323 グレート・ウォー(1)
■大戦前の日本帝国
「グレート・ウォー」、「世界大戦」と呼ばれる戦いが起きた1914年頃、日本帝国は完全に世界の列強の1つに数えられていた。
同年の国家予算は約10億円(=ドル)。
軍事費は4億円を少し切る程度と、軍事費は列強の中ではアメリカに次いで低額で限られていたが、近隣諸国との力関係と距離を考慮すれば必要十分を満たしている。
この状況を全ての日本人が納得していたわけではないが、少なくとも大東島の東京に帝都を置く日本帝国政府は、そう考えていた。
日露戦争以後10年程の日本は、国内開発と新たに得た利権および割譲した領域の開発に多くの国費を投じており、また既に得ていた植民地での開発も加速させていた。
建国時大東と西日本の間にあった所得格差もかなり是正され、日本帝国本国の各地にかなり均等な割合で産業の発展も促されていた。
国内の社会資本を整備を推し進める事で、農業から土木事業に労働人口を移動させ、産業を大幅に発展させる素地を作り、さらに次の労働人口の吸収先を作ろうというのが、国家戦略上での大きな目的だった。
まずは、当時の世界列強の大まかな統計数字を見ておこう。
・1913年の各国総人口 (万人)
日本:15600
米:9200、英:6570、独:6700、
仏:3960、伊:3500、露:16700
※本国のみ
※英国のみカナダなど白人自治領含む。
英本国のみだと4500(万人)程度。
・1913年の一人当たり実質国民所得 (ドル)
日本:55
米:255、英:240、独:180、
仏:160、伊:90、露:45
・1913年の粗鋼生産力 (万トン)
日本:210
米:2600、英:1380、独:800、
仏:280、伊:90、露:450
(※ベルギー:140、オーストリア:220)
(※神の視点より:分かりやすく言えば、総人口は史実日本の3倍、一人当たり所得は4割増、GDP、粗鋼生産力は約4倍となる。領土面積は、本国が樺太込みで約3倍の114万平方キロ、全体で500万平方キロ前半ぐらい(日本列島の約13倍)。)
「グレート・ウォー」直前の日本帝国は、本国が温帯地域の肥沃な場所に位置するアジア国家らしく、非常に多くの人口を抱えていた。
一方で一人当たり国民所得では、いまだロシア以外の列強とは比較にならなかった。
これは、近世型農業国から出発してまだ日の浅い新興国だから仕方がない。
だが、国家としての総生産(GDP)になると、米英独に次ぐ順位だった。
無論、国力を単純にGDPで語ることはできない。
そのままだと4億人以上の人口を抱える中華民国が、イタリアを越えるGDPとなってしまう。
また日本の領域は、海外植民地を含めると凍土ばかりながらブラジルに次ぐ面積を有していた。
勢力圏とする海洋地域も、北太平洋の多くを占めるなどかなり広い。
単に数字だけだと、かなりの大国という事になる。
そこで出てくるのが近代化の指標とされる粗鋼生産力だが、日本の数字は微妙だった。
国力が不足するイタリアには大きく上回りオーストリアに匹敵するも、他の列強からは大きく下回っていた。
しかも、ヨーロッパのように近隣に近代的な粗鋼生産が出来る国がないので、鉄は高品質の輸入品以外は自力生産していた。
このため国内消費量は、列強として見るとかなり低くなる。
一方で石炭などは、国内に大規模な露天掘りが出来る良質鉱山があるため、2億トン以上が産出され多くが国内で消費されるまでになっていた。
鉄鉱石については自国内で生産(産出)していたし、石炭は完全自給しているのでこの点での優位は強かった。
新しい資源である石油も、この頃はほとんどが照明油と潤滑油用だったが、国内の北樺太の緒端油田が既に稼働して自給していた。
それ以外だと、主に西日本列島で銅、鉛など多く種類の鉱産資源が少量ながら産出されているので、当時は国内で不足する資源は少なかった。
このため、南満州の利権として得たフーシュン炭田の開発が一部疎かになったほどだ。
