婚約破棄したいならもっと計画を練ってくれ!
父上の説教から解放された私は、自室で黄昏ていた。
「アローラ様はいつだって憂鬱そうですね」
失礼極まりないその侍女の発言にも慣れている私は、公爵令嬢らしからぬ苦笑いをする。
「シュルベンド商会で会計作業をしていたことがバレてしまったのよ。学園を卒業したら自由はないと言うのに、最後がこれじゃあ私の人生が報われないわ」
窓に映った私は、肩に掛かった重たい三つ編みを弄る。
公爵家へ生まれた私――アローラ・アルメリアには夢があった。
ユーリ王子の婚約者として幼少期から学んだ領地経営の会計作業は、私の胸を躍らせて止まない。
数字に魅了された私は、礼儀作法や刺繍に興味が湧かず、これからの結婚生活に期待が出来ずにいた。
「そうやって溜め息ばかりついているから『深紅の憂鬱姫』などと呼ばれるのですよ」
金髪で産まれる貴族は珍しくない為に、私の特徴的な赤みを帯た頬は深紅の二つ名を与えた。
「その呼び方嫌いだわ。……はぁ。本当の私を見てくれるのはララだけよ」
シルクの寝巻きに袖を通した私は、学園で最も仲の良い友人の笑顔を思い出す。
学園生活の3年を共にした男爵家の娘は、私の地位に萎縮する他の生徒とは違い、同じ学徒として私を扱ってくれた。
しかし、その関係も明日で終わりだと思うと、憂鬱が増すものだ。
「明日は卒業式の準備に合わせて、いつもより早く身支度をするわ。日が昇る前に起こして頂戴」
どれだけ憂いても明日はやってくる。
卒業式の最後に行われるユーリ王子との結婚式。
私は独身最後の一夜を噛み締めて眠りについた。
――――――――――――――――――――
「……アローラの地位を剥奪して、彼女に自由を与えるんだ!」
会場の下見をしていた私は、建物の裏手で作戦を立てる彼らの声を聞いてしまった。
第一王子のユーリ、親友のララ、騎士のダグラス、知的と名高い伯爵家のステラ。
4人の会合を盗み聞した私は、それを悟られないように会場へと足早に逃げ去った。
――――――――――――――――――――
「……我が校の名に恥じぬ貴族となる事を切に願う」
理事長の挨拶が全く耳に入らない。
密談を目撃した私は、隣に座るユーリ王子の不細工な顔を横目に見る。
緊張した口元が大きく前に突き出した彼の表情には呆れたものだ。
幼い頃から彼を知っている私にはわかる。
汗をダラダラ流す彼のメンタルは既に限界を迎えていた。
「卒業者代表、ユーリ・フラテリア王子。登壇をお願いします」
「は、はい!」
(裏返ってる!声が裏返ってるわよ!ユーリ!!)
公爵令嬢の面の皮を歪ませながらも、私は耐え切った。
(右手右足が同時に出てるわユーリ!余りにも不自然だわ!)
あれが一国の王子の姿で良いのだろうか。
指摘したい欲望に狩られて、私の腰が浮く。
(が、我慢よアローラ。席を立ってはいけないわ!)
なんとか押し止まった私は、深呼吸をして彼の挨拶を待った。
「今日はアローラとの結婚を……あ、卒業の挨拶が先だったか?」
不安に満ちた導入だったが、その後は持ち直して淡々と答辞を続ける。
キリッと揃った眉に、鋭い目つきは国王の素質を持っている。
(……最前席に座るステラからのカンペを凝視してなければ完璧ね。)
両手を広げて用紙をガサガサと鳴らすステラは、不自然極まりない。
(あ、教員がステラに近づいたわ。)
(何か言い争って……連行された!?)
何故か両手を布で覆われたステラは、俯きながら教師席に座らせされた。
式場がざわつく中、私は呆れを溜め息で吐き出した。
卒業式のために新調したドレスのスカートを持ち上げて、人を掻き分ける。
公爵令嬢のスキルとして身に付けた、人に注目される力を反転利用した私は、誰にも気付かれずにステラの席へと移動した。
顔を青くさせて3の口を作るユーリ王子へ、カンペを差し出した。
(用紙で顔を隠せば私だってバレないわよね。)
視界の端でチラチラ動くカンペを目にした王子は、満面の笑みでカンペの初めから読み直した。
(いや!さっきの続きから読みなさいよ!)
繰り返される王子の感動的な答辞は、会場の空気を凍らせる。
それに気付かない王子は読了すると、満足した様に表情を緩めた。
(王子がそんな感情を悟られてどうするのよ!)
