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きまぐれ★プレートテクトニクス 〜太平洋を横断した陸塊「大東島」〜  作者: 扶桑かつみ
第二章「世界進出ルート」

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105 ファイト、国内国家たち(5)

■大東国の「戦国時代」


 大興天皇が1481年に天皇位を継いだ時点で、約200年間続いた大東国の爵位制度は曲がり角にきていた。

 

 創爵時には圧倒的に強力だった皇族領の武力は、かつてほどではなくなっていた。

 過去2世紀の急激な人口増で徴兵可能な兵数は増加していたし、税収も増加していた。

 しかし、公爵・伯爵領が近隣領主の爵位を飲み込んで巨大化した結果、相対的に弱体化していた。

 

 朝廷で信任を得た大貴族……血縁的にも官職上でも密接した関係にある田村氏・保科氏・高埜氏などが権力を持つようになっていた。

 つまり、縁故政治がはびこっていたのだ。

 

 皇族は自らの懐を痛めないよう、中小領主の爵位を召し上げては任意に再分配するという、いつの時代も変わらぬ職権濫用や贈収賄が蔓延した。

 そして、違法行為を糺すシステムそのものが機能不全に陥った状態、いわゆる政治の腐敗が進んでいたのだ。

 


挿絵(By みてみん)


fig.2 1560年の大東主要領主




■17世紀中頃の大東の領主達


■天皇領


 征東から遷鏡にまたがる和良平野の過半を治める天皇領は石高440万石。

 


 モザイク状に分割された皇族の領地である。

 皇族の大部分は、領地の経営を在地の徴税吏に任せ、東京で居住している。

 

 平時の大東軍団は各領主が維持費を払うが、天皇領では収益を極大化させるために最低限の軍事連絡組織を維持するに留めていた。

 即応可能なように動員訓練を行う規則はあったが、誰も守っていなかった(中には、夏の農閑期に指揮官を東京から呼び寄せ、農民を動員して訓練させる戦争ごっこが趣味の変わり者もいたが)。

 

 まるで、室町幕府衰退期の守護職が、領国経営を守護代に任せっきりで、自らは家族と共に都にいたのとそっくりの状況だった。

 


 南隣には名門の保科伯爵領(90万石)が配置され、茶茂呂人に対する防壁の役割を求められていたが、長い年月のうちに黒姫伯領と血縁関係を深め、1555年に保科-黒姫秘密同盟が結成されている。

 

 しかし天皇家には表向き忠誠を誓っている。

 


 片脇勲爵領は、数百年にわたる巨大な湿地の改良によって60万石規模に膨れ上がっている。

 過去に幾度も爵位剥奪の危機を乗り越えた外交力に優れた貴族である。

 


 加良勲爵領は、20年戦争の激戦地、小苗古戦場を領内に持つ。

 勲爵ながら伯爵に匹敵する勢力を持つ。

 石高50万石。

 



■高埜公爵領


 二者陸繋から仙頭台地に至る豊かな8万平方キロの平原を治める大東最大の貴族である高埜公爵領は石高350万石。

 

 小泉湾と入口湾に挟まれた境都と境東府を版図に収めており、新旧大東島の沿岸交易路の中心地を支配した。

 境都は陸繋の陸上交易路の要地として古くから発達し、摘麦産小麦の集散拠点でもあった。

 

 また、境都は新旧大東島の文化的結節点として、高い文化を誇り、高埜氏の重要な現金収入源となっていた。

 


 高埜公爵領は笹森・西原・長瀬・坂上伯領の4大国に囲まれ、これらと同盟関係を築いていた。

 4大国合わせた石高は120万石。

 またこれらの伯爵領は、日本の侵攻から大東の大地を守るという役割もあった。

 


■田村公爵領


 二者の新大東島側及び陸中にまたがる新州最大の貴族田村公爵領は石高180万石。

 

 面積としての版図の大きさでは、大東国1位の大国である。

 石高の約半分は、米ではなく小麦であるため、石高は小麦米換算後の合算値になっている。

 

 大型の蒙古馬の生産が盛んで、特産品は乳製品と肉類、木材。

 食糧生産の余剰分の多くは、駒城伯爵領や凍陰に移出している。

 


■草壁・守原伯領


 草壁95万石、守原70万石(小麦米換算)。

 

 守原氏が田村平野から逃れて定着したのは約50年前のことになる。

 「二十年戦争」時には協力関係にあった田村・守原両家だが、田村氏の相続争いに巻き込まれ、東京に強い繋がりを有す田村氏に領地替えを強いられた。

 

 以後、小領主が並立していた摘麦で勢力を回復し、1560年の段階で草壁・守原両氏が摘麦を二分する大勢力となっている。

 

 田村氏は草壁に好意的な中立姿勢を保っているが、境都の米座為替御用会所へ守原産小麦を移送中、田村公爵領を通過する際に何かと理由をつけて通行手続きを邪魔する動きをみせることもあった。

 


■多田野伯領


 名門多々野伯領は、大坂を含む豊かで温暖な地域を支配しており、石高80万石。

 

