アオイさんのノート ——その5
そんな話をしていると、正門のほうから「おーい」と呼びかけられた。蟷螂坂と、赤々熊さんだ。
「生徒会のお二人ぃ。クッソ暑い中がんばってるっすねぇ」
「ふへ……さ、差し入れ、買ってきたよ……」
二人の手に提げられたコンビニ袋には、スポーツドリンクや菓子パンなどが詰まっている。
「おお、わざわざ買ってきてくれたのか。悪いな」
「手伝いもできないんすから、これくらいはさせてくださいよ」
蟷螂坂はそう言ったが、そもそも手伝いの申し出を断ったのはこちらだった。
俺たちが掘り出そうとしているのは仮にも"呪物"とされるモノ。俺や隠神はやむを得ないとして、呪いなんてものに関わるリスクを他の人にまで背負わせたくはなかった。
「わ、わたしも……シャベル貸すくらいしか手伝えなかったから……って、あれ? ふ、二人とも、そのシャベル使ってるの?」
「言われた通り園芸部の用具入れから拝借したんですが、なにかまずかったですか?」
「ううん、ダメじゃないんだけど、二つとも錆びてるでしょ? えへ……そ、倉庫に、新しいシャベルもあるから、そっちのが使いやすいかなって」
「あら。それじゃあ取り換えてきますね」
「わ、わたしも一緒に行く、よ」
シャベルを交換するだけなら二人で充分だからと、隠神と赤々熊さんはさっさと行ってしまった。取り残された俺と蟷螂坂は、ひとつ空いていたベンチに移動して待つことにした。
隠神には悪いが、スポーツドリンクだけ先に開けさせてもらう。乾ききった喉に冷たいスポーツドリンクがじんわりと染み込んでいく。白くぼやけていた世界がキリっとした輪郭をもって見えてくる。
「……あの、会長」
「ん?」
「このあいだは、すいませんでした」
蟷螂坂は少し俯き、気まずそうにスカートの裾を弄っている。「なにが?」と尋ねると、彼女は「ビリィちゃんの件で」と答えた。
「その……ちゃんと謝ってなかったな、って思って」
「いいよべつに。元を正せば俺が悪かったわけだしな」
「……ただの八つ当たりっすよ。アタシが子供でした。すいません」
「いや、俺のほうこそすまなかった」
律儀な後輩だ。すでに有耶無耶になりつつあった話を自ら穿り返すとは。
しかし元を正せばこちらの落ち度があったわけで、あらたまって謝られると恐縮してしまう。
「……じゃ、これで仲直りってことで、いいっすか?」
「もちろん。これからもよろしく頼むよ」
かくして"皮削ぎビリィちゃん"の騒動が残した遺恨は清算された。
蟷螂坂は思っていた以上に責任を感じていたらしい。仲直りのやり取りが済むと、彼女は「はー……緊張したっす」と顔をほころばせた。
「会長にはごめんなさい出来たんで、今度は伊予ちゃんにも謝らなきゃっすね」
「隠神にも? ビリィちゃんの件なら、アイツは怒っても驚いてもいなかったと思うぞ」
「そっちの件もっすけど……アタシ、少し前まで伊予ちゃんのこと避けてたじゃないっすか」
「露骨に避けてたな。怖かったんだろ?」
「そうっす。いろいろとその、よくない噂を聞いてたんで」
隠神にまつわる悪い噂は枚挙にいとまがない。やれホッキョクグマを殴り殺したことがあるだの、やれ卒業後は殺し屋に内定が決まっているだのと、百鬼椰行も霞むほどの言われたい放題だ。
とはいえ暴走族を壊滅させた事件をはじめとして、噂の中にはいくらかの真実も紛れ込んでいる。面白おかしく脚色された噂の数々も、結局のところ隠神が「そういうことをやりかねない人物」だと思われている証左ではあった。
「避けてたことを謝りたいのか?」
「勝手なイメージで怖がってたこともっす。我ながら、あれはよくなかったなー……って」
「まぁ……いろいろ言われてはいるからな。隠神がどんな奴なのか知らなきゃ、怖がって避けるのも無理ないだろ」
「よく知りもしない相手にレッテルを貼ってた自分が情けなくなったんすよ」
