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きまぐれ★プレートテクトニクス 〜太平洋を横断した陸塊「大東島」〜  作者: 扶桑かつみ
第二章「世界進出ルート」

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107 ファイト、国内国家たち(7)

■戦国の南北戦争


 格軍陣営と勢力(1576年時点)

北軍:総石高1030万石

大諸侯:田村・草壁・笹森・西原・長瀬・茶茂呂

    (河鹿・小牧・向坂・古室)


南軍:総石高964万石

大諸侯:馬名・多田野・黒姫・保科・守原・利波・片脇


中立:大諸侯:駒城・松原・倉田・相良


 なお、日本の戦国時代が早く始まったのに、天然の要害、峻険な山岳や河川、海で分断されたため有力な軍事勢力の巨大化が遅れていた。

 そして織田信長の登場で、ようやく二大勢力といえる形が出来たと言える。

 

 一方、国土が平坦な大東島では、日本に比して短時間で敗北した領域国家が地上から消されてしまう。

 

 早くも二大勢力化した大東では、戦闘に投入される資源も飛躍的に増大しており、合戦はヨーロッパや日本でみられるどんな戦いよりも巨大なものになっていた。

 近似値は中華大陸中原での王朝交代時期に見られる大規模な戦闘だが、近世的というより火薬式前方投射兵器を用いる戦闘はいまだ似たような事例が見られない為、この時期としては世界で唯一大東島のみで行われた戦闘といえる。

 

 両軍の主力部隊が犇めいた旧大東州の中原である和良平野は、双方30万の兵力が布陣、そして激突する戦場となった。

 


 南軍は、その経済力にものをいわせた総力戦を得意とした。

 優勢な海軍力を縦横に駆使し、北軍がその兵力を沿岸防備に割かざるを得ないように仕向けた。

 このときの南軍の戦術は、日本において織田信長や豊臣秀吉などもよく研究したという。

 

 大坂は従来の青銅による鋳造式よりも進んだ、鍛造式の鋼製大砲(日本でいう大筒)の一大生産拠点になった。

 砂鉄資源はともかく青銅の材料となる銅と錫資源のない大東では、鉄を用いた大砲製造の研究・開発、そして量産化が日本列島より早かった。

 また大東は、一部ではヨーロッパ並に家畜を有するため、人造硝石の取得が日本よりずっと容易かった事が、大砲の普及を促進する大きな材料となった。

 

 そして当初は要塞防御用に運用された大砲だったが、16世紀末には積極的に野戦でも活用された。

 帆走式の直船が主力となった軍船にも盛んに搭載された。

 


 北軍は騎兵、火竜兵(鉄砲騎馬)と共に、戦虎遊撃隊を積極的に活用し、両軍の勢力が拮抗した仙頭台地周辺が主戦場になった。

 

 南軍は海上輸送を以って出来る限りの軍需物資輸送を計画したが、内陸部の輸送網は馬車などを用いた輜重隊に頼るしかない。

 そして、総延長数千kmの輸送路全てに充分な護衛を付き添わせるのは不可能だった。

 ここに戦虎の活躍場所があった。

 

 また、北軍は騎馬の豊富な供給を活用し、騎馬突撃を主戦法とした。

 

 旧来の騎馬弓兵や騎馬槍兵に代わり騎馬鉄砲隊も組織された。

 騎馬鉄砲隊を配備するには火薬の原料である硝石の供給が必要だったため、牛馬の屎尿から大量生産が図られた。

 


・1576年

 大東の”長篠の戦い”と呼ばれる”礼奈須の戦い”。

 

 日本での鉄砲戦術を追跡研究していた田村氏は、長篠での惨事を重大に受け止め、騎馬戦術を練っていた。

 

 同様に馬名氏も研究を続け、”礼奈須の戦い”に至った。

 雨天を狙った北軍の目論見は当たり、相手の射撃能力を上回る物量戦も相まって、戦闘は北軍の優位のままに進んだ。

 だが北軍が決定的勝利を迎える前に南軍が素早く後退を開始したため、騎兵突撃やその後予定していた大規模な夜襲の全てが実施されることは無かった。

 

 それでも結果は、田村氏率いる北軍の勝利。

 

 行義は火縄銃の速射性及び耐天候性の向上を命じた。

 また、野戦でも利用可能な大砲の製造を急がせた。

 


・1577年

”小泉湾砲戦”、”南々実の戦い”及び”登麦の戦い”。

 

 二者山脈は大部隊が越えることが不可能であり、また陸南の倉田伯領が中立国の壁であったことから、守原氏は割と有利に草壁氏と戦ってきた。

 

 摘麦を二分する草壁氏は、田村氏の支援を受けてはいたが、南軍の海上封鎖で主要産品の麦の搬出が滞り、経済的な苦境に陥っていた。

 

 窮地に陥っていた草壁氏の援軍として、田村氏は境東府から8万から成る軍団を進発させた。

 

