342 2nd_War(8)
■アメリカ、ソ連の対日戦の場合の軍事想定(2)
まずはソ連から見ておこう。
ソ連は、自ら極東のザバイカル方面を中心に、平時戦力の3割に当たる約30個師団(ソ連の師団はかなり小型)を中心とした80万の兵力を防衛的に配備していた。
防衛的なのは、日支戦争半ば以後の日本軍との軍拡競争に、最早つき合えなくなっていたからだ。
有事の際のバイカル湖までの後退は、もはや規定計画だった。
日本陸軍は、日支戦争が終わるまでに35個師団、120万の兵力を満州に置いていた。
部隊の半分程度は、ソ連との兵力上積み競争の結果だ。
だが、残りは戦争がさらに泥沼化した場合、華北部の中華共産党を総攻撃するために集めつつあった部隊だった。
しかも中華大陸には、既に250万の兵力を展開していた。
そして本国には、予備を含めて120万の兵力があり、さらに戦争終了時点で100万の兵力が編成及び訓練中だった。
この数字は、当時のソ連全軍を越える規模であり、ソ連を焦らせるのに十分な数字だった。
スターリンなどは、当初は誤報や誤情報と断じたほどだった。
そして日支戦争が終わると、日本陸軍は中華中原から250万の兵力を引き上げなければならないが、うち3分の1程度は鉄路で満州へと移動した。
華北に投入予定だった満州の部隊も、当面はそのまま維持された。
日本陸軍は、まずは上海などから軍主力を日本本土に引き上げ、これをいち早く動員解除する事を優先したからだ。
満州に移動した兵力については、約束を履行するためのやむを得ぬ措置と対外的に発表されたが、ソ連牽制が目的なのは間違いなかった。
そして一時的であれ、1941年春までに200万以上の兵力が満州に溢れることになる。
ソ連は、万が一日本がソ連に戦争を仕掛けたら、三ヶ月でバイカル湖まで奪われると予測していた。
そして石ころ一つ渡す気のないソ連の独裁者スターリンは、日本が動員解除するまでの措置として、日本との間に平和条約、できれば不可侵条約の締結を図ろうと接近する。
一方の日本は、基本的に共産主義者を信用していなかった。
加えてロシアは、昔からの仮想敵だった。
しかもソ連は、日本が日支戦争をしている間に多くの戦力を満州などに並べ、さらに国民党を支援していたのだから当然だろう。
中華民国への軍事支援、武器輸出については言うまでもない。
日本にとって、この時点での次なる敵はドイツよりもソ連だった。
だからこそ、戦争が終わるとすぐにも満州の兵力を大幅に増強したのだ。
この日ソの対立激化を、イギリスはそれなりに好意的に見ていた。だがアメリカは、日本の軍備増強や軍国主義、さらにはチャイナに対する侵略を非難した。
一方、依然として親華姿勢、反日姿勢を続けるアメリカは、日本との海軍拡張競争に進行速度の面で負けている状況を極めて危険視していた。
日支戦争による日本の大規模な軍拡も、戦争の原則を無視して日本を強く非難し続けた。
アメリカの政策には、ルーズベルト政権および民主党の、反日的傾向と親華傾向が強いというのもある。
さらには親ソ傾向と、アメリカの各所に居た共産主義のシンパなどが、ソ連を援護するべく反日政策を進めさせたとも言われている。
だが一方で、日本が強大な海軍を保有し、広大な北太平洋全域を実質的に支配し、さらには北米大陸の一部に領土すら持つという日本を、明確に自らの脅威と認識していたからこその強硬姿勢と取ることも出来るだろう。
そしてルーズベルト大統領は、アメリカ海軍首脳部に詳細なレクチャーを受けたが、悲観的な報告ばかりだった。
海軍は、日本とアメリカが今後どことも戦争しないと想定した場合、1945年下半期までアメリカが主に主力艦艇の総量において不利な立場に立たされると、資料や数字を上げて説明した。
アメリカが大西洋と太平洋の両洋に艦隊を置かねばならない現実を考えれば、アメリカが「両洋艦隊」に倍する規模の海軍拡張を実施しない限り、日本に対する不利を覆せないと言うことだった。
最悪の想定では、日本側がアメリカを攻撃する場合に最初の攻撃が奇襲攻撃となって、しかもアキレス腱のパナマ運河を破壊するというものだった。
つまり日本を外交的に追いつめれば、日本側から手を出す形で戦争を起こすことは可能だが、ルーズベルトが望んだと言われる日本本土へ短期間で侵攻できる可能性はほとんど無かった。
