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きまぐれ★プレートテクトニクス 〜太平洋を横断した陸塊「大東島」〜  作者: 扶桑かつみ
引きこもりルート

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337 2nd_War(3)

 ■日支戦争(1)



 日本は、通告した通り中華民国に対して宣戦布告を実施。

 既に準備を終えていた軍が素早く行動を開始。

 「日支戦争」が勃発した。

 もともと満州(=対ソ連)向けの即応部隊として国内に1個軍団(3個師団・約7万人)が準備されていたので、日本陸軍の動きは非常に早かった。

 日本海軍も、すぐさま揚子江沖合に有力な艦艇を展開した。

 

 このため反日傾向を強めていたアメリカなど一部諸外国は、戦争自体が日本の謀略だと考えたほどだった。

 だが紛争当初は、現地中華身国軍は数で圧倒していた。

 装備も悪くなく、ドイツ製の軽戦車すら装備していた。

 

 現地日本軍は、海兵隊が2000名程度が駐留する以外は、旧式の装甲巡洋艦が停泊している程度だった。

 しかし海軍の旧式装備で重武装であり、また海軍内から選抜された兵士で構成されているため、海兵隊はねばり強く戦った。

 そしてすぐにも、日本本土から援軍が来援する。

 

 来援したのは、大船団に載せられた陸軍部隊と、それを護衛する海軍の大艦隊だ。

 しかも沖合には、航空母艦までも展開していた。

 上海郊外に上陸した日本軍は、上海に駐留する数も少なく警備部隊程度の装備しか持たない日本海軍海兵隊とは格段に違っていた。

 

 陸軍の正規3個師団に支援部隊を加えた軍団規模の大部隊な上に、全ての師団が戦車連隊と機械化捜索連隊(機甲偵察大隊)を持つ。うち1個師団は歩兵など全ての兵科が自動車化され、支援部隊に重砲兵旅団などを持っていた。

 このため、上海に押しよせた大船団は、優に100隻を上回る大規模なものだった。

 

 各師団の装備(数と質双方)も、当時の欧米の第一級のものとほぼ同程度あった。

 急速な機械化が進んだ陸軍大国ソ連と戦うことを考えれば、当然の装備と編成だった。

 だが、列強より劣る軍隊でしか持たない中華民国軍に対するには、質の面では過剰な戦力だった。

 

 そして中華民国側が準備した塹壕は、戦車部隊と機械化された重武装の歩兵部隊にとっては障害物にもならなかった。

 また装備だけでなく、戦術も大きな隔たりがあった。

 国民党軍は、ドイツ軍事顧問によって塹壕戦を基本とした第一次世界大戦型の戦闘を想定し訓練していた。

 ドイツから軽戦車をもらったが、それも陣地防御に使うつもりでいた。


 一方の日本帝国軍は、第一次世界大戦の塹壕戦を研究しつくした上に、急速に機械化を進めていたソ連赤軍との満州外縁の草原地帯での戦いを想定して、高度な機動戦、機械化戦を前提としていた。

 戦車に対する認識も、中華民国では歩兵と共に戦う「鉄牛」だが、日本では大東人が言い始めた「鉄騎」、「鉄の騎兵」と呼んでいた。

 

 中華民国軍が、戦車は旧来通り単に歩兵に随伴する移動するトーチカと見ていたのに対して、日本帝国陸軍は機動性を重視していたという事になる。

 日本陸軍内では戦車に対する理解は大東系軍人の方が高く、西日本が歩兵支援の戦車を求めたのに対して、大東では早くから機動性と対装甲戦の重視が言われていた。

 この時部隊を率いていた指揮官も、大東北部の武士出身の守原大将(伯爵家の分家筋の地爵バロン家当主)だった。


 日本の大軍派遣に対して、中華民国は大本営を設置し全国総動員令を下した。

 さらに蒋介石自らが陸海軍総司令に就任し、全国を4つの戦区に分けて純然たる全面戦争体制を取った。

 日本が宣戦布告したので、自らも仕方なく宣戦布告を実施した。

 

 対外向けでの声明では、日本の侵略に断固戦うと事実上の徹底抗戦を発表した。

 だが宣戦布告したことで、日華ともに戦時の国際法に縛られることになり、貿易、特に武器の購入に大きな支障を来すことになった。

 

