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幽霊の、正体見たり、壊したり ——その3

「そもそもお前、どうしてヴィーナス像なんか盗もうとしたんだ」

「ですから盗もうとしたんじゃなくて、ブチ壊そうとしてたんですよ」

「ヴィーナス像になんの恨みがあって?」

「これ自体に恨みはないですが……強いて言えば、私はオバケがキライなので」


隠神はヴィーナス像の頬のあたりを、ここん、と爪で弾いてみせた。大きな掌で隠されていたので気づかなかったが、その像はなかなか異様な面構えをしていた。

なにしろ、その両目から赤みがかった液体が流れたような跡がついていたからだ。まるでヴィーナス像が血の涙を流しているように見えて、背筋がぞっと冷える。


「これ、生徒の間じゃ"血涙のヴィーナス"って呼ばれてるらしいですよ」

「……百鬼椰行ひゃっきやこうか」


隠神は「そう呼ばれてるらしいですね」と答えた。また、百鬼椰行。またまたまたまた百鬼椰行だ。本ッッッ当にこの学校は、隅から隅までオカルトだらけで嫌になる。

今度は"血涙のヴィーナス"か。その両目から垂れおちた二筋の赤いシミは、たしかにヴィーナス像が流した血涙のように見えた。そう見える痕があるというだけで、不思議とヴィーナス像そのものの表情も苦悶に歪んでいるような気がしてくる。

端的に言って、かなり不気味な様相だった。ヴィーナス像がある日突然こんな状態になったのだとしたら、オバケや呪いの存在を疑いたくもなろう。……が、さしあたっての問題はそこではなくて。


「お前がオバケ嫌いなのと、ヴィーナス像を壊すのに何の関係があるんだ」

「ようは除霊ですよ、除霊。ヴィーナス像そのものがなくなれば、『ヴィーナス像が血の涙を流す』なんて馬鹿げた噂もなくなるでしょう?」


つまりこの女、"血涙のヴィーナス"という怪異を「ヴィーナス像ごと」この世から消し去ろうとしていたのである。そんな力任せの除霊があってたまるものか。

呪われた本があるなら燃やせばいい。地縛霊のいる家は爆破すればいい。隠神の言う"除霊"とはそういう類のものだった。ある種、地球の環境を守るために人類を滅ぼしてしまおう! みたいな暴論である。魔王かこいつは。


「百鬼椰行だかなんだか知りませんけど、腹が立つんですよ。学校も試験もなんにもないオバケの分際で、私たちの学校生活を邪魔しようだなんて」

「それは完全に同意だが。だからって腕力にモノを言わせて解決しようってのは浅慮だろう。そのヴィーナス像はオバケである前に、我が校の大切な備品だからな?」

「ですが、これを壊せば"血涙のヴィーナス"とかいう噂は消滅するんですよ? いいことじゃないですか。おかしな怪談がひとつ減って、少しだけ学校が平和になります」

「お前、百鬼椰行がいくつあるのかわかってるのか? 今さら怪談がひとつ減ったところで、この学校がオカルトだらけなのは変わらん」

「であれば片っ端から壊していきましょうよ。百鬼椰行にまつわるモノすべて。ぜんぶ壊せば、そのうちオバケが憑りつく場所もなくなるでしょう」

「学校を更地に変えるつもりか? オバケが憑りつく場所より先に、俺らが通う場所がなくなるわ」


隠神は真っすぐな目をして「けれど百鬼椰行をなくしたいなら『壊す』以上の最適解あります?」と言う。

そうやってあらゆるトラブルを腕力だけで片付けてきた結果、余計な悪名が広まったのだということをそろそろ自覚してほしい。

正直、なるべくオカルトには関わりたくない。けれどこのまま隠神を放置していたら、本当に学校中の備品を破壊し尽くされかねない。生徒会長として、旧知の仲として、俺はより効率的な解決方法というものを隠神に提示してやる必要があった。


「……はぁ。わかった。"血涙のヴィーナス"の説明してやるから、それ見せろ」


「説明?」と首を傾げながら、隠神がヴィーナス像を机の上に置いた。そして俺は、じっくりとヴィーナス像を観察する。

錯覚・誤解・虚言・妄想・幻覚・恐怖。古今東西、世の中の怪奇現象ってやつの大半はそれで説明がつく。少なくとも俺はそう信じて生きてきた。

オバケなんていない。ゆえに、どこかに綻びはある。"血涙のヴィーナス"にも説明はつくはずなのだ。蟷螂坂の前でいつもやっているのと同じこと。よく観察して、推論を立てる。冷静に対処すれば見えてくる真実がきっとある。