「ステラ。次のページ見せてくれ」
(もう隠す気ないだろこの王子。あとステラは会場の壁際でカツ丼食べてるわよ。)
ユーリ王子の指示を無視する訳にもいかずに、私は用意されていたもう1枚を掲げる。
「本来はここでアローラとの結婚を発表する予定だったが、彼女とは婚約を破棄しようと思う」
王子からの意外な発言に、会場全体がざわついた。
そのざわつきと同期するように、ユーリ王子が目を泳がせる。
彼は誰かを探している。
「あっはい。私はここに居ますわ」
それが婚約破棄を宣言された当人だと気付いた私は、手をあげて居場所をアピールした。
「アローラ、君は手品師だな」
体を覆うほどのカンペから姿を表した私へ、感嘆の声を漏らす王子。
(ユーリ王子は私が瞬間移動したと思ってるのね。)
彼から差し出された手を取った私は、彼と共に注目を浴びる。
全学生が揃うと、かなりの威圧感がある。
目線に気押された私は一歩後ろに下がって、王子の動向を待った。
ユーリ王子は目線を端にチラチラと寄せている。
何を見ているのか気になった私は、その方角を覗く。
(カンペだ!ディレクター不足よ!誰か!)
私は騎士の家系を有するダグラスへ目配せをした。
涎を垂らして呆けているダグラスは私の視線に気付くと、手を振った。
……そして再び呆ける。
(そうだった、彼は貴族随一のバカだったわ。)
「どんな理由で私と婚約破棄が出来ると言うのかしら。親の決めた契約を覆せる程の理由を言いなさい!」
ビシッとユーリ王子を指差した私は、悪役に見えるように顎を上げて余裕の表情を見せる。
(さあ、これで流れを戻せたかし……あ、不細工。)
王子が不細工な時はダメだ。
彼等の計画を細部まで聞いておくべきだったと私が後悔していると、ララがユーリ王子の腕を掴んで姿を現した。
「あーら、貴女自覚が無いようですわね!私が受けた数々の嫌がらせを、知らないとは言わせないわ!」
真っ赤なドレスに厚化粧。
圧倒的に似合わない格好をした親友が、嘗て見たことのない程の大きく華美な扇子で口元を隠す。
(あれ、可笑しいな。私の親友はもっとこう素朴で純粋だったはず。)
だが、私を見下した彼女のキラキラと輝く瞳には見覚えがあった。
これは彼女が孤児院の子供達を救った時に、彼等へと向けていた瞳と同じだ。
希望に満ち溢れた慈悲深い瞳がどうして今も健在なのか。
親友をよく知る私は1つの結論を導き出した。
(この子、今の状況をすこぶる楽しんでるのね!?)
失態に次ぐ失態を晒す王子とは違い、ララは演技を相当楽しんでいる様子だった。
扇子の隙間から覗く、ニマニマとした口元は次の言葉を紡いだ。
「それは3年前から始まったわ。貴女は入学式の式場を探す私の手をとって先導してくれた。そしてあろうことか靴擦れを起こした私の負担を軽減しようと、出口に近い席を用意してくれたわ!貴女はなんて傲慢なのかしら!ありがとう!」
「あれ、私えっと、罵倒されて……ない」
(変だな。悪事がバラされる時間だと思ったんだが。)
「俺はこんな話も知ってるぜ」
ドンと立ち上がったのは、バカで有名なダグラスだった。
恰幅のいい彼が席を立つと、登壇した私たちより注目を浴びた。
「アローラ様は、勉学に付いて行けないララの為に、レベルのあった教材を一から作成したらしいぜ。……俺もその被害者だ。卒業出来る成績になるまで、アローラ様は熱心に教えてくれやがて!畜生!」
鼻水と涙を袖で拭うダグラスの感情が伝播して、会場から啜り泣く声が多数聞こえた。
「私もアローラ様にダンスの作法を教わったわ!」
「俺もアローラ様に卒論を手伝ってもらったぜ!」
そんな方々から湧き立つ声を沈めたのは、ユーリ王子の掲げた手のひらだった。
どう収拾を付けるのかと息を呑む私は、彼が俯いて露わにした旋毛を観察する。
「俺もアローラのおかげで外交が上手くいったよー!うわあああ!」
(ええー、大声で泣くのー?!)