日本という国家は、アメリカにとっても十分な国力と軍事力を有する国だった。
大統領に近いシンクタンクが出した結論でも、日本を完全屈服させるには最大で7年必要とはじき出していた。
そして7年もの戦争には、アメリカ経済とアメリカ市民が耐えられないと結論していると言われる。
しかも万が一全面戦争になった場合、当面の戦場は最低でも東太平洋であり、かなりの確率でアメリカ西海岸が戦場となる可能性を示していた。
西海岸一帯が占領され、中西部が激しい空襲を受ける可能性も示されていた。
しかも戦中に分かった話だが、日本は対米戦備として秘密裏に爆撃用の航空機を搭載する潜水空母複数を建造し、東海岸を爆撃する計画すら開始し、早くも1941年には一部完成していた。
さらには、航続距離1万キロメートルの大型爆撃機の開発も急いでいた。
日本軍(正確には日本海軍)の軍事戦略が、アメリカ東海岸を向いていたのは明白だった。
なお、アメリカの海軍力の不利や日米戦での西海岸での戦闘の可能性は、20年近く前から議論されていた。
このため、共和党を中心とする議員やアメリカ議会のかなりが、ルーズベルト政権の偏った親華反日政策に反発していた。
ルーズベルト政権への反発から、共和党議員が日本の事を研究したり、日本と関係を深める行動も見られた。
西海岸の華僑が行うロビー活動にも、厳しい目を向けた。
明らかにアメリカが中華民国の肩を持つと、日本との関係が悪化しすぎるため、アメリカ議会が行き過ぎた親華政策を止めるよう議案を提出したことすらあった。
日本の政治家の一部も、一定程度の関係を維持するためにロビー活動や親米活動を粘り強く行った。
また、アメリカと日本だけが太平洋を挟んで戦っても、ヨーロッパの戦いとは無関係だった。
何しろ当時の日本には同盟国が無かった。
それどころか、ドイツとは半ば敵対しているほどだった。
このためイギリスは、アメリカに日本と故意に関係を悪化させないように強い要請が出たりもしていた。
しかしルーズベルト政権の親華反日政策は、不思議と変わらなかった。
日本の国際的な立場がどう変化しようとも、日本は軍国主義でありアジアの侵略国家だと言い続けた。
またアメリカだけは、満州国の承認を拒み続けた。
主な理由が、アメリカ東部の支配層から見て、日本がアメリカの太平洋進出、チャイナ進出の最大の障害だと言われる。
加えて、日本が北太平洋の全域を支配している事も、アメリカが目指す世界戦略上で非常に不都合だったからだと言われることは多い。
理由はどうあれ、非常に自国本意と言えるだろう。
なおアメリカから見て、日本はアラスカ(荒須加)を保有する「北米国家」の一つと定義されている。
また、北太平洋上東部の先島諸島、羽合諸島(王国)も保有しているので、「近すぎる国」と一部では認識されていた。
また極東もしくは東アジアの国ではなく、北太平洋の国とも定義されていた。
そして何より、「文明の遅れた有色人種の国」がアメリカと同等かそれ以上の海軍を持つなど、主に東部の白人至上主義者にとって受け入れがたい事実だった。
しかも日本の海軍力は「ネーヴァル・ホリデー」下でアメリカと同等であり、1930年代半ば以後は日本との過度の対立は国家安全保障上で可能な限り避けるべきだと考えられていた。
こうしたアメリカ国内の感情と姿勢が、日支戦争でアメリカが中華民国を極度に重視しなかった背景にもなっていた。
そして日支戦争が終わると、アメリカから見ての日本から受ける軍事的圧力は極度に拡大する。
日本だけが、本格的な全面戦争で軍の規模を大きくするばかりか、初期の海軍拡張計画艦を続々と就役させつつあったからだ。
一時的な軍事バランスは大きく崩れ、圧倒的に日本優位となっていた。
一方では良識も遅蒔きながら目覚め、国際的に孤立した軍事大国を放置することそのものが問題と考えられた。
そこでルーズベルトは不本意ながら、イギリスの考えに同調する形で日本を連合軍に引き込み、ソ連を押さえ込みつつナチスドイツの早期打倒を図るという政策へと徐々に変更されていく事となる。
そうしなければ、アメリカはヨーロッパ市場を全て失ってしまうからだ。
それは日本や中華など極東問題よりも、はるかに重要な問題だった。




