生者を笑うモノ ——その10
「なんにも起こらないっすねぇ……」
「起こらないなぁ……」
"生者を笑うモノ"の相談を受けてから、すでに数日が経過している。カラクリを解くのにそう時間はかからなかった。問題はこの現象の発生頻度が不規則で、また犯人を絞り込むのに時間が掛かってしまったことだった。
しかし教師陣の協力を得て、ようやく犯人の目星がついてきたというところである。そして先ほど、とあるクラスの担任教師から一報が入った。諸々の経緯を省略して言えば「これから"生者を笑うモノ"の声が発生する確率が高い」という通達である。
「そういえば今日、隠神センパイはどうしたんすか?」
蟷螂坂に問いかけられ、俺は「アイツには別の仕事を――」と説明しようとした。まさに、その瞬間だった。
「ひひ、ひひひ」
ほんの小さな響きだが、たしかに聞こえる笑い声。来た。"生者を笑うモノ"。
蟷螂坂にもバッチリ聞こえたようだ。彼女は重度のオカルトマニアだが、怖いものナシというわけではない。その不気味な笑い声に、蟷螂坂は緊張の面持ちを浮かべていた。
「会長、この声……」
「わ、わかってる。静かに……大丈夫、予定通りだよ」
予定通り、とは言いつつ声が震えてしまう。何度も言うが、オバケだろうと人間だろうと、怖いものは怖いのだ。
しかし後輩の前であまり取り乱すわけにもいかない。俺は生徒会長の意地で、できる限り冷静に努めた。
「ひゃは……ひゃはは……」
「「ぎゃはは……ぎゃはははは……」」
「「「ぎゃははははははははははははは!!」」」
突如、笑い声が大きくなった。蟷螂坂がびくっと肩を震わせる。さすがに不安になってきたのか、彼女は縋るような目でこちらを見つめてきた。……が、俺を頼られても困る。むしろ俺が頼りたいくらいなので。というか、頼るためにキミを連れてきたのであって。
笑い声はしばらくすると止んだ。しかし断続的に「ひひひひ」と小さめの音量で繰り返されている。俺は一旦深呼吸をしてスマホを取り出す。発信ボタンを押して数秒、隠神が出た。なるべく不安を悟られないよう声を作って「確認できた。あとは頼む」と告げる。電話口から「了解です」と隠神の声がした。
まだ事情を呑み込めていない蟷螂坂が「どういうことっすか?」と聞いてくる。しかしその問いに答えるよりも先に、さっきの笑い声よりも遥かに大きな"悲鳴"が屋上に響き渡った。
「「「ぎゃ、ぎゃあああああああ!? 隠神さんだぁぁぁああああ!!」」」
断末魔のような声を最後に、屋上には静けさが戻った。ようやく緊張から解放された俺は、はぁーーー……と息を吐いた。"生者を笑うモノ"の正体は予想していた通りだった。今の悲鳴が何よりの証拠である。
一人で安堵していたら、蟷螂坂に脳天チョップされた。「勝手に納得しないでほしいんすけど」と。彼女の言う通りだ。検証に付き合ってくれた礼というわけでもないが、まずは蟷螂坂に真相を話しておかなければなるまい。
「あー、あー、聞こえますか和泉ちゃん。こちら隠神。犯人を確保しました」
少しくぐもった声が屋上に響く。蟷螂坂は「あれ? 隠神センパイ?」と不思議そうにキョロキョロしているが、屋上に隠神の姿はない。
混乱する蟷螂坂に手招きして壁際に移動する。フェンス越しに階下を覗き込むと、園芸部の畑から手を振っている隠神の姿が見えた。その周りには男子生徒が三名、なぜか正座させられている。
「なんすか、あの人たち」
「あれが"生者を笑うモノ"の犯人だよ。もっとも、本人たちにその気はなかっただろうけど」
「あの人たちの笑い声がこんなとこまで届いてた、ってことっすか? けど、笑い声はもっと近くから……」
「そう。普通なら一階にいる人間の笑い声が屋上でこんなふうに響くことはない。笑い声が近くに感じられたのには秘密があるんだ」
俺は「悪さをしてたのはこいつだよ」と排水パイプを示した。先日、隠神が登ろうとした錆びだらけの排水パイプだ。
壁面を伝い、一階から屋上まで伸びている壊れた排水パイプ。これが"生者を笑うモノ"という怪談を生み出した諸悪の根源だった。
本来、このパイプは女子更衣室の屋根に降った雨水を集めて排水するための設備である。ところが老朽化で一部のパーツが脱落しており、屋上側の先端は下方向にねじれてぽっかりと口をあけていた。
放置されていた学習椅子を引きずってきて、俺はその上に立つ。排水パイプの口はそうしてやっと手が届く高さだった。半ばぶら下がるような恰好で排水パイプを掴み、その口に向かって「聞こえるか、隠神」と問いかけてみた。少し間を置いて、「聞こえますよ」と返事がある。
