皮削ぎビリィちゃん ——その4
「にしても……この部屋の汚さはどうにかならんもんか。埃っぽいし、ガラクタだらけで足の踏み場もないし」
「手芸部が廃部になったのは五年以上も前らしいっすからね。この部屋も今じゃすっかり倉庫扱いっすよ」
椰子木高校はわりあい部活動の盛んな校風で、運動部・文化部を合わせて四十種類ほどの部が活動している。これでもかなり減ったほうで、十数年前の最盛期には六十を超える部が存在したらしい。
ところが生徒数の減少や顧問不足といった要因が重なり、廃部もしくは活動休止に追い込まれる部活が後を絶たなかった。手芸部もそのひとつだ。五年ほど前に最後の部員が卒業してからは事実上の廃部となっており、部室は物置同然の扱いを受けている。
「三連覇おめでとう」と印刷された垂れ幕や、「必勝」と書かれた大量のハチマキ。何が入っているかも判然としない段ボール箱の山。再利用の機会がなかなか訪れなさそうな備品の数々が、手芸部室のそこかしこに眠っている。
ここは我が校の「捨てるには忍びないもの」が集積する場所だった。あるいはビリィちゃん人形も、そうしてここに残されていったのかもしれない。
「そんじゃ、ビリィちゃんはここに戻しとくっすよ」
蟷螂坂えちごがビリィちゃん人形を元の位置に戻す。白く埃をかぶった本棚の一角、日に焼けた本と本の隙間がビリィちゃん人形の定位置だった。
十年近く前に刊行された週刊漫画雑誌から、いま使っているものとはデザインが異なる教科書まで、本棚にはバラエティに富んだ蔵書がギチギチに収納されている。今にも崩れ落ちてきそうでいて、噛み合った本同士が化石のごとく固まっていた。
この本棚からスムーズに出し入れできる物体は唯一、ビリィちゃん人形くらいのものだった。数冊のハードカバーが鳥居のように組み合わさって辞書数冊分の隙間を空けており、その貴重なスペースが人形置き場になっているのだ。
「せっかく来たのに収穫ナシでしたね」
「こんな日もあるさ。仕方ない、今日は生徒会室に戻って事務仕事でもこなすか」
「事務仕事(意味深)ですか」
「カッコ意味深とか言うな。変なニュアンスになるだろ」
「エッチな本を読むことの隠語じゃないんですか?」
「生徒会室でそんなもん読むか!」
「ほう。生 徒 会 室 で は 読まないんですね」
「含みを持たせるな」
和泉ちゃんで遊んでいたら、蟷螂坂えちごが「ハイハイ、馬鹿なハナシしてないで帰るっすよ」と手芸部室からの退室を促してきた。
彼女が窓の戸締りを確認している間に、私たちは先に廊下へ出る。今日の放課後は"皮削ぎビリィちゃん"の調査で忙しくなると見積もっていたのに、すっかりヒマになってしまった。
「こんなことならバイトでも入れておけばよかったですかねぇ」
「お前バイトなんかしてたのか」
「ええ。ピザにパイナップルを乗せたり乗せなかったりする仕事です」
「ちっちゃい戦争屋じゃん」
蟷螂坂えちごが「OKっす」と部屋から出てきて、和泉ちゃんが手芸部室のカギを閉めた。
手芸部室に用のある人は滅多にいないので、この調査が終わるまでカギは借りっぱなしでよいと教師から許可をもらっているそうだ。
「俺は生徒会室に戻るけど、二人はどうする?」
「アタシ生徒会室にカバン置いてきたんで、もう一回お邪魔していいっすか」
「じゃあ一緒に行こう。隠神は?」
「私はヒマなので生徒会室で和泉ちゃんの仕事のお邪魔をしていいですか」
「よしお前は帰れ」
帰れと言われたら帰りたくない。どうせこの後の予定もなかったし、結局私も生徒会室についていくことにした。
「和泉ちゃん、事務仕事ってなにするんです?」
「今日は卒業壁画復活の嘆願書を仕上げようかと思ってな」
「ああ、"壁になった女の子"の」
体育館裏の壁面に出現する"壁になった女の子"の怪。その再発防止策として卒業壁画の文化を復活させてみてはどうかという私の軽口を、和泉ちゃんはわりと本気で実現しようとしていた。
