14.セルドアの苦悩
ロザリアの父、セルドア視点です。
セルドア・ヴァレンティーノは腕を組み、神妙な面持ちで目の前の男を見据えていた。
執務室に満ちる重苦しい静寂が、二人の間に張り詰めた糸のように漂っている。
向かいの革張りのソファに腰かけているのは──アラン・グランセール。エルフェリア国の第一王子にして、ロザリアの婚約者でもある男だった。
彼から手紙を受け取ったのは三日前。「ロザリアがいないところで話をしたい」たったそれだけの、命令のような文面が送られてきた。王家のために働いてきた公爵家当主に対して随分と不遜な態度だなと眉をひそめた。
しかし表立って対立はできない。相手は次期国王となる男だ。そこでロザリアがポルーノへ商談へ行く日を伝えて、この機会を設けたのだった。
(どんな要件だろうか)
セルドアは目の前のアランを、じっと観察していた。第一王子は革張りのソファにふんぞり返り、あからさまな不機嫌さを隠そうともしない。その様は、駄々をこねる子どもと大差なかった。
用件として考えられるのは、ロザリアのことだ。
巷では、アランが婚約者であるロザリアではなく、転入生のフィローレに惚れているという情報が入っている。しかし公爵家のつながりが欲しく、婚約を申し込んできたのは他ならぬアランの父親──現国王だった。
(まさか婚約破棄などという愚かな話を持ち出すつもりではあるまいな)
内心警戒しながら、セルドアはアランが口を開くのを待った。
「真珠の独占権を王家に譲って欲しい」
「──は?」
思わず声が漏れてしまった。想定外過ぎる言葉に絶句する。
ロザリアが「ロズ商会」を立ち上げ、ポルーノからの真珠の独占権を得たことは、貴族の間で周知の事実になっていた。どの貴族も「自分たちがポルーノと手を組んでいれば」と地団駄を踏んで悔しがったが、元々は誰も振り向きもしない寂れた港町だ。ロザリアの先見の明を褒めるしかない。
加えて、この契約の背後にはヴァレンティーノ公爵家とサンベルク公爵家が繋がっている。国内五大貴族の二つが繋がっているのだ。そこらの貴族が策を講じたところで、崩せる関係ではない。
──そんなことは、幼子でも分かる理屈だ。
よりにもよって王子が、愚かな要求を口にするとは。
セルドアが呆れを隠しきれない中、アランはなおも言葉を続けた。
「このままでは価格が跳ね上がり、混乱を招くだろう。だから王家が一括で買い上げ、安定させる」
混乱を防ぐためと大義名分を掲げているが、独占したいという欲望が透けて見えた。
ため息を隠さず言い放つ。
「……お言葉ですが、王家が貴族の功績を軽んじるなら、忠義は腐り、不満はやがて剣になるでしょう」
静かな口調の中に、警告を込める。反乱という言葉こそ使わなかったが、意味は十分伝わったのだろう。アランはぐっと唇を噛んで黙った。
(王がこのような愚かな選択をするわけがない。となれば、これはアラン第一王子の独断か……)
こめかみあたりがズキズキと痛む。賢明な王の血を引いているから、息子も賢明だろうという期待は、どうやら幻想だったようだ。親の資質が必ずしも子に受け継がれるわけではないという当たり前の事実を忘れていた。
失望を隠さず、大きくため息をつく。アランの頬にカッと赤みが差した。
「ヴァレンティーノ家の忠義がその程度だったとはな!」
アランは吐き捨てるように叫ぶと、勢いよく立ち上がった。セルドアは何も言わず、ただ冷たい眼差しで睨みつける。
自分の要求が完全に拒絶されたと悟ったのか、アランは悔しさを隠そうともせず、顔を歪めたまま大股で部屋を出ていった。
扉が乱暴に閉じられる音が響き、執務室に重苦しい沈黙が落ちる。
一人残されたセルドアは、深くソファーに寄りかかり身を沈めた。重い手で額を押さえる。
「まさかあんな男だったとは……」
低く呟いた声に、後悔と怒りが滲む。
脳裏に蘇るのは、半年ほど前の光景だ。
この同じ執務室で、ロザリアは「転入生のフィローレとアランがあまりに親密すぎる」「婚約者として耐えがたい」と必死に訴えた。
あのとき、セルドアは第一王子がそんな愚行を犯すはずがないと結論づけた。「ロザリアが嫉妬して大げさに言っているだけだ」とまともに取り合おうともしなかった。
重い沈黙のあと、セルドアはぽつりと呟く。
「もう少しあの子の話に耳を傾けるべきだったな……」
今更ながら父親としてのふがいなさが重くのしかかり、セルドアは再び大きくため息をついた。