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きまぐれ★プレートテクトニクス 〜太平洋を横断した陸塊「大東島」〜  作者: 扶桑かつみ
引きこもりルート

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344 2nd_War(10)

 ■第二次世界大戦(3)


 日本国内では、高性能な兵器の開発と量産に向けた動きが一気に加速した。

 今までは近代国家として格下の中華民国が相手だったが、次は工業先進国ドイツとの戦いとなるため、出来る限り高性能な兵器を、出来る限り沢山揃えなければならないと軍が考えたからだ。

 

 新兵器開発促進のため、主にイギリスからの技術入手(主にパテントの購入)も行われ、少し後には主にイギリスとの共同開発や研究も実施された。

 イギリスには、日本からの技術も伝えられた。

 またアメリカからも、兵器の購入が行われた。


 軍艦では、大型艦の建造が減らすか優先順位を大きく下げ、イギリスから情報を得た対潜水艦戦に適した装備の開発と量産が急ぎ始まった。

 建造中の巨大戦艦は、一時の建造中止を経て対地攻撃を重視した航空母艦への改装が開始された。

 

 ドイツ海軍、イタリア海軍共に、現状の日本海軍の戦力で十分と判断されたからだ。

 ただし既存艦艇を使い潰す目的で、従来の艦艇の対空、対潜兵装の強化は急ぎ実施された。

 そして大きな軍艦よりも、戦訓から今時大戦で最も重要と考えられる戦車、航空機が開発の主軸となった。

 

 戦車はより大型で、大火力、重装甲、高機動が目指された。

 航空機は、既に新型機が量産配備されつつあるにも関わらず、航続距離よりも機体の耐久性や最高速度に重点が置かれた。

 主力戦車となる中戦車は、従来の二倍の重量(17トン→35トン)に拡大されたほどだ。

 

 そして戦車、戦闘機はもちろん、すべての兵器がより良い機材の選択と開発が目指された。

 また、日本もアメリカのレンド・リースの対象となったため、アメリカで大量に作られる予定の兵器や製品については日本での開発を除外し、より必要な兵器の開発へと重点的に予算と人員を投じることになる。


 「参戦準備」をしているうちに1942年へと入るが、日本ばかりかアメリカもまだ参戦していなかった。

 アメリカも、日本同様かそれ以上に国民が参戦を否定する向きが強く、アメリカが露骨に行っていた挑発にドイツが容易に乗ってこないからだった。

 

 日本も、武官という名目の調査隊が北アフリカに入り、ロンドンには多数の武官という名目の連絡将校が派遣されていた。

 本格的な実戦部隊も、日本船舶の護衛という名目で、インド洋を越えてエジプトのアレキサンドリアにまで軍艦が出入りするまでになっていた。

 護衛艦艇は、商船共々頻繁にイギリスの港に出入りしていた。

 

 日本国内の飛行場では、各種軍用機が溢れかえるようになっていた。

 また「義勇航空隊」が追加で編成され、イギリスのマークを入れた日本人が操る日本機が英本土以外にも飛ぶようになった。

 

 このため世界では、アメリカと日本の参戦が先か、ドイツがソ連を倒して戦争を終わらせるのが先かと言われるようになる。

 しかしドイツは、1941年冬に首都モスクワの攻略に失敗し、ソ連軍の冬季反抗でかなり押し戻されていた。

 

 この半年間ソ連軍は、秋まではこれ以上はないと言うぐらいの敗北を続けていたが、秋から冬の到来と共に抵抗力を高め、そして反攻へと転じた。

 だがこの反攻の成功は、独ソ戦開始に伴う日ソ関係の劇的な改善と、秋からのアメリカのレンドリース、日本との貿易にあると言われている。

 

 しかし日米の物資がモスクワ攻防戦に間に合った可能性は低く、どれだけ早くても冬季反抗からだと考えられている。

 ドイツの侵攻を止めたのは、ソ連軍の必死の抵抗とロシア伝統の「泥将軍」と「冬将軍」だった。


 なお、アメリカのレンドリースは、日本の援助やバーター貿易と同様に、太平洋とシベリア鉄道を使うルートが主に使われた。

 太平洋とシベリア鉄道を使うルートは、ドイツ軍による妨害が全くあり得ないからだ。

 

 また、イギリスが中心になっていたペルシャ湾からの援助ルートは、地中海の危険性が消えるまでアメリカからの距離が遠すぎた。

 ノルウェー沖を通る北大西洋ルートの危険性については言うまでもないだろう。

 

 このため、イギリスからソ連への援助物資は日本、アメリカが手伝う形でペルシャ湾から届けられた。だが、北大西洋から送り込むルートについては、戦争後半まであまり使用されることはなかった。

 

 反対にシベリア鉄道ルートは、時を増すごとに規模を拡大したため、アメリカ、日本共に自らが製造した強力な機関車や貨車までも大量に供与するようになり、シベリア鉄道は満員御礼状態となった。

 

 この結果、日本ばかりでなくアメリカも安全にソ連を援助できるようになり、危険な北大西洋ルートはイギリスの支援だけをすればよくなった。

 

 そして安全性が増した状態でイギリス、ソ連双方が強化される事でアメリカ国民が安心度合いを強めてしまう。

 しかもアメリカ国民は、自分たちの国が支援を強めることで参戦の気運が下がるという逆効果を産んだ。

 

 このためアメリカ参戦が1942年11月のアメリカ中間選挙の争点となり、積極的な参戦をスローガンとした共和党が勝利するという結果を残した。

 だが中間選挙の結果、アメリカの民意は参戦と決し、アメリカ参戦の道筋が整備された。

 そして12月7日、アメリカ合衆国はついに第二次世界大戦に参戦する。


 一方日本だが、日支戦争終了での厭戦感情、遠いヨーロッパでの戦争、白人同士の戦争に対する感情の希薄さが、日本国民にすぐの参戦をさせないでいた。

 また商船及びその護衛艦艇、さらには義勇パイロットの犠牲者という名の戦死者が出ていたので、これも徐々に日本の反ドイツ感情を高めた。

 

 だが、日本国民を最終的に参戦に動かしたのは、どちらかと言えば侵略国家ドイツに攻撃されている国々や民族に対する義侠心だった。

 日本は国民感情を参戦に傾かせるために、ニュース映画でロンドン爆撃やソ連でのドイツ親衛隊の蛮行などを連日流し、ラジオでも連日速報で戦況が報道された。

 ソ連からは、両国の合意の元で傷病兵や老人子供の疎開民が日本に多数受け入れられ、その様子が報道各社から国民に伝えられた。

 

 ドイツ国内でいわれのない差別を受けている、ユダヤ人、ロマ、ポーランド人に対する保護や援助、支援も、主にドイツ占領地から逃れてきた人々に対してだが熱心に行われた。

 特にユダヤ人に関しては、アメリカ、イギリス共に国内に微妙な問題(※保護と差別双方の両極端な主義者)を抱えているので、日本の担当となる事が多かった。

 そうすることで国民にドイツへの敵意を植え付け、ヨーロッパの戦争へ日本が参加する気運を作り上げていった。

 

 そうして1年近く続いた、日本帝国政府の参戦機運を盛り上げる努力は実を結ぶ。

 アメリカよりも半年早い1942年6月6日にドイツ、イタリア両政府に宣戦布告文書を渡すに至ったのだ。

 

 参戦理由は、ドイツ軍の攻撃でも自らの謀略でもなく、単に「連合軍としての義務を果たすため」とされた。

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