一方で、国内では人口が爆発的な増加を続けていたため、新たな入植地を欲していた。
その結果が、満州での精力的な行動になるだろう。
この頃の日本の問題は、国家債務の多さになるだろう。
依然として、日露戦争時の借金返済に苦しめられていた。
だからこそ、必要性の低下した軍備を可能な限り削減して、公共投資など国内開発に回して国力拡大に努力していた。
だが、産業の未発達、国内資本の少なさ、限られた商品輸出先など帝国主義的先進国として足りないものが多すぎて、かなりの行き詰まりを見せていた。
■開戦頃の日本帝国軍
・陸軍: 平時定員:約37万人
歩兵師団:30個(西日本:10個、大東:19、近衛:1)
騎兵連隊38個(騎兵師団2個含む)、重砲兵旅団:6個
※戦時は当初予定で60個師団、250万人体制を予定。
総動員時は限定段階でさらに二倍を予定。
※世界唯一の戦虎兵も健在。
※平時編制は、多くが定員をあえて大きく下回っている。
・海軍: 平時定員:約8万人
弩級戦艦:8隻、準弩級戦艦:4隻、前弩級戦艦:8隻
超弩級巡洋戦艦:4隻、準弩級巡洋戦艦:8隻
装甲巡洋艦:10隻
※他、巡洋艦以下補助艦艇多数。
※超弩級戦艦が国内各所で建造中。
平時の軍備は、大きくは以上のようになる。
列強として見た場合、軍事力は上位に位置する。
それでもヨーロッパのように、近くに競争相手となる国家がないので、日露戦争以後ヨーロッパで急激に悪化した軍備拡張競争の影響は最小限だった。
それでも海軍は、ドイツの海軍拡張に煽られたヨーロッパの影響で、1910年代から海軍の拡張が加速している。
1番艦をイギリスに発注した《金剛型》超弩級巡洋戦艦が、グレート・ウォー開戦までに半数の4隻が就役したのも、世界規模での軍拡の影響だった。
弩級以上の戦艦、巡洋戦艦が合計12隻という勢力も、イギリス、ドイツに次ぐ規模だった。
一方陸軍は、島国にも関わらず列強の中では平時としては大きな規模だった。
海外領土への配備も、国際条約や近隣諸国との話し合いで限定していたので本国駐留も多く、使用する予算を常に限っていた。
陸軍は、そこで浮いた経費を各部隊の重武装化に注ぎ、さらに師団1個当たりの火力増強に向けていた。
また普段からの備蓄弾薬の充実と、有事の際に生産力を拡大できる軍専用施設の充実など後方支援体制の充実にも力を入れていた。
日露戦争で多くの教訓を得た陸軍は、単に兵士の数を揃えるよりも質の向上に余念がなかった。
騎兵がいっそう充実されたのも、広大な海外植民地対策よりも質の向上という方向性が強かった。
もっとも、列強随一の大人口国家である日本では、歩兵を充実させていてもキリがないという向きがあった事も確かだった。
また国際的には、ロシアを陸上で破った世界第三位の軍事国家としての評価があり、有色人種国家という偏見を廃しても有力な軍事力を持っていると考えられていた。
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(※神の視点より:1910年代の史実日本との比較)
経済力・国家予算:史実の4倍(総人口は約3倍)
国防予算:国家予算全体の20%程度。
(史実よは25%かそれ以上)
一人当たり所得:史実の140%(比例して人件費、生産単価も上昇)
陸海軍予算比率:陸:海=4:6(※史実=3:7)
結果、軍事費は海軍が史実の二倍、陸軍が三倍
陸海軍の規模、海軍は史実の二倍、陸軍は兵員数は五割り増しで、質が大きく向上。
※大東島は、日本列島の倍の人口、開発しやすい広大な平地(+農地)、それなりに豊富な鉱産資源を持つ。
さらに大東島の近代化は史実日本より10年ほど早く、一部産業分野は四半世紀のアドバンテージがある。
※海軍の規模は史実の180%、陸軍は250%程度。
予算が規模と同じではないのは、編成や装備が若干贅沢になるため。
陸軍は大東のせいでやたらと騎兵が多い。
加えて所得の違いによる給与の差もある。




