表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きまぐれ★プレートテクトニクス 〜太平洋を横断した陸塊「大東島」〜  作者: 扶桑かつみ
第三章 ノーマル ルート 及び 引きこもりルート

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/118

215 ファイト、国内国家たち(15)

■戦国時代の終焉(日本の場合)


 「第三次日本・大東戦争」は、日本では金銭と物資、そして人命の散財でしかなかった。

 得られたのは、大東人からのさらなる恨みと憎しみだけと言われた。

 

 しかも戦争に参加した全ての武将が疲弊した。

 主に関東、東海、奥州の武将で、また日本中の水軍武将も疲弊した。

 そうした中で比較的軽傷で済んでいたのが徳川氏だった。


 徳川家康は持ち前の外交力を用いて豊臣秀吉と交渉して、象徴的な意味合いで小数の兵力を派遣した他は、将兵の世話をするという役割に終始した。

 その多くも、結果的には日本中に負担させる事で多くのマイナスを切り抜けていた。


 大東から亡命した大坂商人を主に擁護したのも徳川家康で、彼は大坂の豪商達が持ち出した資金、経営力、海外交易路などを手に入れていた。


 そうして豊臣秀吉没後の徳川家康は、自らの大勢力と持ち前の政治力を駆使して一気に次の覇権を狙う。

 しかし大東征伐に積極的に兵を派遣しなかった事は、日本の政治上ではマイナス要因だった。

 この点は、長らく徳川家康の足を引っ張った。

 

 それでも1600年秋の「関ヶ原の合戦」で勝利すると、その後1603年の征夷大将軍就任と江戸幕府開府、1615年の豊臣家の滅亡と順調に自らを中心とする新たな国家形成を実現する。


 なお、豊臣家を含めて戦国時代に落ちぶれた大名など有力者の幾人かは大東に亡命したと言われることもあるが、殆どの場合は噂だけだった。

 日本に居られないというだけで日本人を受け入れるほど、この頃の大東人はお人好しではなかった。

 そして逆もまた然りだった。



■日本の鎖国


 「第三次日本・大東戦争」後の日本と大東の関係は、一時完全に断絶した。

 数年間は密貿易すら行われなかった。

 

 この状態を、江戸幕府を開いた徳川家康は早期に改善しようと試みた。

 日本側は、戦乱の終わった大東が怒り狂って復讐に来ることを何よりも恐れていたからだ。

 日本側としては、当面は国家公認の貿易を行うことを画策した。

 

 国家公認と言うことは、日本側が暗に大東を独立国として認める事を意味している。

 伝統的に大東天皇を認めなかった日本としては画期的な事だった。

 日本国内で、大東公認の実現に向けて大きく動かした徳川家康の政治手腕は、非常に高く評価できるだろう。

 

 しかし一方では、国家として認めてるので恨んで攻めてこず、尚かつ国交と貿易を開こうというのは虫のいい話しだった。


 対する大東側は、侵略戦争ばかり仕掛けてくる西の日本人達への不信が拭えなかった。

 このため家康は、自分たちの側から非武装の使節を送って人質を出して、その上で大東側の国家使節を日本に招待した。


 これを契機として始まった日本と大東の交渉では、大東側はあくまで大東天皇を自らの君主としたが、日本に対しては将軍家のみを日本という国家の代表とみなした。

 日本側もこれを暗に受け入れ、両者12世紀末より分かれたままの二つの天皇家の関係について、敢えて触れることは無かった。

 

 大東側としては、取りあえず日本に自らを国家と認めさせた事を大きな政治的前進と考えていた。

 日本側は、とにもかくにも大東が復讐心をたぎらせて侵略してこない事に安堵した。

 

 その後1620年代に入ると、日本と大東双方に両者の間に役所と商館を設けることを取り決める。

 この結果、大東では日本列島主要部とのつながりが強かった大坂が窓口とされた。

 大東に復讐されることを内心恐れる日本側は、最初は八丈島か伊豆の大島を指定したが、大東が強い不快感を示して再度交渉を行った末に香取湾口の浦賀と定められた。


 さらに首都江戸のある香取湾には、戦国時代末期から日本でも自力で作られるようになった沢山の大砲を搭載した大型の直船(ガレオン艦)を中心とする艦隊も常に配備されるようになる。

 長崎には形式的にしか配備されなかったものが江戸近辺にだけ配備されている所に、日本の内心を見ることができる。

 

