表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
81/93

242 Civil_War(9)

■戦争序盤


 「冬殿事件」後、人々の移動と当面の戦争準備が終わる1852年の秋頃、最初の軍隊同士の戦闘が開始される。

 

 この時までに、両陣営はある程度勢力が色分けされたが、その状況はかつての戦国時代に似通っていた。

 戦国時代との違いは、新大東州のほぼ全てが最初から北軍に属していた事だった。


 また南端の茶茂呂地方が、当初は事実上の局外中立に立った事も大きな違いだった。

 茶茂呂地方は当初北軍に属すると思われていたが、世界各地の大東勢力圏の維持を誰かがしなければならないし、茶茂呂系の黒姫伯領内には大東で唯一の巨大炭田地帯があった。


 このため、両者から中立が認められた形だった。

 またこの背景には、商都としても栄える南都の近代資本家へと脱却しつつある大商人達の存在が、色濃い影を作り出していたことも忘れるべきではないだろう。

 

 この戦争で大きく頭角を現す五大資本家(五芒、中川、神羅、剣菱、倉峰)のうち、新大東州の宍菜を拠点とする神羅以外は、初期の拠点を南都に置いていた。

 かつては大坂が大東随一の商都だったが、こちらは戦国時代末期に事実上商人達が逃げ出した為、旧都でしかなくなっていた。

 

 また、海外植民地の全て及び現地を守備する軍事力は、基本的にその全てが局外中立となる。

 


 戦争に際する南軍のアドバンテージは、国家の中枢を押さえている事と、域内の巨大な人口だった。

 対する北軍のアドバンテージは、工業化の進展度合の高さだった。

 人口では2:1と南軍優勢だが、工業化度合い、資本高、鉄の生産量は北軍が南軍の最低でも2倍、最大で5倍の優位にあった。

 また北軍には、戦争当初から民衆からの支持が高かった。

 一方南軍の優位だが、人口以外に東京近辺の大規模な常備軍を動かせるという優位があった。

 

 「惣軍」と呼ばれていた東京御所直轄の常備軍は、6個「合師」の歩兵4万、騎兵5000の規模があった。

 これらの兵力は、戦時動員による徴兵を行うことで二倍の兵員数と、東京郊外各所の鎮台(駐屯地)に備蓄されている武器弾薬を支給されることになる。

 そして南軍は、北軍の者が立ち去った後の御所(中央政府)を好き勝手に使って、大軍を用いて一気に北軍をもみ潰そうとした。

 

 しかし、名目上天皇直轄である海軍は「天皇の直の命令」を極めて強く求め、命令がない場合は決して動けない理屈付けして、各所で実質的にサボタージュに入った。

 このため南軍は、海軍将校の家族を脅すことで幾つかの艦艇と水兵、海兵隊を動員するのが精一杯だった。


 しかも自らの行いによって、海軍の全てから反感を買うこととなった。

 よって海上では、南軍、北軍双方の大貴族達が私的保有を許された僅かな数の軽戦闘艦艇が、海上戦闘力のほぼ全てだった。

 


 常備軍の不足する北軍は、当初は防衛体制を固めるべく、陸繋のある境東府近辺を絶対防衛線に設定した。

 

 しかし、当時は港湾都市として発展していた境東府の巨大な城壁は、既に市街地に完全に飲み込まれていた。

 

 このため境東府は策源地に過ぎず、二者陸繋こそが本当の絶対防衛線だった。

 両岸を30メートル以上の断崖で海からも隔てられた幅20キロメートルほどの狭い場所さえ守れば、船を使わずに新旧双方の大東州を行き来することはできない。

 既に鉄道が旧大東州北部の境都まで通じていたが、この鉄道路線も一度北軍の手によって長い区間で破壊された。

 

 そして北軍の貴族や武士を中心とする私兵集団である戦闘部隊が陣地構築と布陣を完了する少し前、南軍の手に落ちた大東常備軍の大部隊が殺到する。

 

 5個「合師」を中心に8万5000の兵力で、騎兵、砲兵も十分に持った、当時の大東軍で最も贅沢な装備を持つ部隊だった。

 また、相手を圧倒するため、貴族,武士の者が将校としてではなく主に騎兵として参加しており、騎兵の規模は2万近くあった。

 ただし無理矢理動員されたという向きが強いため、将校、下士官の士気が低かった。

 

 対する北軍は、在地領主達の集合体である騎兵こそ3万馬と圧倒していたが、歩兵の方は民衆からの志願を含めても騎兵と同程度の3万程度しか集まらなかった。

 だが士気はかなり高かった。

 しかも北軍には、当時最新鋭の武器を次々に開発していた大商人の神羅屋が陣営内に居たため、最新兵器の装備率は戦闘直前に格段に上昇していた。

 

 そして両軍の士気よりも新兵器の存在こそが、この戦争の行方を別の方向へと急転換させる事になる。

 



■「二者陸繋の戦い」 1852年9月18日


 当時の大東の軍隊は、ナポレオン戦争の情報を元にして作られた軍制(=師団制)を取り入れていた。

 戦術も同じで、そこに大東伝統の習慣が加わって、決戦時の騎兵の集中投入こそが重要と考えられていた。

 

