壁になった女の子 ——その2
椰子木高校の各教室に設置されたスピーカーは、入り口脇のスイッチで個別にオンオフできる仕組みになっていた。
隠神に急かされて、音量ゼロになっていたスピーカーのメモリを右に捻る。ざざっ、ざかっ、といくつかの雑音。それからすぐに男子生徒の笑い声が流れ出した。
ざらっとした低音質。やたらハキハキとした男子生徒の話し声。そこでようやく、ああ、ユウレイラジオってこれのことか、と思い出す。
『――現世のみなさま、うらめしや! つーことでお聴きいただいておりますユウレイラジオ! 本日も三途の川から生放送! パーソナリティは引き続きこのオレ! DJユウレイでお送りいたします!』
我が校、お昼の校内放送。放送部員による自主製作番組。ユウレイラジオとは、その番組名である。
「で、ユウレイラジオがどうしたって?」
「しッ! 黙って聞いててください!」
隠神がにゅっと腕を伸ばし、食パンのような手のひらで俺の顔面を鷲掴んだ。
黙らせたいならせめて口だけ塞げばいいものを、目も鼻もすっかり覆われてしまって何も見えない、喋れない。
『――でさぁ、葬式返りの母さんが言うわけ。お清めの塩が余ってるけど、ゆでたまごでも食べる? って。いやいやいや! 息子にお清めの塩食わすなよ! 成仏させる気か! つって』
『――つか、オバケが塩で成仏するってホント? ならお清めの塩じゃなくても、例えばクレイジーソルトでも効果あんのかな。パスタの味付けみたいに、ぱっぱっとクレイジーソルトを振りかけられて成仏するの、オバケ側としちゃ負けた気分だよねぇ』
『――なんなら塩ラーメンでも除霊できそうだな。え? 無理? いやいや、だってラーメンのスープには大量の塩が入ってるんだよ? オバケどころか、おじさんの腎臓にもダメージを与えるほどの攻撃力があるんだぞ、塩ラーメンは』
顔面を掴まれたまま、大人しくユウレイラジオに耳を傾ける時間が続く。隠神は時折「ふふ」と笑いを洩らしつつ、機嫌よさげに放送を聴いている。どうやら隠神はこの番組のファンらしかった。
俺はというと、こんなにしっかりとユウレイラジオを聞くのは初めてだった。昼の休憩時間に流れているので番組名くらいは知っていたが、これまではさほど気に留めることもなく聞き流していたのだ。
『――おっと、もうこんな時間だ。さてさて全校生徒の皆さん、お弁当は食べ終わりましたでしょうか? 食べた人も、食べてない人も、生きてる人も、死んでる人も、午後の授業がんばっていきましょう! 勉強しないと将来ロクなオバケになれないぞ! お相手はこのオレ、DJユウレイでした! また来世でお会いしましょう! うらめしや~!』
ざざっ、ざっ。耳障りな雑音がひとつふたつ入って、校内放送がぶつりと切れる。
と、同時に俺の顔面がようやく解放された。十数分ぶりの視界に初めて映ったものは、至近距離でにまぁーっと笑みを浮かべる隠神だった。
「な、なんだよ」
「どうでした!? 面白かったでしょう!?」
隠神は目をキラキラと輝かせ、ユウレイラジオの感想を求めてきた。
好きなアニメを友達に紹介する時のような、面白かった映画の感想を言い合う時のような、熱のこもった語り口。
どうやら隠神は今、ユウレイラジオというコンテンツを俺に布教する気でいるらしかった。
「いや、面白かったというか、なんというか」
「あ゛? 和泉ちゃん、もしかしてアンチですか? 耳たぶ引きちぎりますよ」
「やめとけ。行き過ぎたファンはアンチより厄介だぞ」
面白い面白くないという評価の前に、あんまり校内放送っぽくない番組だな、というのが率直な感想だった。
校内放送というものは、良くも悪くも型にハマっているイメージがある。主な内容は「今日からあいさつ週間です」「○○部が大会で優秀な成績を~」といった事務的な広報、アソビがあるとしても生徒からのリクエスト曲が流れるくらい。少なくとも俺の出身中学ではそうだった。
その点、ユウレイラジオは異質だった。いかにも校内放送という感じの内容はほとんどなく、終始一貫"DJユウレイ"を名乗る男子生徒の一人語りで進んでいく。いわばゴリゴリのトークバラエティなのだ。
「まぁ、喋りが上手いとは思った」
「そう! DJユウレイは私たちと同年代とは思えないほど、卓越したトークスキルの持ち主なんです!」
「ユウレイラジオ、好きなんだな」
「ええ。私はこの番組を聞くためだけに登校していると言っても過言ではありません」
「それは過言であってほしいな」
ユウレイラジオがいかに面白いか、DJユウレイがいかに凄いか、隠神はそんなことを早口でまくし立ててくる。よほどあの校内放送に惚れ込んでいるらしい。
高校という極めて小さなコミュニティでのみ流れる番組にここまで熱烈なファンがつくのも珍しいだろう。何年何組の誰々さんだか知らないが、DJユウレイもきっと喜んでくれるのではなかろうか。
「お前がユウレイラジオを好きなのはわかったが、そろそろ俺の質問にも答えてくれるか」
「質問……? ああ、私がどのようにしてこの美貌を保っているのか、その美しさの秘訣を教えてほしい……という話でしたね」
「全然違う。どうして隠神はオバケが嫌いなのか、って話だ」
「あ、そっちですか。一応言っておくと、私の美貌の秘訣は"溢れんばかりの自信"です」
「聞いてない」
隠神はステレオタイプにセクシーなポーズで「自分で自分を認めてあげることが美しさの第一歩なんですよ」と語り、ウフフと鬱陶しい笑いを浮かべた。
「はぁ……真面目に話す気がないならもう聞かん」
「あら。心に余裕がないですねぇ和泉ちゃん。カリカリしてたらお肌に悪いですよ?」
「誰のせいだ誰の」
「オバケが嫌いな理由、ですか。けれどその問いに答える前に、和泉ちゃんにも聞いておきたいことがあります」
ほんの少しだけ、隠神が声のトーンを落とした。その声色にいつもの飄々とした印象はない。
隠神は生徒会室の扉にもたれかかり、黒黒とした三白眼をこちらに真っすぐ向けて、大真面目な顔でこんなことを聞いてきた。
「ユウレイラジオのパーソナリティ――DJユウレイは"本物の幽霊"だと思いますか?」