 特に武器を輸入しないと戦えない中華民国にとって、長期戦を選択できない事を意味していた。

 仮に他国から支援なり援助を受ける場合、支援する国は日本との戦争状態を覚悟しなければならなかった。

 

 また中華民国にとって、日本が早期に大軍を派遣したことは予想を越える事態だったが、このまま全面戦争に持ち込む事で日本を「悪者」にして、国際的に有利になると言う算段があった。

 ここまでは、ある程度は蒋介石の目論見通りだった。

 

 あとは広大な国土を利用した持久戦をしつつ、諸外国を利用して日本を中華世界から追い出し、最終的には自分たちが勝利する筈だった。

 困難はあるが、蒋介石はやる気になっていた。


 上海の国民党軍は、流石に精鋭部隊だけに奮闘した。

 日本側の戦力が少なかった事もあって、戦況は一時膠着状態に陥った。

 このため蒋介石は、さらに国際世論に訴えるべく行動を強め、アメリカを中心に中華民国を支持する動きが強まった。

 

 特に外交上では、戦争開始前に日本が色々と腐心したにも関わらず、日本を非難する声が強まった。

 当然と言うべきか、日本国民は不条理に日本を非難する国に対する敵意を募らせる事となる。

 

 だが、10月になると戦況が一変する。

 上海近郊の杭州湾に日本軍の大規模な増援が上陸し、「上海包囲戦」が実施されたからだ。

 

 これで戦況が一転。

 杭州湾に上陸した日本軍は、先に上陸した部隊よりも重武装だった。

 戦車を中心とした実験的な機甲師団(戦車師団)を含む、重武装の機械化部隊だったからだ。

 

 このためほぼ無血で上陸して大胆な機動戦を始めると、旧来の軍隊でしかない中華民国軍では全く対応できなかった。

 ドイツが供与した軽戦車を前面に押し立ててもみたが、機関銃しか装備しない小型の軽戦車では、本格的な戦車を大量に装備する日本軍の敵にもならなかった。


 しかも運用するのが、不慣れな中華民国の兵士とあっては尚更だった。

 上海に展開していた中華民国軍30万は、依然として数では劣る日本軍に呆気なく包囲され、側面と背後から攻撃された事で一気に瓦解した。

 

 一連の戦闘で国民党精鋭部隊がほぼ殲滅されると、追いつめられた蒋介石は、いっそう全面戦争の面を政治的に押し出そうとした。

 だが日本軍は、上海近辺の中華民国軍を掃討すると、上海周辺から進撃しようとはしなかった。

 

 日本帝国政府は、事態を外交に持ち込んだ。

 宣戦布告はしたが、日本の目的は上海の中華民国軍に懲罰を実施するためだからだ。

 日本は、イギリスなどに仲介を頼むと共に、国際連盟に中華民国の国際法違反を分かる限り証拠を揃えて訴え出たのだ。

 

 先年のクーデター騒ぎで綱紀粛正が行き届いていた日本陸軍も、現地軍が勝手に動くような事は無かった。

 現地で動こうとした者は皆無では無かったが、中央から派遣された将軍達と現地の憲兵隊により拘束され、その後強い処罰が実施されたほどだ。

 

 そして日本側が写真など物的証拠付きで提出した中華民国の違法行為は、中立地域での軍の展開、陣地の構築、先制攻撃、中立国への攻撃、自国民に対する暴力と掠奪、兵士と分からない状態での戦闘行為など、数え上げればキリがないほどだった。

 しかも日本軍は、上海にいた各国関係者を連れて現地視察もさせており、中華民国の政治的劣勢は明らかだった。

 


 そして本来なら、日本側の意図としてはこれで戦争終結の筈だったが、事態は思わぬところで動く。

 満州国の張作霖が好機到来と蠢動し、自らの元軍閥を中心とする満州国軍を動かして、現地日本軍を出し抜く形で一気に中華民国領内に侵攻。

 当時北平と呼ばれていた北京を占領してしまう。

 

 これで事態は一気にこじれ、諸外国は日本が時間稼ぎの謀略を働いたのだと対日姿勢を硬化し、あとはなし崩しに全面戦争になだれ込む事になる。

 日本としては、飼い犬に噛まれたようなものだった。

 

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