生者を笑うモノ ——その3
「ちわーっす! 会長いるっすかー?」
生徒会室の扉がカラリと開いて、蟷螂坂がぴょんと顔を出した。すかさず隠神が「私もいますよ」と返すと、蟷螂坂は「う」と短く唸った。まだまだ隠神への恐怖心は克服されていないらしい。
ふと見ると、蟷螂坂の後ろにはもう一人の女子生徒が控えている。胸の校章から、蟷螂坂と同じ二年生だとわかった。彼女はおずおずと会釈すると、蟷螂坂に促されて生徒会室に入ってきた。
「いらっしゃい。わざわざ生徒会室に来たってことは……なにか、相談事かな?」
そう聞いてみると、大人しそうな女子生徒はこくりと頷いた。我が生徒会室には、しばしば相談事を持ち込む生徒が現れる。
ほとんどが百鬼椰行か隠神にまつわるトラブルの相談なのだが。オカルトマニアの蟷螂坂が連れてきたということは、今回もやはり……
「百鬼椰行の相談なんすけど、いっすか!?」
蟷螂坂は屈託のない笑顔でそう聞いてきた。「いっすか!?」と言われても、まぁぶっちゃけ何ひとつ良くはないのだが。怖いし。良くないから帰れ、とも言えないのが生徒会長としてのプライドである。
人を怖がらせるのが趣味の蟷螂坂はともかく、わざわざ生徒会室に相談に来るほどの悩みを抱えた女子生徒を無碍に扱うわけにもいかない。俺は精一杯の作り笑顔で「いいとも」と返事をした。
「あの……わたし、二年一組の真白 紀伊っていいます。先日、生徒会のお二人が"壁になった女の子"の正体を解き明かしているのを見かけまして……」
ひとまず椅子に座ってもらって、真白さんの話を聞く。どうやら彼女は、先日の"壁になった女の子"の解明に居合わせたギャラリーの一人だったらしい。
かなり緊張している様子なので、来客用のお茶菓子にと用意しておいた安物のおかきを勧めてみる。彼女が「ありがとうございます」と言い終える前に、隠神が手を伸ばして食いだした。お前のじゃねぇ。
「生徒会のお二人なら、もしかして私の悩みも解決してくださるんじゃないかと思って……」
「そこでこのアタシ! 紀伊っちの一番の大親友である蟷螂坂ちゃんがここに連れてきたってワケっすよ!」
ほめろ、とでも言わんばかりにツヤツヤしている蟷螂坂を一旦スルーして。俺は真白さんに「して、悩みというのは?」と尋ねる。
「わたし、水泳部なんですが……先日、幽霊の笑い声を聞いてしまいまして……」
「幽霊の……笑い声?」
蟷螂坂に目配せをする。しかし今しがたスルーされたことに腹を立てたのか、彼女は頬を膨らませたままそっぽを向いていた。
このままでは話が進まない。仕方なく「学年一の美女と名高い蟷螂坂さん」と声をかけると、彼女は「えへへぇ?」と阿呆みたいに頬を緩めて、「しゃーなしっすねぇ。説明してやりますかぁ……」と話し始めた。
***
――水場には霊魂が寄ってくる、って話を聞いたことがありますか?