 戦国時代に入ってからは、照神道徒領の圧迫に苦しんでいる。

 大坂商人の資金援助によって照神道徒の討伐を行うが、天然の要害である三峰山脈に阻まれている。

 

 照神道徒領は、中小領主を滅ぼし74万石規模に膨れ上がっている。

 


■茶茂呂勲爵領・黒姫伯領


 かつて幾度も大東朝廷を悩ませてきた茶茂呂人が人口の多くを占める茶茂呂ちゃもろ氏は、爵位を勲爵に留められるなど朝廷に冷遇されてきた。

 

 16世紀に入ると、茶茂呂勲爵領は積極的に周囲の勲爵領を吸収し、大規模化していった。

 このため伯爵に匹敵する勢力を持つ。

 

 黒姫こっき伯領は、かつて歴史的経緯で朝廷側についた茶茂呂人居住地域である。

 茶茂呂人が多く住む旧大東島南端に蓋をするように配置された黒姫伯領は、再三にわたる朝廷の茶茂呂勲爵討伐令を受けながらも、何かと理由をつけては動かなかった。

 

 今や、朝廷の警戒心は専らこれら茶茂呂人に向けられている。

 


■駒城伯領


 駒城こましろ伯領は、陸中の孤島のような形状をしている。

 駒城山脈を包含するため、ゆるやかな傾斜地を利用しての放牧が盛んである。

 

 南東部で穂口平野を含んでおり、石高は40万石を有する。

 しかし牧畜などでも多数の人口を養うなど、実際の国力は石高よりもずっと高い。

 

 駒城山脈は幌辺川の源であり、駒城家東部で久須利川と運河で連結されている。

 冬季には、凍陰の海岸は流氷が張るため、運河は冬季の北周り内陸航路として、大きな経済的価値がある。

 

 駒城氏の冬の居城が建設されている大森は、年間を通じて木材集散地として活発な商業活動が営まれている。

 


 駒城伯領の周辺を河鹿・小牧・向坂・古室勲爵領が取り囲んでいる。

 日本の伊達氏と似た、地縁・血縁でがんじがらめになったハートランドの大国という位置付けといえよう。

 

 さらに北の利鏃、牧村などには、戦国大名として活動するだけの能力はない。

 


■松原・倉田・相良伯領


 龍嶺山地を挟んだ南は相良平野、北を真室平野と呼ぶ。

 松原伯領はより寒さの厳しい真室平野にある。

 主要な農作物は小麦・大麦など。

 また、大東島周辺海域は暖流と寒流の合流地点であるためにどこも良い漁場であるが、陸南東方の海域は特に豊かな漁場である。

 

 陸南は寒冷な気候ながら、古くから北府が設置され、北辺防御のために名門貴族が配されていた。

 

 戦国末期まで陸南の秩序を維持し、戦乱の影響を最も受けなかった地域である。

 


 ちなみに大東島には、西日本列島と異なり一つの活火山も見つかっていない。

 大東島の地質学的な環境から考えると、マントルがプレートに沈み込む収束型境界の手前に位置する大東島に活火山が存在しないのは当然だ。

 

 海溝から沈み込んだプレートがある一定の深さに到達したプレート境界に、火山は多くみられる。

 西日本列島がこの典型的な例である。

 

 しかし、奇妙なことに龍嶺山地の地下には熱源が地表近くまで迫っており、山地全体の表層を温めている。

 龍嶺山地から下る大苗川は水温が才吾川よりも高い。

 そのため、松原伯領でも稲作は可能であった。

 また、この地域には大東島唯一の温泉が存在する。

 


 余談であるが、20世紀末に大々的な起震探査が実施された。

 その研究成果から龍嶺山地地下の三次元マップが作成されたが、熱源の正体は未だはっきりしない。

 

 龍嶺山地直下でマグマ溜まりがマントルから乖離し、深部からマグマが供給されていない可能性が指摘されている。

 この”孤立マグマ説”の重大な欠陥として、継続的な熱の供給がなければマグマ溜まりはせいぜい数十年で冷えて固まるという点が指摘されている。

 

 しかし、蝦夷諸部族の口伝によると、龍嶺山地では遅くとも紀元5世紀頃から温泉が確認されている。

 

 この謎を解明するために2013年現在、精密な重力・磁場探査計画が実施されている。

 



Table.1 主要領主の石高

     (1562年。麦作地帯は小麦米換算している)


地域名 人口  領主/石高

    (万人) (万石)

凍陰  20  牧村7 利鏃7

駒城  50  駒城40

陸中  95  田村50、川鹿・小牧・向坂・古室50

陸南  110  松原・倉田・相良88

摘麦  175  草壁95、守原70

二者  390  高埜150、田村130、主神道徒60、その他50

越鏡  350  高埜200、笹森・西原・長瀬・坂上120、その他20

遷鏡  650  天皇領380、保科90、片脇60、加良・椎名50、その他40

征東  230  多田野80、照神道徒74、天皇領60、その他10

茶茂呂 180  茶茂呂105、黒姫50

総計  2250 2136


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