「なにやってるんですか? 和泉ちゃん」

「黙って待ってろ。すぐに"血涙のヴィーナス"なんて噂が嘘っぱちだってことを暴いてやるから」


血涙のような痕は、ヴィーナス像の右目と左目、両方から流れていた。やや右目のほうが線が太いようにも見えるが、さして大きな差があるわけではない。

目から流れた涙が筋を描いて垂れていき、頬のあたりで止まっている。よく見ると眼球部分も、まるで充血しているかのように全体的に薄赤く染まっていた。色の薄いところは、赤というよりピンク色に近い。

試しに頬のあたりを人差し指で拭ってみる。すると、指の腹がほんの少しだけピンク色に染まった。……何かの塗料だろうか。しかし触ってみた感じ、液体というよりは細かい粒子のようなサラッとした感触がある。


「部長。"血涙のヴィーナス"の噂は昔からあったんですか?」


そう尋ねると、美術部の部長は「いいえ」と即答した。

どうやら"血涙のヴィーナス"は比較的最近できたばかりの百鬼椰行だったらしい。


「ヴィーナスが泣いたのは二週間ほど前ですね。び、びっくりしましたよ。今は乾いてますけど、最初に見つけたときは本当に赤い液体が流れていたんですから」

「なにか原因に心当たりは? たとえば誰かが美術室に忍び込んで、絵の具か何かで色をつけたとか」

「難しいと思います。ヴィーナス像はいつも美術準備室に保管していて、合鍵を持っているのは部長の僕だけなんです」

「普段、美術準備室に出入りする人はいないんですか?」

「ジメジメした場所ですから、好んで入る人は……美術準備室なんて言いますが、ほとんど放置された倉庫みたいな部屋ですしね。黴臭いですし、中で作業することもまずないです。先生か僕が、ときどき絵のモチーフを取りに入るくらいで……」


仮にイタズラだとすれば、それが可能な生徒は合鍵を持っている部長だけというわけだ。

職員室から本鍵をくすねるとか、天井裏を通って通気口から降りるとか、美術準備室に侵入する方法がまったくないわけではないが……。たかだかヴィーナス像にイタズラ描きをするためだけに、そこまでする生徒がいるだろうか。


「血の涙を流す前、最後にヴィーナス像を確認したのはいつですか?」

「た、たしか血の涙を流した日の数日前だったと思います。そのときも今日みたいにデッサンのモチーフに使っていて……」


そのとき、美術部の部長は「あ」と声を出した。


「そ、そうだ。そのときにちょっとした騒動があったんですよ。四月に入ってきたばかりの新入部員に、ちょっと不真面目な子がいまして。その子がヴィーナス像にイタズラ描きをしたんです」

「その新入部員がヴィーナス像に血の涙を描いたってことですか?」

「ああいえ、血の涙ではなくてですね。デッサン用の鉛筆を使ってなんですが、悪ふざけでヴィーナス像に黒目を描き入れてしまったんです。当然、すぐに叱って、しっかり消させたんですが……。もしかして血の涙は、あのイタズラの祟りなんでしょうか……」


ヴィーナス像の目の部分をもう一度よく観察してみる。どうやら叱られた新入部員は、丹念に落書きを消したようだ。ヴィーナス像の目に、鉛筆で落書きされたような痕跡はまったく残っていなかった。

しかし落書きされたという目玉の部分を触ってみると、少し感触がざらついているのに気がついた。石膏で形作られたヴィーナス像は全体的につるつるしていたが、明らかに目玉の部分だけ質感が異なっている。


「和泉ちゃん、なにかわかりました? そろそろ壊してもいいですか?」

「ダメに決まってんだろ。なんなのお前、破壊衝動に憑りつかれてるの?」

「ちまちま考えるより、ぶっ壊したほうが手っ取り早いと思うんですけどねぇ」

「そんなことしたら状況が悪化するだけだ。というか、もう"血涙のヴィーナス"のカラクリは解けた」

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