爵令嬢ならできて当然」などと冷たく言い放つことも、決してなかった。

 

 ──この人になら、頼ってもいい。

 生まれて初めて、心からそう思えた。


 私はずっと、一人で立ち続けなければならないと信じていた。

 どれほど傷つこうとも、心が折れそうになっても、ただ前を向いて歩いていくしかないのだと。


(でも、違う)


 カゼッタでの夜が、まるで昨日のことのように浮かんでいた。

 あの店は、機会がなければ一生踏み入れることはなかっただろう。信じられないくらい狭いし、汚いし、うるさかった。油でべたつくテーブル、煙草の匂い、客たちの大声。揚げ物を手づかみで食べるなんてと、意地汚いと本来なら眉をひそめていただろう。

 だけど、本当に楽しかった。

 賑やかな店内で、ダミアンが私の耳元に顔を寄せて囁いた。確か、タコの唐揚げが運ばれた時だった。吐息がかかり、心臓が跳ね上がったのを今も覚えている。


「実は子どもの時、釣りをしていたらタコが足に絡みついて。それ以来ちょっと苦手なんです」


 真剣な顔で打ち明けるダミアン。少年が海でタコに絡まれて、あわあわと慌てている姿が目に浮かんで、思わず吹き出してしまった。私が笑うと、彼も照れたように、でも嬉しそうに笑ってくれた。


「私にも教えてください!」


 ソレイユが珍しく大声を張り上げた。騒がしい店内でも聞こえるように、必死に身を乗り出している。その必死さが面白くて、私とダミアンは顔を見合わせた。


「秘密です」


 ダミアンが悪戯っぽく人差し指を立てて言うと、ソレイユはちょっとだけ唇を尖らせた。「ひどいです!」という小さな抗議に、ダミアンはぷっと吹き出した。次に私も耐えきれずに笑って、最後にはソレイユもつられて笑った。

 三人で肩を寄せ合い、エールのジョッキを掲げながら、私たちは笑い合った。

 あんな日が毎日続いて欲しいと、本気で思った。

 私は一人じゃない。そう思えたのは、生まれて初めてだった。


「アラン・グランセール第一王子の入場です!」


 場内に響き渡った呼び声が、私を現実へと引き戻す。

 フィローレと腕を組み、仲睦まじげに入場する。寄り添い合い、時折視線を交わしながら会場を進んでいく。

 私の登場時には一切起こらなかった拍手が、盛大に沸き起こった。この露骨な差別も、アランが仕組んだ演出の一部なのだろう。

 そして二人は、なぜか一直線にこちらへと歩みを進めてきた。周囲の招待客たちは、面白そうに目を光らせながら遠巻きに見守っている。まるで見世物小屋の観客だ。

 二人は私の前で立ち止まった。

 アランは勝ち誇ったような顔を浮かべ、フィローレは哀れみを含んだ視線で私を見下ろしてくる。

 けれど、私の心は凪いでいた。怒りも悲しみも、何一つ湧いてこない。無表情のまま、ただ静かに二人を見返した。


「ロザリア」

「ごきげんよう、第一王子殿下」


 名前を呼ばずに返せば、彼の口端がぴくりと震えた。

 怒鳴り返してくれれば、パーティを出る口実になるかと思ったが、彼は怒りを抑え、代わりに嫌味を吐き出してきた。


「エスコート役もおらず、一人での参加とは。さぞかし寂しいことだろう」


 わざとらしい憐れみを込めた言い方だ。周りの貴族からプッと吹き出す音が聞こえる。私は涼しい顔で答えた。


「あいにく、招待客リストの中には私に見合う方がいらっしゃらなかったので」


(アンタを含めてね)という皮肉を、言葉の裏に潜めて言い返す。

 周りの空気が一瞬で殺気立つ。メントリア派の貴族たちの敵意が立ちこめた。

 だが怯む必要はない。こんな敵意など日常茶飯事だ。重要なのは、ヴァレンティーノ公爵家の威厳を保つこと。ここで私が折れれば、明日の社交界は「公爵家の没落」と面白おかしく噂が広まってしまう。私は前だけを向いて、堂々としていればいい。

 アランは私の返事に顔を歪ませたが、はっと馬鹿にしたように息を吐いた。


「商会を立ち上げたそうだな」

「えぇ」


 何を言われるのか身構えていると、とんでもないことを言い出した。


「その運営権を俺に渡せ」

「──はい?」


 何を言われたのか分からなかった。

 呆然としている私に、アランは言葉を続ける。


「汚い手で真珠を独占したのだろう。だが、こんな熱狂は長続きしない。ヴァレンティーノ家の名前が地に落ちる前に、俺に渡すべきだ」


 怒りが体の芯から湧き上がってくるのが分かった。ダミアンと協力し、ソレイユにも手伝ってもらいながら、必死に作り上げた商会。それを婚約者以外の女にうつつを抜かしていた男が今更「よこせ」と?

 成功した途端に横取りするなんて、強盗と何が違うのだろう。

 私はため息を隠さずに言い返す。もう取り繕う気もなかった。


「お言葉ですが、第一王子殿下。婚約者だからといって、私の誇りや居場所までを差し出すつもりはありません」


 これで彼は怒りを露わにしてくれるだろうと思って返したが、予想に反してアランは、顔を伏せてぶつぶつと何かを呟くだけだった。


「お前の……居場所は……俺だったはず……」


 周りのざわめきもあり、うつむいていることもあって、断片的にしか聞こえない。フィローレの顔がひきつっているのが目に入った。血の気が引き、信じられないといった表情でアランを見つめている。


(何と言ったの?)


 疑問が頭がよぎったが、どうでもよくなった。今更この男が何を言おうとも、私は関係ない。もう期待も失望もしない。

 するとアランはぱっと顔をあげた。瞳には狂気じみた何かが燃えており、背筋がぞわりと震える。そして、会場中に響く声で宣言した。


「ロザリア・ヴァレンティーノ!

 お前とは婚約破棄だ!」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
>「お前の……居場所は……俺だったはず……」 なるほど、だからロザリアには何しても許してもらえると勘違いしたってわけね。 ……お前、いつからロザリアの息子になった?ロザリアはお前の母ちゃんじゃねえ。
メリットもないのに商会を俺に寄こせとか寝言は寝て言えだよな
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