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生者を笑うモノ ——その9

俺たちが壁際で騒いでいると、背後からくすくすと笑い声がした。畑の作物に紛れていて気づかなかったが、どうやら園芸部の生徒たちが一部始終を見ていたらしい。

まったく、生徒会長の威厳もへったくれもない。恥ずかしまぎれに「すいません、騒いで」と頭を下げると、ガーデンフェンスの影から一人の女子生徒が出てきた。彼女は「あ、あいかわらず仲がいいね……」と、俺たちに笑いかける。


「あら、赤々熊ちゃんじゃないですか」


彼女は赤々あかしゃぐま 亜羽あわ。俺たちと同学年であり、昨年まで俺や隠神と同じクラスに籍を置いていた女子生徒だ。

入学から二年連続で同じクラスにあたったおかげで、隠神のことを過度に恐れたりしない貴重な人材でもある。


「赤々熊さんって園芸部だったっけ」

「か、掛け持ちだけどね……二人は、生徒会の活動中?」

「実は今、生徒会で百鬼椰行の調査をしててさ……」


ちょうどいいので、赤々熊さんにも"生者を笑うモノ"という怪談の調査中であることを話してみた。

可能性はかなり低そうだが、一応「このパイプをよじ登って遊んでいる生徒を見たことないか?」と尋ねてみる。彼女は「み、みたことないけど……」と即答したし、他の園芸部の生徒たちも「ないです」「しらない」と答えていった。


「ひ……昼休みと、放課後は、たいてい園芸部の誰かがここにいるから。誰かがそんな危ないことしてたら、すぐに気づくと思うよ」

「いや、もし登ってる奴がいるとしたら授業中の可能性が高いんだ。つっても、園芸部だって授業中まで畑の管理してるわけじゃないよな……」

「そう、だね……さすがに授業中のことはわからないや……ふへへ……」


彼女は「あ、でも」と付け加えて、排水パイプのあたりを指す。


「授業中、ここで遊んでる生徒はいるのかも……」

「遊んでる? こんな場所でか?」


聞けば、ときどき排水パイプの周りに缶ジュースやお菓子のゴミが捨てられているらしい。悪いときはガムが吐き捨てられていたり、タバコの吸い殻が発見されたこともあるそうだ。

特殊教室棟の裏手はあまり人通りがないので、おおかた不真面目な生徒のサボリ場となっているのだろう。風で畑の土はとんでくるわ、小汚い排水パイプの真下だわ、あまり快適な場所とは言えなさそうだが。


「さては、ここでサボってる生徒の声が屋上まで届いてるんじゃないですか?」

「うーん……屋上まで届くほどの大声でバカ騒ぎしてたら、さすがに先生が見回りに来そうだけどな……」


仮にここから屋上まで笑い声が届いたとしても、俺たちが聞いたような響き方にはならないと思う。あのとき、笑い声の発信源は屋上のどこかにあった。少なくとも俺にはそう聞こえた。

屋上までずいーっと伸びる排水パイプを目で追う。隠神のようなフィジカルモンスターならともかく、普通の人間がこれを登るのはまず無理だ。そんなことを考えていたとき、ふと「――"人間以外"なら登れるのでは?」という疑問が脳裏をよぎった。


「いや、そうか……なにも自ら登る必要はないのか……!」


あの笑い声は、隠神が怒鳴った瞬間にピタリと止んだ。そういえば元の怪談でも、教師が「どこにいるんだ!?」と叫んだ瞬間に笑い声が止まったと言われていたじゃないか。つまり笑い声の主にもこっちの声が届いていたんだ。だとしたら――


「……隠神、ちょっと屋上に行ってみてくれないか。試したいことがある」

「なにか、わかったんですね?」


俺は頷く。誰もいない屋上プールで響く"生者を笑うモノ"の声。その正体に、ようやくひとつの可能性を見出した。

この想像が正しければ、隠神の推理はそう真実から遠くなかったことになる。実験が上手くいけば、あとは犯人を捕まえるだけだ。



***



「やっぱ私が一番好きな百鬼椰行といえば"屋上のキューピッド様"っすね!」

「え~? えちごちゃんは顔に似合わずロマンチストだねぇ~」

「なんすか顔に似合わずって! こちとら可憐な乙女っすよ!」


その日、二年二組の生徒たちは各々のグループで雑談に花を咲かせていた。授業中とは思えぬほどの賑やかさである。あとで聞くと、教科担当の都合により自習時間となっていたらしい。

俺にとっては実に都合のいい状況だった。ここは放送部部長、蟷螂坂えちごの所属するクラスである。「失礼します」と扉をスライドすると室内のざわめきはピタリと止んで、後輩たちの注目が一斉にこちらへ集まった。

気ままな自習時間に最上級生が乱入してきたのだ。彼らにしてみれば水を差された気分に違いない。なんだか申し訳ないので、とっとと用事を終わらせて退散しよう。


「授業中にすいません。蟷螂坂さん、いますか?」


俺に向けられていた視線が、一気に蟷螂坂のほうへ移動する。にわかに注目されて気恥ずかしくなったのか、蟷螂坂は「な、なんすか急に……」と口ごもっていた。

友達と会話するテンションから、先輩と会話するテンションへ、ギアを変えるのが難しかったのかもしれない。気持ちはわかるぞ。なんかこう、お母さんと一緒に買い物していたら同級生に会ってしまった、みたいな気まずさがあるのだろう。