一学年上の先輩というものは、それだけで後輩にとって畏怖の対象となり得る。それが素行の悪さから"椰子木の怪物"とあだ名される人物ともなれば、恐れるのも無理のない話だろう。
しかし蟷螂坂は"皮削ぎビリィちゃん"の一件から隠神と急速に打ち解け、評価を改めた。悪い噂にはどんな尾ひれをつけてもいいというような風潮の中で、蟷螂坂が真っすぐに隠神を見ようとしてくれていることが俺には嬉しかった。
「隠神にもそういうことを言ってくれる友達ができたんだなぁ。嬉しいよ。これからもアイツと仲良くしてやってくれ」
「会長ってときどき、伊予ちゃんの保護者みたいなこと言うっすよね」
「それなりに長い付き合いだからこそ思うところはあるんだよ。アイツ、昔から怖がられてばっかりだったからさ」
「けど伊予ちゃんの悪い噂って前ほど聞かなくなってきたっすよ。きっと、伊予ちゃんが更生しようと努力してきた賜物っすね」
隠神に対する周囲の態度が変わってきている。それは俺もこのところ感じていたことだ。
以前の隠神はまさに"暴君"の風格だった。隠神自身がそう振舞うのではなく、周囲がそう隠神を扱っていたのだ。隠神に向けられるのは身勝手な敵意か、底の見えない畏ればかりだった。
しかし今は少し違う。蟷螂坂や赤々熊さんのように、隠神を対等な友として見てくれる人もできた。隠神に向けられる視線も、敵意や畏ればかりではなくなってきたのだ。少しずつ、少しずつ、隠神を受け入れる人が増えてきている。
「そのうち誤解も解けるっすよ。だって伊予ちゃん、本当はとっても素敵な人じゃないですか」
「……そっか。そうだといいな」
なんとはなしに空を見上げる。少し前に梅雨入りのニュースを見た記憶があるが、気象台の判断をあざ笑うかのように連日のカンカン照りが続いていた。空は絵の具で塗ったように青く、日差しが小さな針となって肌をちくちくと刺す。
暑い。中庭を取り囲むように設置された自然石のベンチは座り心地こそ悪くないが、直射日光で熱されて、尻を石焼きにされているようだった。隠神と赤々熊さんが戻ってきたら、日陰に移動してから休憩を取ることにしよう。
「にしても暑いなぁ……中庭を利用する人が少ないのって、呪い云々より日陰ゼロなのが問題だったんじゃないか?」
「中庭とは名ばかりの更地っすからね。東屋っていうのはさすがに高望みとしても、せめて木陰くらいはあってほしいっす」
「なるほど木か。仮にも生徒会は"中庭の再生計画"って名目でここを掘り返してるわけだし、目的が済んだら植樹を検討してみても……」
そこまで言って、記憶の奥底に引っかかりを感じた。
今よりも真新しい校舎をバックに、中庭に佇む大きな木。そんな写真を、最近どこかで見たような気がする。
……そうだ、たしか"壁になった女の子"の調査で目にした、図書館前の「椰子木高校のあゆみ」だ。旧体育館の写真と並んで貼られていた写真には、大木がそびえたつ中庭が写っていたじゃないか!
「すっかり忘れてた……そうか、昔は中庭に大きな木が生えてたんだ」
「へぇ。どうして今はないんすか?」
「わからない。台風で折れたか、老木として伐採されたか……」
木がなくなってしまった原因は重要ではない。問題は、かつてこの中庭に"目印"が存在していたという事実だ。
掘り返すための目印が見当たらなかったので、俺はタイムカプセルがごく浅い地層に埋まっていると予想していた。しかし当時の中庭に大きな木が生えていたのだとすれば、そんな前提は覆されてしまう。
当時の卒業生はいつか中庭の木を目印にしてタイムカプセルを掘り返すつもりだったのではないだろうか。だとするとタイムカプセルは俺が想像していたよりも遥かに深く埋まっているのかもしれない。
「けど……埋まってる場所はたぶん……!」
図書室前に掲示されていた写真では、木は中庭の中央付近に生えていた。なら、タイムカプセルもそのあたりに埋まっている可能性が高い。
そこにはすでに隠神が掘り返した形跡があったが、もう少しだけ深く掘り下げればあるいは……!