「パイプから隠神センパイの声が……!」
「"伝声管"って聞いたことないか? 昔の船とか、工場なんかで使われてた通話装置なんだが……」
空洞のパイプを介して、離れた場所にいる人と会話するための通話装置。それが伝声管である。
パイプの一方に口を近づけて話すと、声が振動となってパイプを伝い、もう一方の口に向かって伝播する。ようは巨大な糸電話みたいなものだ。
伝声管は電力を必要としないため緊急時にも使用でき、単純な仕組みゆえに量産しやすいというメリットもあって、一昔前までは多くの船舶や施設で利用されていた。
「つまり壊れた排水パイプが伝声管の役割を果たしてたってわけだ。下で誰かが笑うと、その声がパイプをのぼって屋上に届くんだよ」
「そんなことってあり得るんすか? だって下で騒いでた人たちは、さっきの会長みたいにパイプに口を近づけてたわけじゃないっすよね?」
「この排水パイプは両端が壊れてるんだよ。一階部分は地面から1メートルくらいの高さで途切れてる。その場に座り込めば、ちょうど顔のあたりにパイプの口がくるような高さでな」
たとえ一階に人が集まったとしても、立って会話している分には排水パイプが伝声管としての役割を果たすことはないだろう。
その証拠に、すぐ近くで活動している園芸部の声が屋上に届くようなことはなかった。あくまで排水パイプの先端で"座って"会話することがこの現象の肝なのである。
「一階だけじゃなく屋上側も壊れててな。ほら、雨どいに接続されてるはずのL字パーツが捻じれて下を向いてるだろ」
「ホントっすね。つまりあの笑い声は私たちの頭の上から降ってきてたってわけっすか」
プール中を探しても笑い声の出どころが見つからないわけである。笑い声の発信源は俺たちの頭上にあり、さらに壁や窓ガラスに音が反響して位置が特定しづらくなっていた。
なまじ頭上に目をやったとしても、あるのは錆びれたパイプだけ。そんなところから人間の笑い声がするなんて意識の外だ。きっと誰かが隠れているはずだ、とすぐに別の場所を探してしまうのが普通だろう。
「極めつけは赤々熊さんの証言だ。『授業中、パイプの周りで遊んでいる生徒がいる』ってな。こうなると"生者を笑うモノ"の正体は、授業をサボって遊んでいる生徒の笑い声である可能性が高い」
そこまで説明したとき、屋上の扉が開かれた。見事にミッションを達成した隠神が、件の不良生徒たちを連行してきたのだ。
不良とはいっても授業をサボる程度のことで悪ぶっている半端な連中である。圧倒的強者である隠神に捕まってしまっては粋がる気力もないらしく、三人とも借りてきた猫のように大人しくなっていた。
「和泉ちゃんが言っていた通り、排水パイプの出口付近でたむろしていましたよ。笑い声はちゃんとここまで届いていましたか?」
「ああ。おかげで確認できた。間違いなく、あのとき聞いた笑い声と同じだったよ」
排水パイプを通じての会話が可能であることは先日のうちに確認済みだった。しかし仕組みを解明するだけでは不十分だ。笑い声の主を捕まえない限り"生者を笑うモノ"の怪談は終わらない。
そう考えた俺は先生方の協力を仰ぐことにした。授業をサボリがちな生徒がいるいくつかのクラスに狙いを定め、彼らが無断欠席したときは俺に連絡を入れるよう頼んでおいたのだ。生徒会による風紀の取り締まりというお題目もあり、先生方はすんなりと申し出を受け入れてくれた。
そして先刻、あたりをつけていた二年生の不良グループが授業を抜け出したという一報を受け取ったのである。確認のためにはこちらも授業を抜け出す必要があったが……初回で仮説通りの現象を確認し、犯人を捕らえることにも成功したのだから、これがベストな結果だったと溜飲を下げる他ないだろう。
「す、すいません……俺たち、その、あの場所が隠神さんのナワバリだとは知らなくて……」
隠神にしょっぴかれてきた三人の生徒はなにやら勘違いをしていた。どうも隠神のナワバリを荒らしたことを咎められると思っているらしい。
まぁ、不良の親玉みたいなやつに取っ捕まって人けの少ない屋上に連れてこられたらビビりもするか。いっそ排水パイプの下に「ここは隠神伊予の管理地です」と看板でも立てておけば不良が寄り付くことはなくなるかもしれない。
しかし彼らを勘違いさせたままでは「隠神と生徒会長に屋上でシメられた」なんて不名誉な噂が出回ってしまいそうでもある。仕方ない、ちゃんと事情を説明しておこう。
「あまり怯えなくてもいい。あそこは隠神の土地じゃないし、キミらに危害を加える気もないから」
「へ……? じゃ、じゃあ俺たち、なんでここに連れてこられたんですか……?」
