004 ファインド、ファニーニッチ(1)
■大東島の固有種
大東島固有の動植物は、大東島そのものが大東洋上で一億数千万年孤独に過ごした為独自のものが多い。
しかし、いわゆる「ガラパゴス化」は起きていない。
また旧ローラシア大陸から分離した時に、島と共に旅立った生き物を直接の祖先とする生物も多い。
特に植物において顕著で、巨大な「大東大杉」、「大東向日葵」などが有名。
固有の昆虫種もかなり見られる。
しかし生存能力は他の大陸からやって来た動植物より弱い場合が多いため、既にかなりが絶滅している。
6500万年前までは、独自進化の恐竜も生息していた。
島の南部に生息する体長2メートルを超える「大東大とかげ」は、その名残だとも言われる。
恐竜が絶滅した6500万年前から1000万年前ぐらいまでは、独自進化の動植物による生態系が形成された。
鼠サイズからのほ乳類の独自進化も見られたが、極端に大型化する事は無かった。
一方で、1000万年前ぐらいからは、風、海流、渡り鳥などにより他の地域から運ばれた種子、鳥類も数多い。
数多くの鳥や一部の昆虫も大東島へとやってきた。
そしてユーラシア大陸に数百キロメートルと近づいた事で、ユーラシア大陸からの動植物の流れそのものが一気に加速した。
早くは数十万年前程度から、氷河期の固く凍り付いた冬の海を渡ってきた常温性の動物種も少なくない。
大東島に鹿やヘラジカ、トナカイ、狐、猪、熊、マンモスなどの各種ほ乳類、さらには「サーベルタイガー」「ダイアウルフ」の子孫(剣歯猫、茶色狼)が生息しているのは、島で独自に進化したのではなく何らかの方法で(ほとんどは固く凍り付いた流氷の上を渡って)大東島に渡ってきたからだと考えられている。
そして彼らは、古くからの動物に対して大陸で培った能力で圧倒し、天敵のいない大東島での繁栄に成功した。
ただし、各種家畜(馬、牛、鶏、アヒルなど)、犬、猫、家雀は人間が連れてきた。
逆に南方系の鳥以外の動物は、基本的に人が連れてきた以外では大東に至ることもできていない。
今回はその中でも、特徴的な動物種をいくつか紹介する。
■隠鼠人(Homo daitholensis)
ヒト属ヒト科の人類の中で、ごく最近まで現生人類と平行した進化の歩みを記した亜種人類の名称。
学名「ホモ・ダイソレンシス」。
この種は約10万年前に大東島に渡来し、その後7万5000年ほど前から島嶼性矮小化したと考えられている。
東京自然史博物館に所蔵された多数の隠鼠人標本の平均値から、彼らの標準的な姿を垣間見ることができる。
10万年前の隠鼠人成人男性の平均身長は155cm、脳容積は1300cc程度であった。
しかし彼らの存在が、大東島の動物たちに人類の「危険性」を遺伝的に教える役割を果たしたと考えられている。
それが2000年前には身長120cm、脳容積600ccまで低下しており、急激な小型化は他の人類に見られない特徴となっている。
現在の最も有力な説によると、7万5000年前のスマトラ島トバ火山噴火後、成層圏まで巻き上げられた塵によって地球の気温が低下、環境負荷の増加により、隠鼠人を含む人類は大きく減少した。
地球上の他地域のクロマニョン人は人口を減らしつつも大きく姿を変えることなく生き延びたが、隠鼠人の場合はもっと状況が深刻だったようだ。
逃げ場のない島という特殊な環境のもとで生き延びたが故に強く現れたボトルネック効果(ある生物集団の個体数が激減することにより遺伝子浮動が促進され、生き延びた生物集団の子孫が繁殖することで、ある遺伝的特徴が色濃く残ってしまうこと)により、隠鼠人は小さく、エネルギー消費の少ない新人類として大東島で生き延びてきた。
木や石を用いた武器の作り方は知っていたようだが、前頭前野背外側部が退化していたためか、火の使用は現生人類と接触した時には既に見られず、体毛が増え、寒冷な環境に適応しつつあった。
わずかに尖った耳を持ち、足裏の皮が厚くかった。
また、彼らの容貌は前頭部が押しつぶしたように平たく目が離れていたために、蛙に例えられる。
一夫一婦制は失われており、更に頭蓋縮小による出産容易化のためか、一度に2から3人の新生児を産んでいた。
これは、人口損耗を出生数で補う生存戦略への変化(退化)の明確な表われであろう。
約1万5000年前、のちに縄文人となる旧石器時代人が大東島に渡来すると、当初約10万人もいたと推定される隠鼠人は1000年余りで旧大東島を追われた。
1万年前には新大東島南部からも駆逐され、西暦1000年前後に絶滅した。
隠鼠人の個体数激減に合わせ、彼らを捕食していたチャイロオオカミやケンシネコもその数を急速に減らした。
隠鼠人追加情報:
主食は果実、大東象(1万年前に絶滅)、ダイトウムラサキ貝など雑食性であった。
大東象は矮小化した大東島固有種であったが、氷河期の終了とともに絶滅した。
約6000年前からは隠鼠人はどうにかして原始的なトナカイ放牧を開始し、食糧不足を補ったと見られている。
隠鼠人の生息域が縄文人に押され北上し、寒冷な針葉樹林に適応した結果、縄文人よりも早く一種の放牧を基盤とする定住部族社会(というより群れ)を形成していた。
■オオツノシカ(Daitou great elk)
大東島最大の哺乳類。
肩の高さが2mもあり、左右の差し渡しが3-4mにも及ぶ巨大な角を有した。
氷河期の終焉前から大東島の環境に適応し、温暖な旧大東島まで生息していた。
温暖な環境に適応するに従い、オオツノシカは大型化した。
これは矮小種だらけの大東島の哺乳類固有種の中では例外的な事象であった。
オオツノシカは巨大な角を武器にしたため、大東島の食物連鎖の頂点に君臨する剣歯猫の強敵であった。
剣歯猫は特に必要がなければマンモスやトナカイ、大東シカを捕食していたが、剣歯猫の化石資料の中にはオオツノシカと戦った痕跡も発見されている。
だが、剣歯猫がオオツノシカを捕食することは決して頻繁に見られなかったと推測される。
オオツノシカを攻撃するためには複数の剣歯猫が共同して戦い、恐らくは巨大かつ非常に重い角を逆手に取り、オオツノシカの首を折ったのだろう。
それ以外の方法では剣歯猫も一撃で致命傷を負う恐れがあった。
オオツノシカは紀元前4000年頃に温暖化が最も進んだ時期に絶滅しているが、大規模な獣の群やオオツノシカの捕食に役立ったと思われる剣歯猫の集団行動能力は、のちに人間によって利用されることになる。
絶滅したため現存していないが、縄文人の遺跡では主に頭部の骨は頻繁に見かけることができ、保存状態の良いものは今でも好事家の間で高値で取引されている。
また小型の亜種となる大東ヘラジカが北部に生息しているが、大陸のヘラジカに比べるとやや小型である。