 二者山脈南端の狭い平野部を進軍する北軍に、南軍は海上から砲戦を実施。

 3kmの最大射程からの砲撃の見た目は派手だったが、実質的な北軍の損害は大したことはなかった。

 とはいえ、南軍による海上からの砲撃が草壁産小麦の搬出の脅威になることを北軍に認識させた。

 

 

 ”南々実の戦い”では、東京から急遽海上輸送された”軽装銃兵”26個軍団3万人が草壁領に上陸、守原軍と共に草壁軍を挟撃した。

 行義はかねてから第2戦 線の構築を図っており、丁度良い機会とみなされたのだ。

 

 戦闘は南軍の勝利。

 


”登麦の戦い”では、南軍9万、北軍10万が対峙した。

 補給面で圧倒的に有利な南軍に対し、北軍は拙速な攻撃を実施。

 

南軍の勝利。

 草壁氏は実質的に滅亡した。

 

以後、二者山脈地狭部を境に両軍は対峙することになる。

 この”第2戦線”の負担は、徐々に北軍を疲弊させていった。

 


・1579年

”向日葵の戦い”。

 

 人の背丈の1.5倍の高さに茂る大東ヒマワリの畑は地獄と化した。

 

 日本の淡路島の半分ほどの広さの畑の中での遭遇戦が発展し、大砲も投入した戦いになった。

 

 目の前に突如として現れる北軍兵に、至近距離から南軍砲兵の半貫散弾が火を噴き、砲兵は背後から戦虎に引き裂かれる。

 怯えた銃兵のつくる円陣の周りを素早い戦虎の影が踊り、物音ひとつさせない一撃離脱で一人ずつ兵が食いちぎられてゆく。

 銃兵横隊は、相手のまばたきが見える距離で火縄銃を撃ちあう。

 

 勝敗つかず。

 


 断続的な遭遇戦の連続は、綺麗に割り切れるすっきりした戦いが好みの大東人には苦しいものだった。

 戦いが短い決戦と休戦の連続ならばどれだけ良かっただろう。

 

 当時の国家は経済力が弱体で、同時に金融システムも未発達であるために絶え間ない戦争は不可能であった。

 だが、二大勢力化した結果、双方の勢力がある程度の規模の常備軍を維持し動かし続けることが可能になっていた。

 

 半世紀後、凄惨な30年戦争がヨーロッパ中部を荒廃させるまで、大東における南北戦争に匹敵し得る戦争は世界中探してもみられなかったほどだ。

 

 武装した2大勢力で交わされた戦いは、名を冠されたものだけで1590年までに大小202回に及ぶ。

 

 時代が下るほどに、凄惨な戦いが増えていった。

 


・1582年

”半月湾の戦い”。

 

 南都を巡る合戦で最大の戦い。

 

 南軍が大東島全土にいつでも上陸可能だったのに対し、茶茂呂氏は孤立していた。

 

 同族から出た裏切り者の黒姫氏に圧迫され、10年にわたり黒岩山脈を防衛ラインに陣をひき防御に徹してきたが、海上封鎖で貿易は途絶。

 領内の不満は高まっていた。

 


 茶茂呂氏は優秀な造船技術で巨大な3檣タイプの”直船”に大砲を搭載、封鎖する南軍海軍に度々砲撃していた。

 しかし、港に逼塞していたために逆に沖からの遠距離砲撃が命中しやすく、しかも航海できないために水兵の錬度が低下、せっかくの優秀な軍船も存分に使えない状況だった。

 


 ”半月湾の戦い”は、南都を海軍が強襲、茶茂呂の軍船を焼き払うという作戦だった。

 茶茂呂領内の戦意は低下するはずだった。

 

 この戦いの経緯は詳細な記録が残っている。

 

 早朝、日の出と共に南軍の大型軍船が太陽を背に南都に接近、砲撃を開始した。

 更に、可燃性物質を満載した老朽ガレー船が南都湾に突入した。

 これは焼き討ち船である。

 

 茶茂呂の沿岸要塞からの砲火が断続的に閃くなか、茶茂呂勲爵は2つの船団を急遽外洋に送り出した。

 

 一方は、呂宋のスペイン根拠地マニラに向かう茶茂呂氏の亡命者を乗せていた。

 

 もう一方は、スペイン製ガレオン船に匹敵する大型船3隻から成り、目的は遥か東方海上に同族から成る新天地を求めての脱出行であった(東方海上にいくつかの未知の言語を話す島嶼が存在することは、既に鄭和の大航海により15世紀から知られていた)。

 


 ”半月湾の戦い”の7日後、茶茂呂氏は降伏、茶茂呂系の5氏が新たに勲爵として旧茶茂呂領を分割した。

 

戦後の馬名氏による調査で茶茂呂氏当主を含む1600名余りが脱出したことが判明したが、特に追跡する必要性を認めず、捨て置かれた。


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