「蟷螂坂、悪いが少し付き合ってくれるか」

「へ……? でも今、授業中……」

「先生にはあとで俺から説明しておくから」

「それならいいっすけど……どこ行くんすか?」

「屋上だ」


その瞬間、二年二組の教室が大きくざわついた。特に、蟷螂坂を取り巻いている数名の女子がキャアキャアと騒ぎ立てている。


「な、ななななな……それってまさか……屋上のッ……!?」

「そうだ。蟷螂坂、俺と一緒に屋上まできてくれるか?」


そう言った瞬間、教室内に謎の拍手が巻き起こった。俺はぎょっとして「なにこの拍手?」と疑問を口にしたが、その声は拍手の音に飲み込まれて消えてしまった。

蟷螂坂は顔を真っ赤にして立ち上がり、早足で廊下に出てきた。数名の女子生徒からは、これまた謎に「がんばって」とエールが贈られる。いろいろと気にはなったが、今は一刻も早く屋上へ向かいたい。


「会長、なんすか、その……突然、一緒に屋上に行こうだなんて……」


特殊教室棟の階段を上りつつ、蟷螂坂が気まずそうに聞いてきた。ろくに事情も説明せずに連れ出してしまったので混乱するのも無理はないだろう。

蟷螂坂は耳を真っ赤にしているし、あまり目も合わせてくれなかった。クラス全員の注目を浴びるような形になってしまったし、変に恥をかかせてしまったかもしれない。


「急に呼び出してすまんな。でも、お前と一緒に屋上へ行きたかったんだ」

「ふぉ!? そ、そそそそれってやっぱり、例の、百鬼椰行の……!?」

「ああ。"生者を笑うモノ"の正体がわかった」

「……え?」

「え?」


蟷螂坂の表情が、すん、と普段通りのそれになった。

……なんだ? さっきから微妙に会話が噛み合っていないような気がする。


「え? まってください会長。アタシ今、なんのために呼び出されてるんすか?」

「え? だから"生者を笑うモノ"を解明する手伝いだよ。蟷螂坂が依頼してきたんじゃないか」

「て、手伝い……? それだけ……?」

「むしろそれ以外に何があるんだ」


数秒間の無言。それから蟷螂坂は「はーーーーーーーー」と長い長い溜息をついた。

怒っている。どうして怒っているのかわからないが、どうやら怒っている、ということだけはわかる。


「はーーーーぁ、はいはい。そういうコトっすね。どーーーせそんなこったろうと思ってたっすよ」


反射的に「なんかすまん」と謝ってしまったが、何に謝罪しているのかは自分でもわからなかった。

蟷螂坂はまだ不満げだったが「ま、いいっすよ。頼んだのはこっちっすからね」と矛を収めてくれた。


「それで? アタシは何をすればいいんすか?」

「何をするってわけでもないんだ。ただ、蟷螂坂には俺と一緒にいてもらいたい」

「またそういう誤解を招くような言い方を……」

「蟷螂坂しかいなかったんだ。頼む、付き合ってほしい」

「わざとやってないすか?」

「何をだ」


蟷螂坂は唇を尖らせて、思いきり俺の尻を蹴ってきた。痛い。

だがまぁ、これしきの痛みなら安いものだ。もしこれが隠神の蹴りだったなら、俺の尻はきっと今ごろタテヨコ4つに割れていただろうから。


階段を最上段まで上りきり、借りてきたカギで屋上の扉を開ける。ゆらゆらと太陽光を反射するプールの水面が、室内の明るさに慣らされた目に痛い。

俺は飛び込み台に手のひらをあて、乾いているのを確認してから座る。蟷螂坂も同じようにして、隣の飛び込み台に腰かけた。


「一緒にいるだけでいいって、結局どういうことなんすか?」

「頼まれてた件はほとんど解明し終えてるんだよ。あとは、犯人を捕まえるだけ」

「犯人……ってことは。あれって生きた人間の笑い声だったんすか?」

「あぁ。今日はそれを証明するための張り込みだ。けどホラ……解明したとはいえ、一人だとその……な?」

「……ようは一人で張り込むのが怖いからアタシに付き合えと」

「ぶっちゃけるとそんな感じだ。オバケってのはな、いないとわかってても――」

「怖いものは怖い、っすよね? はいはい、わかったっすよ、もう」


蟷螂坂はぐるりと体をひねって、プールの側に足を向けた。その動きに驚いて、水面に集まっていたアメンボがすーっと散開していった。

よく晴れた空に、よく知らない鳥が飛ぶ。どこかのクラスが運動場でサッカーをしていて、悲喜の喚声だけが遠く聞こえてきた。静かだ。みんなが授業を受けている間に、誰もいないプールでぼーっと過ごす。世界に取り残されてしまったような、心地の良い疎外感があった。

利己的な理由で授業をサボった経験など俺にはなかったが、こうしていると不良生徒が授業を抜け出したがる気持ちが少しわかる。きっと彼らは授業を受けたくないというより、この特別な感覚を味わいたいのだ。


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