壁になった女の子 ——その5
「アタシの友達が最近、見ちゃったらしいんすよ。体育館裏の壁に浮かび上がる、女の子の顔」
蟷螂坂がそう言って、まっすぐにこちらを見てくる。
「み、見間違えじゃないか?」
「でもその子、すっかり怯えきってて……最近じゃ学校も休みがちなんすよ」
"壁になった女の子"を目撃したと主張しているのは、蟷螂坂と同じクラスに在籍する女子生徒だった。
噂されている通り、体育館裏の壁に不気味な顔が浮かび上がっているのを見たらしい。よほどショックが大きかったのか、当該生徒はその日から学校を休みがちになっているのだという。
「個人的には、せっかくの怪奇現象を嘘っぱち扱いしたくないんすけどね。でも友達が学校に来られなくなったら、さすがに話が別っすよ。なにか手助けしてあげられないかなーって考えてたんす」
「ようは俺たちに"壁になった女の子"の真相を突き止めてほしいわけか」
「ですです。勘違いだって証拠が見つかれば、あの子もまた学校に来てくれると思うんすよ」
百鬼椰行のせいで学校生活に支障をきたす生徒がいるというのは実に由々しき事態だった。たしかにこれは生徒会としても見過ごせない。
一人の生徒があわや登校拒否に陥ろうとしているのだ。"壁になった女の子"は実害の大きさで言えば"放送室の幽霊部員"よりも上だと言えるだろう。
「隠神、"放送室の幽霊部員"の調査を一旦後回しにしても構わないか?」
隠神は「んあ?」と間抜けな声を出し、袖口でじゅるりと涎を拭いた。
並べたパイプ椅子に寝転がり、半目のぼさぼさ頭で、ぼりぼりと腹を掻いている。「清楚」という言葉の対義語が具現化したみたいで、なんかもう、すごい。
「……ごめんなさい、うたた寝してました」
「そうまでガッツリ寝ておいて『うたた寝』とは厚かましいな。お前の寝方はヒグマの冬眠のそれに近いぞ」
「それより私に何か聞きました? 『隠神、結婚してくれ』の部分までは聞こえたんですが」
「存在しないセリフを聞き取るな」
「ごめんなさい、私まだ結婚とか考えられないので……」
「存在しないプロポーズを断るな」
"壁になった女の子"の解明を優先したい旨を、あらためて隠神に説明した。二度手間である。
隠神はうつらうつらしながら聞いていたが、ひととおり聞き終えると「構いませんよ」とあっさり了承してくれた。
「どうせ百鬼椰行はひとつ残らずブッ飛ばすつもりですし。その"壁サーの女の子"とやらもね」
「売れっ子作家さんをブッ飛ばそうとしないで。"壁になった女の子"な」
「私の役目はその女の子の霊をブン殴って昇天させること、ですね」
「ううん。全然違うよ。話聞いてた?」
隠神にはじめから事情を説明し直す。三度手間である。なんでもかんでも暴力でカタをつけようとする性格をそろそろ直してほしい。
「俺が百鬼椰行を解明するなら備品の破壊はやめるって話じゃなかったか?」と諭してみたら、「幽霊って備品なんですか?」と聞き返された。きっと備品とは違うけど、備品以上に殴っちゃいけないものなのはたしかだと思う。
「どうしてお前の除霊手段は"暴行"一択なんだよ。もうちょっと頭を使ってくれ、頼むから」
「まぁいいでしょう。ヘッドバットは得意とするところです」
「外側を使うな。頭の中身を使え」
今さらながら、隠神と共に百鬼椰行を解き明かそうという計画自体が無謀だった気がしてきた。
このクソデカ脳筋クリーチャー、どれだけ説明してもオバケを力づくで屈服させようとしてくる。暴力の妖精か?
「第一、相手は壁に埋まってるオバケらしいぞ。コンクリートまで殴り壊すつもりかお前は」
「和泉ちゃん……私のことをなんだと思ってるんですか。さすがに素手でコンクリートの壁は壊せませんよ」
「そりゃそうだろうが、怪力バカのお前ならやりかねんのが怖いところだよ」
「バカにしないでください。私だって、壁を破壊するならハンマーくらい使います」
「やぁいバカ。怪力バカじゃなくてシンプルバカだお前は」
無益なやり取りをする俺たちを、蟷螂坂がじとーっと睨んでいた。本当に解決する気があるのかコイツら、とでも言いたげな目である。
せっかくの情報提供も、こちらがこのザマでは甲斐があるまい。後輩の信頼を失ってしまう前に、生徒会長として襟元を正さねば。
「はぁ、とりあえず体育館を調べに行ってみるか」
「了解です。あっ、ハンマー持ちます?」
「常識を持て」
生徒会室を出て、体育館に向かう。正直"壁になった女の子"の怪談はけっこう怖かったし、現地に行くのは億劫だった。
しかしまぁ……バカみたいな会話をしていると、真面目に怖がるのもバカバカしくなってくるものだ。心霊スポットに足を踏み入れるプレッシャーを紛らわすには、案外こういう雰囲気がちょうどいいのかもしれなかった。