「すまん、蟷螂坂。もうちょっとだけ掘ってくる」
「え? 今からっすか?」
いてもたってもいられなくなり、俺は錆びたシャベルを担いで中庭に入る。そこへちょうど隠神と赤々熊さんが戻ってきた。
赤々熊さんは「あ、あれ? 休憩しないの?」と不思議そうに聞いてきた。一方、隠神はさも当然のように俺と同じ場所へシャベルを突き立てて「タイムカプセルが埋まってる場所、わかったんですか?」と聞いてくる。まだ「たぶん」としか言えない段階だったが、隠神はニッと笑って穴掘りを再開した。
一度掘り返されている柔らかい地層がざくざくと減っていき、未発掘の硬い土壌がまもなく露出した。ある地点を超えたところから、二の腕ほどの太さがある木の根が出土するようになってくる。かつてこの場所に大木が根付いていた証だ。
とはいえ……場所にアタリをつけたからといって、すぐにタイムカプセルが出てくるわけではなかった。木の根がゴロゴロ出てくると、どうしたって作業スピードが落ちる。
お昼時を過ぎ、ベンチで休憩していた生徒たちは部活へ戻っていく。蟷螂坂と赤々熊さんも、しばらくして帰っていった。延々と二人きりの単純作業が続く。掘って、掘って、掘りまくる。気がつけば夕方、閉門時刻が迫る頃。ひときわ大きく掘った穴の中央で、隠神のシャベルが「キィン」と鋭い音を立てた。
「和泉ちゃん! これ……!」
隠神が掘りあてたのは巨大な金属のカタマリ。ステンレス製と思しきUFO型の球体には「2006年 卒業記念」と文字が刻まれていた。
「伊江尾 葵が卒業するはずだった年……! 間違いない、例のタイムカプセルだ……!」
思わず、隠神とハイタッチをした。本当に宝物を見つけたような達成感があった。出てくるものが呪物では苦労の甲斐がない、なんてぼやいていたのが嘘のように嬉しい。
噂が真実なら、このタイムカプセルの中に"アオイさんのノート"なる呪物が封印されているはずだ。しかし掘り当てるまでに俺も隠神もまったく怪我をしていないという時点で、怪談の嘘は暴かれたようなものだった。
あとは伊江尾 葵の恨み言が書き殴られているというノートが実在するかどうか確かめるだけだ。
幸い、タイムカプセルに専用のカギなどは備え付けられていなかった。
蓋は複数のボルトとナットで閉じているだけの造りだ。おかげで技術室から借りてきたスパナがあれば簡単に開けられた。ボルトは少し錆びついて固くなっていたが、隠神のパワーの前にはペットボトルのフタ同然だ。
「勢いで開けちゃったけど、先輩方のタイムカプセルを無断で開けるのってやっぱまずかったかな」
「今さらなにを言ってるんですか。怒られたときは、怒られたときですよ。それより今は、中身の確認を」
「……だな。よし、見よう」
隠神が大きな金属製の蓋を持ち上げると、タイムカプセルに封じ込められていた2006年の空気が薫った。
湿気対策か、中身は厚手のポリ袋でまとめて梱包されている。当時の卒業文集、"未来への手紙"と書かれたブリキ缶、そして何かのトロフィーなどが、半透明のポリエチレンから透けて見えている。
そして――スペースいっぱいに積め込まれた思い出の品の一番上に、それはあった。一見、何の変哲もない大学ノート。しかし表紙にサインペンで書かれた「伊江尾 葵」の四文字が、ノートの所有権を今も主張し続けていた。