教師陣への根回しもそこそこ上手くいっているようで、うまくいけば私たちの卒業時には立派な壁画を残せるかもしれなかった。和泉ちゃんは百鬼椰行の調査解明という面倒事を押し付けられつつ、こういう生徒会長らしい仕事もちゃんとこなしているのだ。
「卒業壁画の案……通るといいですねぇ」
「だな。ここがふんばりどころだ」
部室棟から教室棟に移動し、三階までのぼって生徒会室の扉をスライドする。和泉ちゃんの仕事が終わるまで、ユウレイラジオの録音でも聴いて待っていよう。
そんなことをぼーっと考えていたとき、異変が起きた。生徒会室に入るなり、和泉ちゃんが「え?」と不可解そうな声をあげた。それから一歩遅れて入ってきた蟷螂坂えちごが固まって、「なんすか……これ……」と震える声で言う。
二人の視線は生徒会室の長机に注がれていた。そこに置かれた蟷螂坂えちごのリュックサックには――錆びたカッターナイフが突き立てられていた。
「こ、これ……もしかして……?」
蟷螂坂えちごが不安そうにあたりを見回している。和泉ちゃんがごくりと息を呑み、それから小さく「そんな馬鹿な……」と呟いた。
もしかして? そんな馬鹿な? 二人が何に怯えているのか、最初はよくわからなかった。ちょっと首を傾げてみて、ふいに"皮削ぎビリィちゃん"の逸話を思い出す。
――カッターナイフを床に引き摺る音が聞こえたら、ビリィちゃんが近づいてきた合図。恨みを買った人間は、決してビリィちゃんに見つかってはいけない。
「ああ、そういえばビリィちゃん人形はカッターナイフで襲い掛かってくるんでしたね」
怯えさせるつもりはなかったが、私がそう言うと二人ともびくりと肩を震わせた。
「じゃあこれ……ビリィちゃんがアタシに復讐しに来たってことっすか……!? そんな……やだ……」
「落ち着け蟷螂坂! そんなことはあり得ないから! そんなこと……!」
あり得ない、と口では言いつつも、和泉ちゃんは明らかに動揺していた。
「和泉ちゃんも落ち着いてくださいよ。普通に考えて、人形が動くわけないじゃないですか。なんだったらもう一度、手芸部室を確認しに行きますか?」
「あ、ああ、隠神の言う通りだ! よし、手芸部室に戻るぞ! ビリィちゃん人形が同じ場所にあれば、このカッターナイフはビリィちゃんとは無関係ってことになる!」
蟷螂坂えちごは俯いたまま「はい……」と答えた。彼女は大層なオカルトマニアだと聞いているが、そういう人種でも実際に怪奇現象に遭うとしおらしくなるものなのか。
……いや、これに関しては心霊うんぬんとは無関係に身の危険を感じているだけなのかもしれない。カバンにカッターナイフが突き立てられていたという事実は、自分に悪意を向ける"何者か"の存在を仄めかしている。
犯人がオバケだというならまだマシだ。刃物を使って明確な敵意を向けてくる"生きた人間"が身近にいるというほうが、オバケなんかよりよっぽど恐ろしいではないか。
「蟷螂坂、大丈夫、大丈夫だから。ビリィちゃんの呪いなんか存在しないって俺が証明してやるからな」
早足で手芸部室に戻る道中、和泉ちゃんは必死で蟷螂坂えちごを慰めていた。本気で彼女を心配しているのはわかるが、慰め方の方向性がちょっとズレている。
カッターナイフを刺した犯人が人間だと証明されたら余計に怖いと思うのだけど。軽くパニックを起こしている和泉ちゃんは、まだそのことに気づいていなさそうだった。
部室棟三階に到着して、和泉ちゃんが手芸部室のカギを開ける。さっきこの部屋を出てから十数分でとんぼ返りだ。
キィ……と小さく音を立てて手芸部室の扉が開く。和泉ちゃんと蟷螂坂えちごは入室に二の足を踏んでいたので、私はとっとと中に入った。こういうとき、盾になるのが私の役目だ。
私たちが何度も出入りしたせいか、手芸部室には埃が舞っていた。多少空気が悪くなったことを除けば、別段おかしな様子はないように思える。無論、カッターナイフを持った人形が襲い掛かってくるなんてこともない。
ただしひとつだけ、先ほどとは決定的に違う点があった。段ボール箱の山の奥、大量の本がパズルのように積まれた棚の一角。そこに――ビリィちゃん人形は、いなかった。




