表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きまぐれ★プレートテクトニクス 〜太平洋を横断した陸塊「大東島」〜  作者: 扶桑かつみ
第三章 ノーマル ルート 及び 引きこもりルート

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

52/124

213 ファイト、国内国家たち(13)

▪️「東京攻防戦」


 日本軍は侵攻当初から首都攻略作戦に従って動き、まずは進撃路を確保すると大坂から着実に補給線を延ばしつつ東京へと迫った。

 もちろん、他の諸侯や都市は意図的に殆ど無視した。

 

 当時東京は、少し上にも書いたように、火力戦に対応した城塞構造物の改装工事中だった。

 しかし周囲10キロメートル近い大要塞となるため、10万を越える労働力を投入しても簡単には工事は完成しなかった。

 日本軍先鋒が東京郊外に到達した時点での完成率はおおよそ80%。


 周囲の堀は半分が空堀で、大きな河川(墨東川)に面した城壁の工事はほとんど手付かずだ。

 とはいえ川幅は優に1000メートルに達する。

 海に近いので水深も深い。

 対岸からの砲撃はともかく、軍船でも無い限り渡るのは不可能だし、城壁に取り付くことも出来ない。

 城塞の火砲の方も、周辺の旧式軍船から陸揚げしたもので大幅に増強されていた。


 東京を包囲した日本軍の数は、おおよそ11万人。

 派遣された部隊のほぼ全力であり、あとは大坂城と大坂と東京をつなぐ街道の防衛に充てられていた。

 日本の大東征伐軍にとっての東京攻略は、乾坤一擲の大勝負だった。

 

 対する東京守備軍は、近衛が5000、周辺から集まった中小の諸侯が1万2000、神道習合兵3000、都市住民の志願兵が約2万、東京沿岸部を守る水軍が軍船23隻に水兵6000名が街を守る全てだった。

 だが日本軍をさらに囲むように、大東の各地から神道習合兵や近隣の大諸侯の軍勢が戦闘準備を整えつつあった。

 

 一方で、この戦乱でも新大東州を中心とする北軍諸侯の動きは鈍かった。

 駒城の動きを牽制したり、終始中立を守り抜いてきた諸侯の自陣営の参加を求める工作を続けるなど、「日本軍が去った後」の動きに余念がなかった。

 だが北軍の動きは、戦場となった旧大東州の諸侯、民衆からの非難も強かった。


 事実、新大東州で日本軍の脅威を受ける北軍諸侯の中には、事実上北軍を離反する者も出た。

 それでも北軍の動きは変わらず、口では色々言って形だけの援助をしつつ、事実上大東南軍及び神道勢力と日本軍の戦いを静観した。

 

 東京攻防戦は1597年6月に開始された。

 日本列島と違って大東に「梅雨」という雨期はないため、初夏の軽やかな気候のもとで、凄惨な攻城戦は開始される。

 

 一度焼け野原になったとはいえ、東京の防備は厚かった。

 また大量の備蓄物資も再び運び込まれたため、兵糧攻めも難しい。

 野菜不足で相手が倒れるまで、少なくとも1年は腰を据えて行わなければばならない。

 このため戦いは、近世の戦い方である火力戦になった。

 

 日本軍も戦闘に対して多くの大型軍船から大砲を降ろして戦場へと持ち込んだ。

 そしてこの戦いは、火力戦であると同時に補給の戦いでもあった。


 攻める側の日本軍は、自分たちの物資が持っている間、補給線が維持されている間、相手を火力でねじ伏せている間に、城の防御網を突破して場内に突入しなければならない。

 そうしなければ自滅が待っているだけであり、住民全てが敵という異国の敵地での自滅は文字通りの全滅を意味した。

 

 このため日本軍の戦意も半ばやけくそ気味に旺盛で、大東側の東京守備軍と火力戦を応酬しつつその下での攻城戦を実施した。


 東京を巡る戦いは、秋が来てもほとんど動いたように見えなかった。

 日本軍は、今で言う坑道爆破戦術まで使ったが、焼き煉瓦の城壁と膨大な量の盛り土の防御網を突破することは出来なかった。


 飽きるほどの砲弾と火薬を溜め込んでいる東京城塞は、まるで無限に火焔を浴びせてくる巨大な竜のようだと記録に残されている。

 無論、攻められる側の東京守備軍の方が主に精神的な疲弊は大きかったのだが、少なくとも攻め寄せる日本の武将、武士、足軽にはそう見えた。

 

 しかも自分たちの周囲には、神道習合兵の兵団、旧大東州の有力諸侯などの軍勢が集まりつつあり、互いに牽制しつつも有利な状況を狙っての反撃の機会を伺っていた。

 日本軍の補給線にも、騎兵による半ば嫌がらせの攻撃が断続的に行われるようになった。

 しかし日本軍をさらに大きく包囲するように位置している大東諸勢力には、総司令官や旗頭と呼ぶべき人物がいなかった。

 

