ユウレイの、正体見たり、しゃべったり ――その3
「……やっと見つけた。なぁんでこんなとこで寝てんだ」
隠神は乾いたプールサイドで大の字に寝転がっていた。ぼけっと口を開けて、ただ青空を見上げている。
レイバーン先生から"放送室の幽霊部員"の真相を聞いたあと、隠神はフラフラと学校を出ていこうとした。俺はなんとなく、このまま隠神を帰してはいけないと思った。
引き留めてどうしようという考えがあったわけではない。俺自身、まだ地に足がついていなかった。
「生徒会室で待ってろって言ったのに」
「……生徒会副会長の権限をもって、今日からここを生徒会室とします」
「ないよ、生徒会副会長にそんな権限は」
自販機で飲み物を買って戻ると、約束の生徒会室に隠神の姿はなかった。それから教室、放送室、体育館とうろうろ探して、今ようやく屋上のプールで隠神を発見したのだ。
両手にひとつずつ握った缶コーラは、すでにぬるくなり始めている。一本差し出すと、隠神はむくっと起き上がって「どうも」とコーラを受け取った。
「コーンポタージュがよかったです」
「売ってねぇよ。もうすぐ夏だぞ」
文句を垂れつつコーラを飲み干して、隠神はプールの淵に腰掛けた。すらりと長い脚の先で、不機嫌そうにパシャパシャと水を蹴っている。
少し前まで緑色に濁っていたプールが、今は透き通った水を湛えていた。もうすぐ訪れるプール開きに向けて、水泳部あたりが清掃を行ったのだろう。
俺もズボンを膝までまくりあげて、足だけ水につけてみる。体の中に溜まった熱が、すーっと水に溶けていくような気がした。
「和泉ちゃんは気づいてたんですよね、DJユウレイのこと」
右脚でプールをかき混ぜながら、隠神はそう聞いてきた。俺は「なんとなく」とだけ返事をする。
確証はなかった。けど、なんとなくは気づいていたのだ。隠神にとってよくない結末が待っていることは、なんとなく。
ちゃぷ、ちゃぷ、水の音だけが足元で鳴る。隠神がぽつりと「ユウレイラジオ、終わっちゃったんですね」と呟き、またプールに跳ね返る水の音だけが続いた。
DJユウレイ――伊江尾 葵によって生み出されたユウレイラジオ。パーソナリティ不在のまま延々と続いてきた不思議な校内放送が今日、唐突に終わりを迎えた。
伊江尾 葵の存命中を含めて二十年近くも放送されたご長寿番組でありながら、その結末は決して大団円と言えるものではなかった。ラストを飾る華々しい演出も、番組終了のアナウンスさえもない。
静まり返った日曜日の放送室で、ひっそりとチェンジャーデッキの電源が落とされた。ほとんどの生徒に気づかれることもなく、ユウレイラジオはその歴史に幕を閉じたのだ。
「私が余計なことをしなければ、ユウレイラジオはこの先も続いたんでしょうか」
「かもしれないが、これでよかったんだと俺は思う。DJユウレイのためにも、レイバーン先生のためにも」
「けれど、私のせいでユウレイラジオが終わったのは事実じゃないですか」
隠神はそう呟くと、制服のままプールに飛び込んだ。だぱん、と重い水音がして、水しぶきが跳ねる。
驚いて「なにやってんだよ」と尋ねたが、返事はない。隠神はすっかりずぶ濡れで、長い髪を頬に張りつけていた。ぽた、ぽた、頬を伝って水が垂れていく。飛び込んだそばから、隠神の瞳は充血していた。
「……お前が責任を感じることじゃない」
それ以外にかける言葉も思いつかない。隠神は何も応えず、水面を笹船のように浮かんでいる。
静かだった。休日の学校、屋上のプール。隠神の服にとぷとぷと水が絡みつく音だけが流れていった。
「あはは」
ふと、小さな笑い声が聞こえた。声の方向に目をやると、壊れたままの配管がぽっかりと口を開けている。
"生者を笑うモノ"の原因となった、例のパイプだ。きっともう片方のパイプの先端で、誰かが談笑する声でも拾ったのだろう。
「こっちの怪談は相変わらず健在か。ままならないなぁ」
"生者を笑うモノ"の解明後、生徒会は学校に対してパイプの修理を提言しておいた。しかし正直、学校側の反応は思わしくない。
例のパイプは何年も壊れたまま放置されていたが、このままでも特に不都合はなかったからだ。ただ不気味な音がするというだけの理由で、修理または撤去の予算を組むことを学校側は渋っていた。
俺たちはたしかに"生者を笑うモノ"の仕組みを解き明かした。けれども原因のパイプがそこに鎮座し続けている限り、不気味な笑い声はこれからも響き続けるのだろう。
……そもそも。原因を取り除けば怪談が消える、という見積もり自体が甘かった。
パイプを修理すれば本当に"生者を笑うモノ"の噂は消えるだろうか? 残念ながら、きっとそう簡単な話ではない。あの不気味な笑い声が屋上に届かなくなっても、"生者を笑うモノ"という怪談がすぐに忘れ去られるわけではないからだ。
きっと他の怪談だって同じだ。ヴィーナス像を買い替えても"血涙のヴィーナス"の噂は消えない。体育館の壁を塗り替えても"壁になった女の子"の噂は消えない。人形を捨てても"皮削ぎビリィちゃん"の噂は消えない。……ユウレイラジオが終わったって、"放送室の幽霊部員"の噂は消えないのだろう。
怪談の本質は"情報"だ。ヴィーナス像も、卒業壁画も、壊れたパイプも、不気味な人形も、所詮は怪談を生み出したキッカケに過ぎない。今さら原因を取り除いたところで、皆の脳内に刻まれた情報まで取り除くことはできないのだ。
「悔しいけど、怪談は強いな」
目には目を、歯には歯を、情報には、情報を。怪談という情報は、真相という情報で書き換えるしかない。
そう思ったから、俺たちは必死に百鬼椰行を解き明かしてきた。しかしどうにかこうにか導き出した真実よりも、怪談のほうが情報として圧倒的に強かった。
俺たちが百鬼椰行を解き明かしたという話はなかなか広まらない。どころか解き明かしたはずの百鬼椰行は今も当たり前のように校内で語り継がれ、恐れられている。百鬼椰行という情報の塊に、俺たちはまったく歯が立たなかったのだ。
情報の強さとは、面白さなのだと思う。嘘か真かはさしたる問題ではない。人は真実よりも面白さに食いつくのだと、この数ヵ月で痛感させられた。真実を面白く魅せる力がなければ、人はより面白く、恐ろしく、魅力のある、嘘のほうを信じ続けてしまうのだろう。
「俺たちがやってきたことって、なんだったんだろうな」
思わず口にして、悔しさが膨らむ。それは俺にとって、敗北宣言にも等しい弱音だった。
貴重な青春時代を割き、大嫌いな怪談と向き合い、恐怖に耐えながら、百鬼椰行と戦ってきたつもりだった。その結果がこれだ。
隠神の愛したユウレイラジオは終わりを迎え、俺の目標だった百鬼椰行の撲滅には手が届かない。残ったのは、無力感だけ。だとしたら俺たちは一体、なんのために。