 しかも日本側がしかけた大東に対する戦争の心理的影響は、その後の江戸幕府の政策に大きな影を投げかけたと言われる。

 日本史上では有名な「鎖国政策」だ。


 一般的に江戸幕府の鎖国は、キリスト教の布教と影響、スペインの海外膨張、オランダ(ネーデルランド)の商人達の安易な陰謀などが強く影響していると言われる。

 江戸幕府がヨーロッパの国で唯一オランダとの貿易を維持したからだ。


 しかし江戸幕府が欧州の軍事力を恐れたというのは間違っている。

 江戸幕府は大東へ侵攻したように、ガレオン船(直船)の大艦隊を有し、大砲と銃で重武装していた。

 江戸幕府が鎖国した一番の理由は、大東の復讐が怖かったからだ。

 だがキリスト教が内政面で問題で、外貨流出も問題だったので、半ばついでに他の国との国交を絶った。


 なお日本の鎖国は、基本的には限定的鎖国だった。

 オランダ(ネーデルランド)、朝鮮、琉球、そして大東。

 さらに少し後に清帝国との間にも総量制限付きの貿易関係を結び、主に長崎の「出島」に限った貿易を行った。

 大東だけは例外とされたが、それは大東の位置と日本と大東の微妙な関係を考えれば致し方ないだろう。

 

 また同じ日本語を話す国同士である大東に対しては、さらに他国との違いがあった。

 基本的に出島以外に外国人が来てはいけないのだが、大東だけは「同じ日本人が住む国」という建前で、人の往来が認められた唯一の国とされたのだ。

 何しろ同じ日本語を話すし外見の見分けも付けにくいので、日本人と大東人を見分けるのが難しかった。


 だがそれでも大きな制約は存在した。

 大東人には江戸幕府の出した許可証が必要だったし、基本的に案内役という建前の監視が付けられた。

 また日本の法度を守ることも受け入れなくてはならなかった。

 

 対する日本人の方は、日本から大東に渡るのは幕府の許可さえあればよかった。

 大東についても、大東政府からの許可を受ければそれだけで自由に行動が許された。

 しかし一度大東に渡った者には、日本への帰国が禁じられていた。

 つまり一方通行の移民が認められていたのだ。ゆえにスパイは不可能だった。

 

 そうなった理由は、大東側が持ちかけたからだった。

 まだまだ広大で未開発の土地を持つので、開拓する住民が欲しかったのだ。

 一方の日本側は、いずれ遠くない時期に自分たちの領域での人口飽和が到来することを予測して、大東側の申し出を受け入れた。

 

 この日本から大東への事実上の移民は、18世紀以後活発となった。そして日本からの人の流れが、大東の人口拡大と土地開発を助長していく事になる。

 また正規ルートを用いない大東への渡航も行われ、特に鎖国を実施していない大東からさらに別の国や地域を目指すという日本人が中にはいた。

 また、何らかの理由で日本から出たい者、主に冒険商人、浪人、食い詰め者、犯罪者も正規、不正規を問わず大東へと旅立った。


 なお、日本では1620年代からは、基本的に幕府の許可なしに竜骨を据えた大型船の建造が禁止されている。

 鎖国政策を実施するためには必要な措置で、日本はせっかく発展しつつあった技術を捨てないまでも停滞させることを自ら決意する。

 これは日本国内での武器所持の制限と相まって、日本独自の珍しい政策としても後世知られることになる。

 

 ただし完全に禁止したわけではなく、幕府の認可を受け尚かつ幕府直轄とされた場合だけ大型船の建造が認められていた。

 それでも保有が許されるのは幕府及び幕府の譜代大名止まりで、外様大名が持つことは厳禁とされた。

 しかも幕府海軍維持費の拠出により参勤交代の江戸滞在日数の減少が認められる制度が、五代将軍綱吉の頃から作られている。


 その後日本の江戸幕府は、究極的な内政安定のための限定的な鎖国へと突入。

 これに対して大東は、特に国を閉ざす必要性を感じず、かといって西欧列強のような極端な海外膨張にも興味も向けず、マイペースに近世世界を謳歌する事になる。


ここからは分岐します。

「ひきこもりルートは」301 National Isolationr(鎖国)(1)に飛んでください。

「ノーマルルート」はこのままの数字順に追っていただければ問題ありません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