 文禄の役全般で大活躍した偶像的指揮官となった「梓の巫女姫」は、文禄の役終了すぐに姿を消していた。

 一般には人知れず暗殺されたか下野したと言われているが、駒城の若殿の一人と駒城の一部手助けを受けて駆け落ちしたという寓話が、その後長らく語られている。

 

 巫女姫のことはともかく、大東側は指揮官や指導者に欠けていた。

 このためこの年のうちは攻める前に冬が来てしまい、反撃自体がご破産となった。


 そして冬の間の散発的な攻城戦を挟んで、春の到来と共に大東の各所で戦闘が発生する。


 まず動いたのは、大東側だった。

 田村氏を中心とする北軍も、流石に何もしないのは不味いと考え、主に日本軍補給線を狙った攻撃部隊を日本軍展開地域の各所に送り込んだ。

 送り込まれたのは、軽快な騎兵部隊と新大東州固有といえる戦虎遊撃部隊だった。


 どちらも兵力数当たりのコストは高いし、火力戦の世の中での存在価値は低下しつつあったが、その効果は小規模戦、遭遇戦、夜戦ではまだまだ大きかった。

 なおこの増援部隊の中には、今回も駒城氏の軍勢も含まれ活躍を示している。

 

 大坂の包囲には、主に三峰山地の照神道の神道習合兵が当たった。

 まずは、攻めるのではなく囲むのが目的のため、こうした戦闘に半ば日常を持ち込んだまま数に頼って戦う神道習合兵は比較的向いていた。

 

 そしていよいよ敵地で孤軍となった東京を囲む十万を越える日本軍には、二つの選択肢が残された。

 このまま死に物狂いでの東京攻撃を続けるか、血路を切り開いてまずは大坂まで後退するかだ。


 そして今まで本当の敵地で戦うという事に慣れていない日本人達は、攻めて活路を切り開く可能性よりも、手堅く引き下がる事を決意する。

 これは豊臣秀吉の命に背く事に近かったが、もはや余命僅かという事が水面下で知れ渡っている秀吉に対して、必要以上に義理立てしようと言う者は小数派だった。


 豊臣恩顧の大名である『戦虎殺しの』加藤清正などは例外だったが、現地の兵站業務を取り仕切っていた石田三成、外交担当の小西行長などですら、もはや大東での戦いにほとんど価値を見いだしてなかった。

 彼らを動かしていたのは、秀吉に対する忠誠心と役職に対する義務感だった。


 日本の東京包囲軍は、ゆっくりとスキを見せないように包囲の陣を解き、そして一つの部隊が下がる間は別の部隊がまとまって殿を務める形で後退戦を実施。

 まとまりに欠ける周辺の大東軍が容易に手が出せないまま、大坂へと下がっていった。


 軍事的には日本軍の戦略的敗北だが、「この世の地獄」で戦わされた日本兵にとって主君の命を守りつつ自らの命を守るには最適の回答だった。

 彼らは東京からは去ったが、大東からは去っていないからだ。

 そして日本人達が大東を去る時間も、すぐに訪れる。

 

 1598年8月、豊臣秀吉が死去した。

 死因は老衰だと言われるが、この際死因などどうでも良かった。西日本列島の独裁者豊臣秀吉がいなくなったという事の方が重要だった。


 そして独裁者の死は、すぐにも豊臣政権内の不和をもたらし、10月中旬には早くも大東からの早期撤退が決定される。

 日本は再び内戦の季節に入ったので、もはや海外遠征などしている場合ではなかったのだ。

 

 秀吉の死を伏せつつ和平交渉が開始され、日本側は無血撤退を求め、大東側も監視付きの短期間での完全撤退を求める。

 両者の間に賄賂や後の人脈構築のための秘密交渉が行われたりもしたが、交渉自体は短期間でまとまった。

 

 これに反対したのは、神道習合兵を要する大東の二大宗教勢力で、特に大坂に近い照神道は独断で撤退を急ぐ日本軍への攻撃を実施している。

 しかし大東の諸侯は全く手を貸さず、調整の取れない数に頼った神道習合兵の攻撃は各地で撃破された。

 

 11月には日本軍は大坂など各地の港を出帆。

 日本人達が去るときには、財産を持てるだけ抱えた大坂商人達の姿もあった。

 彼らの多くも、今後大東では生きてはいけない人々だったからだ。


 こうして「第三次日本・大東戦争」は破壊と憎しみだけを生んで終わったが、一つの戦いの終わりが全ての戦いの終わりではなかった。

 再び大東と日本双方で、内戦が始まろうとしていた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