例えばトイレ、お風呂場、池や湖……そういった場所にまつわる怪談が多いのは、そこが霊魂のたまり場になっているからなんです。
日本各地の学校に「プールに出る幽霊」の怪談が存在するのも、きっとそういうことなんでしょうね。
えぇ、椰子木高校のプールにも御多分に漏れず怪談が存在しますよ。
"生者を笑うモノ"って呼ばれてる話なんですけどね。
単刀直入に言えば、無人のプールで笑い声が聞こえるんですよ。それも一人や二人じゃない、たくさんの人の笑い声が。
ひひひひひ、うひゃひゃひゃひゃ、って。プールには誰もいません。でも、笑い声はやまないんです。ふふふふ、ぎゃはははは。
目に見えない何者かは、それはそれは楽しそうに笑い続けます。声に怯える生者を小馬鹿にするように、げらげら、げらげらと。
教師の中にも"生者を笑うモノ"の声を聞いてしまった方がいるそうです。その方は当時、椰子木高校に赴任してきたばかりでした。
当然、その先生は我が校のプールにまつわる不穏な噂をまだ知りません。入り口の扉越しに笑い声を聞いたその先生は、誰かがプールに侵入して遊んでいるのだと思ったそうです。
そこで先生はプールのカギを開け、侵入者をとっちめようと踏み入りました。しかしプールには誰もいません。それなのに、笑い声はいつまで経ってもやまないんです。
ひひひひ、いひゃひゃひゃひゃ……先生は怖くなって、思わず「どこにいるんだ!?」と叫びました。するとその瞬間、笑い声はぴたりと止まったそうです。
先生はどこかに人が隠れているはずだと信じて、プールのいたるところを捜索しました。
しかし結局、誰も見つからなかったそうです。そもそも、おかしな話ですよね。だって椰子木高校のプールは屋上にあって、先生がカギを開けるまでは唯一の入り口も施錠されていたんですから。
隠れ場所なんてどこにもないんです。少なくとも、生きた人間が隠れられるような場所は。
***
「……っていうのが"生者を笑うモノ"のお話っすね!」
蟷螂坂がいつもの口調に戻って、にぱっと笑う。怪談を語るときだけ声のトーンを落とすのを本当にやめてほしい。
その声色の時は怖い話がくると体が覚えてしまって、俺はちかごろ蟷螂坂の低めの声を聞いただけで涙目になる体質になってしまった。ああ情けなき、パブロフの俺。
「ふぅん、誰もいないプールに響く笑い声……ね。今までのに比べると、ちとインパクトに欠けるかな」
「そういうデカい口を叩くなら、せめて隠神センパイの後ろに隠れるのをやめたらどうっすか?」
これは暮らしの豆知識なのだが。恐ろしい怪談が聞こえてきたときは、隠神を盾にすると多少は気持ちが楽になるのである。是非、怖がりな皆さんには真似してもらいたい。
「本物のオバケが出たらブン殴って地獄に送り返す」と豪語する隠神の傍若無人さは、恐怖心を和らげるフィルターとしてこの上ない役割を果たしてくれるのだ。蟷螂坂の不機嫌そうな視線にも怯まず、俺は隠神の背後に隠れたまま話を続けた。
「それで、真白さんがその笑い声を聞いてしまったと?」
「はい……わたしたち、屋上の更衣室を部室代わりに使っているんですが……その日の授業で使う教科書を部室に置き忘れてしまっていて、先生に許可をもらって急いで取りに行ったんです」
「許可をもらって……ってことは、授業中に?」
「そうです。プール開き自体はまだ先ですし、授業でプールを使っているクラスはいませんでした。だから……プールにはわたししかいなかったはずなんです。でも……」
「笑い声が聞こえたんです」
真白さんは声を震わせながら、そう絞り出した。
「カギを開けて屋上に入ったら……どこからともなく、ぎゃはははは、って。でも屋上には誰もいなくて……わたし、怖くなって、急いで教室に戻りました」
「誰かが真白さんを驚かせる目的で隠れていた可能性は? さっき蟷螂坂が話した怪談では『屋上だから隠れ場所がない』ってオチだったけど、ぶっちゃけ数人が隠れるスペースくらいはあるでしょ?」
「……わたし、驚いてすぐに逃げてしまったので、隠れていた人が絶対にいないとは断言できません。だけど、隠れ場所のあるなし以前に、他の人はプールに入れなかったと思います」
それはどうしてかと尋ねると、真白さんはスカートのポケットから黄色いプレートのついたカギを取り出した。プレートには油性マジックで「プール」とだけ書かれている。
「その、屋上にはカギがかかっていますから。プールのカギは職員室に保管されている授業用と、わたしたち水泳部が当番制で持ち回るこの一本だけだと聞いてます」
無許可でプールを使用する生徒がいないよう、屋上は基本的に施錠されている。安全上の理由なので、部外者にカギの貸出許可は下りない。つまり容易に屋上を出入りできるのは、カギの使用を許可されている水泳部員だけだ。
聞けば、水泳部は週替わり当番でカギを持ち回りしているらしい。真白さんが笑い声を聞いたのが三週間前の木曜日。彼女はその週の月曜日からカギ当番だったそうだから、その日プールに入れたのは真白さんだけだったことになる。
「カギを使って侵入するのは難しいってことか……」
水泳部の目を盗んで侵入した生徒がいた? それとも入り口を通らず屋上に侵入できる経路がある? あるいは教師も知らない第三のカギが存在していて……?
誰にも見つからずに屋上へ侵入するのは困難だが、現時点では不可能とまでは言い切れない。肝心の侵入方法について頭をひねっていると、黙ってバリボリおかきを食べていた隠神がすっと手を挙げた。
「その"生者を笑うモノ"でしたっけ。たぶん私、何度かその笑い声を聞いたことがあります」
「「は???」」




