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きまぐれ★プレートテクトニクス 〜太平洋を横断した陸塊「大東島」〜  作者: 扶桑かつみ
引きこもりルート

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341 2nd_War(7)

■アメリカ、ソ連の対日戦の場合の軍事想定(1)


 1941年に入った頃、ヨーロッパでの世界大戦は当事者以外にとっては少しだけ「階段の踊り場」状態にあった。

 そして同時期、東アジア情勢が、主に日本の対向国にとって緊張状態にあった。

 

 日本帝国は、日支戦争が終わった時点で約500万人の兵士を動員していた。

 加えて、さらに100万人の動員を進めていた。

 中華民国との戦争が続いた場合は、総兵力160個師団、550万の巨大な陸軍が誕生する予定だった。

 海軍も大規模な動員を進めていたので、動員数も600万人に達する予定だった。

 

 各部隊の質の面も、機械化、重火力化が可能な限り進められていた。

 特に航空戦力の拡充は顕著だった。

 軍需工場は、兵器と弾薬を3交代24時間のフル操業で、増産に次ぐ増産を重ねていた。

 新兵器の開発速度も、戦時レベルにスピードアップした。

 

 そして1941年に入った時点で、目指した状態はほぼ完成しつつあった。

 この大兵力で、今度こそ本気で中華民国を滅ぼすつもりでいた。

 

 四川盆地や華北奥地に攻め込むため、陣地突破用の新型の重戦車や、進撃に必要な輸送用トラックも多数生産しつつあった。

 航空機も、爆撃機を中心にさらに増産が進んだ。


 一方海軍だが、ただでさえ英米と同等の海軍を持つ上に、他国に先駆けて軍縮条約から解き放たれ、1936年からかなりの規模の海軍拡張を実施していた。

 既存の艦艇だけでも、戦艦18隻、正規空母7隻、軽空母2隻、重巡洋艦15隻、軽巡洋艦30隻、駆逐艦100隻、潜水艦50隻という陣容を誇っていた。

 加えて1936年度計画だけで、大型戦艦4隻、大型空母4隻、巡洋艦8隻、他多数という艦隊拡張計画を開始した。

 

 この拡張規模は、アメリカ、イギリスへの対抗を考えたものと言われることが多いが、兵器の更新時期だった影響の方が大きかった。

 でなければ、従来の米英海軍を足したほどの新造艦艇は計画しなかっただろう。

 

 だが、日本に刺激されたと言われるアメリカが、1937年に続いて38年に大規模な海軍拡張を実施すると、呼応して1936年度計画を1年前倒しにした上で、1938年度計画を開始する。

 

 1938年度計画は前の計画よりさらに大規模で、大型戦艦4隻、大型空母6隻、重巡洋艦4隻、軽巡洋艦12隻を中心としていた。

 しかも計画された戦艦の半数が、情報が非公開ながら条約を大きく上回る巨大戦艦だと言われていた。

 もちろんだが、大量の航空隊の建設も計画には含まれていた。


 どちらの計画も、経済力で三倍の国力を有するアメリカの計画を上回っていた。

 このためアメリカは1940年春にもさらに拡張計画を実施し、さらに同年7月に「両用艦隊法」を可決して、日本を遙かに上回る海軍拡張を開始する。

 

 だが日本も負けておらず、1940年に中型空母4隻と多数の小型艦艇を中心とする追加の拡張計画に踏み切った。

 1942年にも、さらに大規模な拡張を計画していた。

 

 しかし、日本が事実上の全面戦争中だと思えば、国力から比較して海軍拡張は限定的だった。

 この点からも、アメリカに隙を見せないための計画であって、アメリカとの本当の戦争を目的としているのではない事が見て取れる。

 その証拠と言うべきか、本当に戦時に必要な艦艇の建造計画は、この時点では計画以外では研究と一部設計くらいだった。

 

 また陸海軍双方が保有する航空隊、つまり空軍だが、陸海軍共に1000機以上の第一線機を抱えており、1941年春には稼働機数が総数5000機に達する予定だった。

 パイロットの養成と機体の大量生産も、1938年から計画が大きく前進しつつあった。

 そして航空兵力の面でも、アメリカの計画にかなり先んじていた。


 そして巨大な軍事力を生み出したのが、欧米各国のほぼ全てが軽視していた当時の日本の国力だった。

 この点を見てから、次に進もう。



 ・1940年度の日本の各種統計概要


・総人口: 約2億2000万人

・総動員時の最大兵力数: 1400万人(※予測値)

・国内総生産  : 682億円(1ドル=約2円)

・一人当たり所得: 310円(1ドル=約2円)

・粗鋼生産力: 約2600万トン

・船舶保有数: 約1300万トン

・石油消費量: 約2150万キロリットル(1800万トン)

・石油採掘量: 約300万キロリットル(250万トン)

・石油備蓄量: 約1800万キロリットル(1450万トン)


※石油に関しては、満州国より大量に輸入。

 一部を欧米より輸入。

 

※為替レートは、日本の戦時国債多発により円の価値が一時的に約二分の一に低下。


 

 領域は、保護国のハワイ王国を含めると広大な北太平洋のほぼ7割にも広がっていた。

 北の僻地が大半とはいえ国土面積も600万平方キロメートルを越えるという事を考えれば、世界の地下資源の偏在は日本人達にとってはかなり理不尽に感じたことだろう。

 

 近代国家の血液とも言われた石油に関してだと、満州で見つかった大油田(油層も深いし質も低い)がなければ、英米に対する無謀な挑戦を行わなくてはならなかった可能性が高ったと言われる事が多い。

 石油以外にも、既に近代国家として産業の発展した日本では、他にも足りない資源も沢山あったが、近代国家の血液とも言われる石油が国内で最も不足していたからだ。

 

 日本が、大規模で有望な油田を持つ欧米各国との関係を重視しようとしたのも当然の選択で、イギリスの申し出はまさに渡りに船だった。

 何しろ当時世界の大油田は、非常に偏った場所に存在していた。アメリカ南部、バクー、マラカイボ湖、ペルシャ、蘭印などだ。そしてその一つに、日本の北満州油田があるのは、日本にとって幸運だった。

 

 そして国力の指標である国内総生産だが、中華民国との全面戦争によって一気に膨れあがっていた。

 無論この数字は一時的なもので、このままいけば戦後に大きな不景気に見舞われるのは間違いなかった。

 

 1936年から1940年で名目上約二倍に膨れあがったのも、巨大な戦争による受注で余剰生産力が全て生産に回った事が強く影響していた。

 約5割も上昇した粗鋼生産についても同様だった。

 加えて日本には、満州国の資源や生産力でアテにできた。

 石油などは、その最たる資源だった。

 

 保護国で遅れたまま植民地的に放置されている朝鮮半島も、資源の少ない日本にとっては、地下資源の面でそれなりに利用価値があった。

 つまり、日本が有する領域と国力は、一国というよりは一つの地域と呼びうるものだった。

 

 また世界各地との貿易も途絶しておらず、主に東南アジア地域からの資源輸入は拡大傾向で行われていた。

 石油、錫、ボーキサイト、生ゴム、キニーネなど、日本が東南アジアに依存する資源は少なくなかった。

 

 そしてソ連とアメリカは、日本がイギリスを助ける予定とはいえ、軍事的にフリーハンドになったことで大いに焦った。


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