 そして決定的時期に騎兵が投入される「予定」なので、まずは双方方陣を組んだ歩兵部隊による銃撃戦が展開された。

 5個合師、5万の歩兵を中心とする南軍は、相手の方が多い騎兵や戦虎兵を警戒しつつも騎兵投入前に戦闘を決定しようと、かなり積極的な前進を実施した。


 しかし北軍の前に、戦場での前進はままならなかった。

 北軍が、当時の大砲並の距離で銃弾を命中させてくるため、当時の通常戦闘距離に入る前に無視できない損害となったからだ。

 

 これが、「ミニェー弾」を用いる施条ライフリングされた「神羅銃」の威力だった。

 非常に長い射程距離の実現と命中精度の飛躍的な向上によって、この戦い以後戦場を席巻することになるその初陣だった。

 

 それでも南軍は、本来の銃撃戦距離まで詰めて戦闘を行うも、既に先鋒とした3分の1が損害に絶えかねて一時後退しており、圧倒的兵力差にはならなかった。

 しかも通常距離での戦闘は劣勢で、南軍側の精鋭である筈の常備軍は相手よりも急速に数を減らしていった。

 士気も高いとは言えないため、戦列の崩れが早くも見え始めていた。

 

 これに焦った南軍は、数の優位がある砲兵の集中によって戦況打開を図ろうとして、物量差からこれが功を奏した。

 過剰なまでの砲撃の集中で北軍左翼が崩れ、これを好機と見た南軍は一気に戦闘を決するための兵力を投入する。

 

 騎兵2万騎による突撃は、この戦争で二番目の規模となった。

 そして二番目の大損害を出す事になる。

 

 北軍中央の歩兵部隊は多くの者が神羅銃を装備しており、殺到する騎兵に対して当時の常識を越える射程距離と命中精度の弾幕射撃を実施したのだ。

 攻撃の成果は、射撃した北軍が驚いたほどだった。

 

 結果、南軍諸侯やその子弟、武士団を中核とする伝統の騎兵集団は、短時間のうちに3分の1近い大損害を受けて突撃衝力を完全に失い、まだ後方の部隊が戦場に突入しないうちに全面退却せざるを得なかった。

 そのまま突撃を継続していたら、間違いなく全滅していたからだ。

 

 そして南軍の退却を好機と見た北軍は、温存していた自らの誇る大騎兵部隊の全力投入を決定。

 こちらも戦闘を決しようとした。

 

 これがこの戦争で最も大規模な騎兵突撃だった。

 

 騎馬3万騎。

 軍記物のように、勇壮という言葉こそが相応しい堂々たる進軍だった。

 そして既に敗走しつつある南軍騎兵の後方を捉えるや、次々に南軍の貴族、武士の当主もしくは子息達を討ち取っていった。

 

 双方合わせて4万騎以上の騎兵戦は、大東戦史上どころか世界中探しても屈指の規模の騎兵戦だった。

 そして煌びやかな軍装をした北軍指揮官が「蹂躙せよ」と絶叫するまでもなく、北軍騎兵は相手を馬蹄で踏みつぶしていった。

 

 だが北軍騎兵の栄光もそこまでだった。

 


 北軍騎兵が南軍騎兵を蹂躙した先には、既に半壊した南軍歩兵の集団と砲兵部隊がいた。

 そして南軍騎兵の蹂躙で血に酔っていた北軍騎兵の主力は、南軍が慌てて作り上げた十字砲火の「キル・ゾーン」に突入していた。

 しかし勝利の勢いに乗る北軍騎兵は、自らの数の多さも考えてここで退却して後ろから撃たれるよりも、突撃して活路を切り開く事を決断する。

 

 まさに騎兵らしい決断だった。

 しかも、この戦闘で勝利さえしてしまえば戦争自体を短期間で終わらせ、しかも北軍の勝利で飾ることが出来る可能性もあったので、判断が間違っていたワケではない。

 騎兵達の多くは倒れるだろうが、それだけの価値がある勝利が待っている筈だった。

 

 しかし北軍騎兵も、近代化への道を進んでいた砲兵、歩兵の弾幕射撃には勝てなかった。

 北軍の中核だった新大東州が誇る精強な騎兵達は、飛び交う無数の銃弾と炸裂する砲弾の前に倒れていった。

 

 それでも数が多かったので、一部では相手部隊の蹂躙に成功し、混乱する戦場を旋回しつつ後退する事もできた。

 さらに一部は、南軍司令部の一部を蹂躙していた。

 

 南軍が受けた損害は甚大で、全軍の半分が死傷し、もはや後退するより他なかった。

 

 だが北軍騎兵の払った代償も大きく、3万騎のうち2万騎近くが戦死または負傷で失われていた。

 そしてその多くは、貴族、武士の当主または子息だった。

 


 しかし戦いはこれで終わりではなかった。

 大東での戦乱で半ば「恒例」となっていた夜戦が待っていた。

 夜戦の主力は、数百年前から代わらずの戦虎遊撃隊で、剣歯猫を操る兵士と随伴歩兵が高性能な神羅銃による狙撃戦が出来るため、ある意味千年近く前の戦虎兵に先祖帰りしたような編成を取っていた。

 かつての弓がライフル銃に変わっていた。

 

 だが、細く平たい地形の陸繋はあまり遮蔽物がなく、後退する南軍も戦虎の夜襲を警戒していた。

 

 この夜の夜戦で南軍は大きな損害を受けたが、襲撃した北軍の4個大隊程度の規模だった戦虎遊撃部隊も同様に大打撃を受け、半ば壊滅した。

 

 まるで古い時代の終わりに対して、古い側が抗うような戦いだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