隣で王子の背中を摩るララは、私にキツイ目を向けた。
(いや、今更取り繕っても遅くないかしら。)
「貴女の悪事は明るみに出たわ。婚約者を泣かせた貴女は、王族の一員に相応しくない!」
「よって」と言葉を区切る親友ララ。
注目を一身に浴びる中で、彼女は高らかに宣言した。
「アル……アローラ様とユーリ王子の婚約を正式に破棄するわ!異論は認めません!」
(いや貴女男爵令嬢でしょうが、なんでララが宣言してるのよ、働け王子。)
流石にこれは突っ込まざるを得ない。
私は、一歩踏み出して、ララに集まった注目を自分に集めた。
「貴女にそんな権限があるとは到底思えないわ。真っ当な理由を見つけて出直しなさい。……あと、せっかくの卒業なんだから貴女の髪色に合う水色のドレスを用意させて?可愛いララを見納めたいのよ」
語尾を弱めた私の発言はララに精神的なダメージを与えたようで、彼女はうっと仰け反った。
「大丈夫か!くっ!正論とあどけなさで親友を攻撃するとはなんて卑劣な!」
膝から崩れ落ちたララを支えるユーリ王子は、恨めしそうに私を見る。
そして何故だか彼は眩しそうに目を細めた。
「女神像を背にしたアローラが綺麗過ぎる!なんて破壊力なんだ!」
(うーん、何言ってるのかしら……。)
私は辺りを見渡して、溜め息をついた。
「やはり深紅の憂鬱姫は美しい」
「ああ、そうだな」
随分と荒れてしまった卒業式に呆れつつも、彼等が自分のためを思って行動したことには変わりない。
私は事態を収めるべく、締め括りの挨拶考える。
「ありがとう。私の愛する友人達。私はユーリ王子の妻になることを嫌だと思ったことはないわ」
これは私の本心だった。
王女になることが嫌ではあったが、退屈しない彼の妻になることは嬉しかった。
でも、それ以上に尽くしたかったのが会計士としての生活だった。
私の我儘を知っている友人達への感謝は一生忘れないだろう。
「婚約を破棄する正当な理由がないのであれば、私は喜んで貴方の妻となりましょう」
私はユーリ王子の手を取り、彼と視線を合わせた。
計画が失敗に終わった彼は、申し訳なさそうに眉を潜める。
ユーリ王子の純粋さは、幼少期から変わりない。
私を喜ばせようと失敗ばかり繰り返す彼を、今度こそ真っ当に愛そう。
――バン!――
決意をした私の耳に、扉が叩きつけられる音が響いた。
その音を聞いたのは私だけでは無いようで、ララが私を守ろうと強く抱きしめる。
片腕を私の前に置いたユーリ王子の面前には、誰よりも素早く動いたダグラスが王子を背に、剣を構えていた。
「至急の連絡です!サルド・アルメリア公爵が密猟及び、横領及び、殺人及び、国家反逆の罪で拘束されました!」
「私の父上罪積み重ね過ぎてない!?」
私は、公爵家の地位を剥奪された。
――――――――――――――――――――
業務を終えた私は、筆を洗いながら夕暮れの静けさに身を任せる。
貴族の地位を失った私の国外追放を止めたのは、嘗て共に過ごした学友達だった。
王位継承の第一候補であるユーリ王子の反論と、貴族の人脈を巧みに使ったステラ伯爵令嬢の機転により、私はシュルベンド商会での新たな人生をスタートした。
――カランコロン――
ドアベルを鳴らしながら、本日最後の客が顔を見せる。
落ち着いた服装のララと、その護衛のダグラスが商会のソファに腰掛けた。
ティーカップを用意する私の手に紙袋を差し出したララは、ニカッと歯を見せて笑った。
「ユーリ王子とステラ様からの手土産だよー。本当はアルに会いたいらしいんだけどね」
そう言ったララは私からカップを受け取ると、お茶の準備を引き継いだ。
代わりに渡された袋の中には、高級そうな菓子が入っている。
「あら。このマドレーヌ私の好物だわ。ふふっユーリ王子が選んだんでしょうね」
「俺も一緒に選びましたよ!」
私への敬語が抜けないダグラスは、確か王家直属の騎士だったはずだが。
(ララの護衛のフリをして、あとでユーリ王子に怒られないと良いのだけれど。)
「アル、仕事は順調かしら?」
ララからの問いかけに、マドレーヌを頬張る手を止めた私は笑顔を彼女に向ける。
「ええ。作業にも慣れてきて、周りに気を配る余裕が出来たわ。私は今、幸せを実感しいるの。本当にありがとうね、ララ、ダグラス」
貴族社会を抜けた私は、商会の一員としてこの国の物流を担う。
その功績が少しでもユーリ王子の利益になることを願って――。