生徒会が"生者を笑うモノ"の調査をしていた件について彼らに話す。排水パイプの周りで騒ぐ声が屋上に届いていたこと。そしてその声を聞いて怯えている生徒がいるということを。
やはり当人に"生者を笑うモノ"の元凶という自覚はなかったようで、彼らは「そんな騒ぎを起こすつもりはなかった」と頭を下げてきた。不良とは思えないほど殊勝な態度だが、これも隠神の威光あってのことだろう。注意したのが俺一人なら、こうも素直には応じてくれなかったと思う。
「ああ……! だからこの前、急に隠神さんの声がしたのか……!」
"生者を笑うモノ"のカラクリを教えると、不良グループの一人が膝を叩いた。先日、隠神が屋上で「笑っているのは誰ですか!?」と叫んだ時のことを言っているらしい。あの声もまた、一階にいる彼らにしっかりと届いていたのだ。
屋上側のパイプは高さがあるので、普通にしゃべる声が一階まで届く可能性は低い。しかし2メートルもの身長を誇る隠神なら話は別だ。油断するとプレハブ小屋の雨どいに頭をぶつけるほどデカい隠神は、そこに立っているだけで排水パイプの先端の高さに届いてしまうのだ。
排水パイプは隠神の怒声を新鮮なまま送り届け、下でたむろしていた彼らを大いに驚かせた。怒鳴った瞬間に笑い声が止まった理由はシンプルだ。ようは笑い声の主である不良グループが、隠神の声を聞いてビビッて逃げ出したというだけの話である。
そういえば"生者を笑うモノ"の逸話のなかには「赴任してきたばかりの教師」が怒鳴った瞬間に笑い声が消えたというくだりもあったが……もしそれが事実なら、その教師も隠神に匹敵する上背だったことになる。つまりあの逸話に出てきた教師とは、我が校で隠神よりも身長が高い唯一の存在――レイバーン先生のことだったのかもしれない。
「すいやせん……俺らもう、あの場所ではサボリませんので……」
「うん。できれば、あの場所以外でもサボらないでほしいな」
「仕方ないですねぇ……アナタたち、私がいないときは屋上前を使っていいですよ」
「うん。隠神はサボリ場所を斡旋しないでほしいな」
不良三人衆は「隠神さんのナワバリを俺らが……!?」「隠神さんの舎弟にしてもらえるんすか!?」「マジかよ……! 大出世じゃん……!」と謎の喜び方をしている。彼らの世界のルールと価値観がよくわからない。
彼らが屋上前に居つくのもそれはそれで困るので、俺からは三人にきつく注意をしておいた。屋上で怪奇現象が起きなくなった代わりに不良グループがたむろするようになりました……なんてことになったら水泳部の皆さんに申し訳が立たない。
「まぁ……裏番がそう言うなら、俺らなるべく授業はサボらないようにするんで……」
「うんうん、いい心がけだ。生徒会長として嬉し……まって、誰が裏番だって?」
「白蔵さんですよ。"椰子木の怪物"こと番長・隠神さんの相棒にして、学校を裏から牛耳る"椰子木の黒幕"裏番・白蔵和泉つったら有名じゃないっすかぁ」
「俺そんなダッッッサイあだ名で呼ばれてんの!?」
「和泉ちゃんの異名なら"椰子木のダイナミック点P"とかがよくないですか?」
「隠神は黙っててくれるかな!?」
とんでもない新事実の発覚に加え、とんでもないトラウマまで掘り起こされそうになったので、俺は慌てて三人組を解放した。理由はどうあれ、彼らは今後なるべく授業をサボらないと約束して教室に帰っていった。
ちなみにこれは三人組からの提案だったが、彼らは他の不良グループにも「園芸部の畑周りは隠神さんのナワバリらしい」と吹聴してくれるということだった。その場しのぎではあるが、あの場所でたむろする生徒がいなくなれば、当面"生者を笑うモノ"が発生することはなくなるだろう。
「ともあれ、"生者を笑うモノ"は解決だな」
もうすぐ三時限終了のチャイムが鳴る。今さら慌てて戻ったって、授業の邪魔にしかならないだろう。
あるいは人生最後かもしれないサボタージュの空気を味わいつつ、怪奇現象の消え失せたプールサイドで背伸びをする。コンクリートに照り返す太陽光が心地よかった。
「蟷螂坂も、ついてきてくれてありがとな。おかげで心強かったよ」
「アタシはべつになぁんにもしてないっすよ。ただ"居ただけ"っすから」
蟷螂坂はまだゴキゲンナナメだった。真面目な彼女をサボリに巻き込んでしまったのだから、怒られるのも無理はない。
オカルトマニアの彼女に"生者を笑うモノ"を体験させてあげたら喜ぶかも……なんて考えも実はあったのだが、残念ながら逆効果だったらしい。
迷惑料というわけでもないが、近いうちにアイスでも奢ってやろうと思った。




