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壁になった女の子 ——その7

「ところでレイバーン先生って、この学校に来て何年目になります?」

「えーと、今回は四年目に突入したトコかな」

「今回?」

「椰子木高校に赴任してくるの、二回目なんだよ。十年チョット前に別の学校に異動したんだけど、また戻ってきたんだよねェ」


話を聞いてみれば、レイバーン先生が初めて椰子木高校に赴任したのは2001年なのだそうだ。それから十年ほど勤務したあと姉妹校に異動して、再び椰子木高校に戻ってきたのだという。

これは貴重な情報源を見つけてしまったかもしれない。


「じゃあ先生、女子生徒の行方不明事件について何か知りませんか?」


まず確定させておきたいのは、体育館の建て替え時期に行方不明になった女子生徒が本当にいたかどうかだ。

"壁になった女の子"の噂について話すと、レイバーン先生は訝しげに「そんなバカな」と口を開いた。


「今の体育館が建てられたのはオレが椰子木高校にきてすぐのころだったケド、行方不明になった子なんかいなかったよォ」


これはかなり有力な証言だった。レイバーン先生はさらに「オレが椰子木高校にいる間、行方不明者なんか一人も出てないから」と付け加えてくれた。

レイバーン先生の証言が事実なら"壁になった女の子"の怪談は根本から覆る。実に強力な否定材料だ。そもそも行方不明者がいないわけだから、体育館の壁に埋まってしまった女子生徒などいるはずもない。


「そうそう、体育館の建て替えといえばさァ。失踪者はいないケド、当時ちょっとしたトラブルがあったんだよォ」


レイバーン先生がそこまで話したところで、消火栓の落書きはあらかた消し終わった。掃除用具をバケツの中に片づけて、俺はレイバーン先生に追随して歩き出す。


「昔の椰子木高校にはさァ、体育館に卒業壁画を残す文化があったんだ。えーと、たしかこの辺に昔の写真が……あ、ほら、コレだ」


掃除用具入れに向かう道中、ちょうど図書室の前を通った。ここの大きな掲示板には「椰子木高校のあゆみ」と題された数十枚の写真が飾られている。

創立当時の木造校舎。今とはデザインの異なる制服に身を包んだ男女。中庭にそびえたつ大きな木。俺の知る景色とは全然違う、過ぎ去りし時代の椰子木高校を収めた写真が並んでいる。旧体育館の写真はそのなかに紛れていた。

建て替えられる前の体育館の壁には、めいっぱいにカラフルなイラストが描かれていた。制服姿の男女や、色とりどりの花々、魚や動物や、謎めいたキャラクター。壁画のモチーフはさまざまだ。

よく見ると区画ごとに絵のタッチが違い、飛び飛びに「○○期生卒業記念」という文字が踊っている。どうやら毎年、その世代の卒業生が描き足していったものらしい。


「へぇ、昔の体育館ってこんな感じだったんですか」

「すごいモンだろォ? 体育館が丸ごとアート作品! って感じでさァ。毎年、美術部の三年生が描いてたんだよ」

「今は卒業壁画なんて描いてませんよね」

「体育館を建て替えちゃったからねェ。新しい体育館でも卒業壁画の文化を残すかどうかで、当時はけっこうモメたんだよ」


卒業壁画はもともと、老朽化してペンキの剥げた旧体育館の壁を塗り直そうという発想で始まった文化だったらしい。

しかし新築の体育館でその大義名分は使えない。すでに椰子木高校の文化として根付いていた卒業壁画を惜しむ声は少なくなかったが、議論の末に新しい体育館には卒業壁画を描かないという方針が固まったそうだ。


「とはいえ生徒からの反発は大きかった。当時の学生……特に美術部の生徒にとって、卒業壁画は高校三年間の集大成みたいなモンだったからねェ。卒業壁画の中止撤回を求める署名活動なんかも起こってさァ」


卒業を間近に控えた三年生を中心に、壁画文化の続行を求めるムーブメントは広がっていった。署名活動には多くの生徒が協力し、一部では授業のストライキまで起こっていたという。

しかし、そこまでしても卒業壁画中止の決定は覆らなかった。やがて生徒の間には諦めムードが漂い、抵抗勢力の勢いは日に日に衰えていく。建て替え工事が完了した頃には、ほとんどの生徒がこの話題に興味を失っていた。


「だけど、美術部だけは秘密裏にトンデモナイ計画を進めていたんだよ」

「とんでもない計画?」

「彼らは真夜中の学校にこっそり忍び込んで、勝手に卒業壁画を描こうとしたんだ」


レイバーン先生は「すごいコトするよねェ」と言って笑った。事件が風化した今でこそ明るく話せるが、当時は決して笑いごとではなかっただろう。

決行したのは美術部に所属する三年生のグループだった。彼らは閉門後の校内に侵入し、出来立てほやほやの体育館に卒業壁画を描こうとしたのである。

見つかれば卒業間近で退学になる可能性だってあるのに。当時の美術部員にとって、卒業壁画はそれほどまでに大事なものだったのかもしれない。


「それで壁画は完成したんですか?」

「イーヤ、途中で警備員に見つかって御用。オレも夜中に呼び出されたりしてさァ、大騒ぎになったよ」


結局、彼らの計画が完遂されることはなかった。本来であれば完成まで何ヵ月もかかる壁画をたった一晩で完成させようというのだから、はじめから無謀な計画であったことには違いない。

美術部員たちは必死で壁にペンキを塗りたくったが、描けたのは計画のほんの一部分だけだった。その後、実行した生徒たちには壁の清掃が命じられ、僅かに描けた壁画さえも数日中には消し去られてしまったのだそうだ。

そしてこの騒動を最後に、卒業壁画の保存を求める生徒たちの動きは完全に鎮静化した。


「そういうコトがあったから、新しい体育館をよく思わない子たちもけっこういたんだよなァ。壁に人間が埋まってるとかっていう変な噂は、それで流されちゃったのかもねェ」


つまるところ"壁になった女の子"という怪談は、当時の生徒たちが抱いた反感の結晶だったのだろうか。新しい体育館に対する悪感情から生まれたデマが、いつしか怪談として言い伝えられるようになったのかもしれない。

美術部が真夜中の学校に忍び込んだというエピソードも、どことなく"壁になった女の子"の逸話に似ている。彼らの起こした騒動が「建て替え中の体育館に侵入した生徒のグループがいた」という噂の元になったと考えることもできる。


「オー、雨が降ってきたねェ。手伝いありがと白蔵。本降りになる前に帰り支度してきな」


空はいつのまにか鉛のような雲に覆われ、すでに小さな雨粒が窓を叩き出していた。今朝はよく晴れていたから、傘なんか持ってきていないのに。

図書室に寄るのは中止して、今日のところは早めに退散すべきかもしれない。まぁ行方不明者なんか出ていないという証言はとれたし、裏取りを急ぐ必要もないだろう。


「そうですね、雨脚が強くなる前に帰ります」


レイバーン先生とは掃除用具入れの前で別れ、俺は急ぎ生徒会室に戻った。

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