壁になった女の子 ——その6
"壁になった女の子"が出ると噂されているのは体育館裏だ。事実、蟷螂坂のクラスメイトがそれを目撃したのも噂通りの場所だったらしい。
我が校の北側には標高100メートルちょっとの小山があり、体育館がちょうど山を背にするような形をとっている。そのため体育館裏は、体育館と山の境目にあたる。
とはいえ山側には堆く擁壁が積まれているから、すぐ真裏が山だという実感はあまりない。内側から見る分には、ただ両側をコンクリートに挟まれた細長い通路という印象だ。
「壁に浮かび上がるったって、けっこう範囲が広いな」
件の体育館裏に到着し、まずは"壁になった女の子"が浮かび上がるという壁面をチェックする。
とはいえ、一見して不自然な点は見当たらない。この壁の向こうは舞台側にあたるため体育館裏には窓ひとつなく、打ちっぱなしのコンクリートだけがのっぺりと広がっていた。
「女の子の顔が浮かび上がるっていう、正確な位置はわかるか」
「アタシも見たことないんで、伝聞っすけど……だいたいこのあたりらしいっす」
蟷螂坂が壁面の一点を指す。当然、そこに不気味な顔など浮かび上がってはいない。
何の変哲もないコンクリートの壁だ。強いて言えば周囲に比べてカビや苔の黒ずみが多い気はするが、これもわざわざ取り沙汰すほどの異常ではない。
「ああいうシミが顔に見えた可能性は?」
「う~ん……アタシの目には、ただの汚れにしか見えないっすけどねぇ」
「ただの汚れが人の顔に見えることもあるんだよ。パレイドリア効果って聞いたことないか?」
パレイドリア効果とは、視覚や聴覚で得た情報を既知のパターンに当てはめて認識してしまう心理効果のことである。ようは、なんでもない模様が人の顔に見える、というアレだ。
自動車のフロント部分が顔っぽく見えるとか、雲が天使の羽に見えるとか、猫が「ごはん」と鳴いたように聞こえたとか。ウサギが月で餅つきをしている、なんてのは古くからあるパレイドリアだ。
「和泉ちゃん。私もそのパイルドライバーとやらが怪しいと思います」
「パレイドリアな」
「怖い怖いと思っていたら、壁のシミだって怖く見えるものですよ」
「そうだな。あらかじめ"壁になった女の子"の噂を知っている人なら、ここを通るとき無意識に『人の顔っぽい形』を探してしまうこともあるだろう」
見る角度を変えてみたり、壁に近づいてみたり、離れてみたり。思いつく限りさまざまな視点から壁を眺めてみるが、やっぱり顔が浮かび上がってくるようなことはない。
「そりゃアタシも『きっと見間違いだよ』って言いましたよ。けどその子『絶対に違う! あれは見間違いなんかじゃない!』って……変なウソをつく子じゃないし、さすがに心配なんすよね」
人を怖がらせるのが趣味の蟷螂坂がフォローに回るくらいだから、目撃者の怯えようは相当なものなのだろう。
しかし困った。当人が「見間違えではない」と強く主張しているなら、パレイドリア効果がどうのこうの~……と講釈を垂れるわけにもいかない。
少なくとも本人は"壁になった女の子"を目撃したと思い込んでいるのだ。無理に説き伏せようとすれば、彼女は余計に意固地になってしまうかもしれない。
「つっても肝心の顔が浮かび上がってこないんじゃ、解明もなにもないよなぁ」
「あら、オバケに出てほしかったんですか和泉ちゃん?」
「バカいえ。出てたら今ごろ退学届を出しにいってるところだ」
「いくらなんでも潔すぎません?」
「この人、もう臆病なの隠す気もないんすね」
体育館裏の壁面に不気味な顔が浮かび上がるという百鬼椰行、"壁になった女の子"。
初回の調査は残念ながら不発だった。思ったような成果が得られずに歯がゆい反面、何も出なくてよかったと安堵する自分もいる。
「とりあえず今日は解散だな。この件については俺のほうで調べておくから」
ひとまず現地調査はおひらきということになった。じっと壁を見つめていたって怪奇現象は起こらないだろうし、このまま体育館裏に留まっていたって仕方がない。
ならば過去の新聞記事でも漁ってみるほうが建設的だろう、と思ったのだ。蟷螂坂が話していた"壁になった女の子"の逸話が事実なら、椰子木高校ではかつて女子生徒の行方不明事件が発生していたことになる。
それほどの事件なら当時は大々的に報道されたに違いない。椰子木高校に関連するニュースが載った新聞は図書室に保管されているはずだから、それを調べれば"壁になった女の子"の怪談が成立した経緯を知れるかもしれない。
「ン? 白蔵か、ちょうどいいとこにいるねェ。ヒマなら少し手伝ってくれない?」
「おわっ、レイバーン先生」
情報収集のため一人で図書室へと向かう道中、廊下の曲がり角から金髪碧眼の大男がぬっと顔を出した。
この筋骨隆々のアメリカ人男性は、ユーラ・レイバーン先生。我が校の英語教師にして生徒指導。そしてこの学校で唯一、隠神よりも身長の高い人物である。
「手伝いって、なんのですか?」
「落書き消しのさ。ほら、見てみなよコレェ」
そう言って、レイバーン先生が消化栓の扉を開く。内側には、年季の入った落書きがいくつも塗り重なっていた。最近描かれたと思しきものもあれば、描いた張本人はとっくに卒業しているだろうと一目でわかるものもある。
いかんせん古い校舎だから、このような光景は珍しくなかった。目立つ落書きは生徒会でも消して回っているのだが、こんなふうに一見してわからない場所に描かれたものはどうしても見落としてしまう。
レイバーン先生はなにかの拍子でこの落書きスポットを見つけ、掃除することにしたらしい。彼の握るバケツには、洗剤やスポンジが乱雑に突っ込まれていた。
「ああ先生、こういうのは俺がやりますよ。より良い学園づくりが生徒会の務めですから!」
「ハッハッハ、頼もしいねェ。でもけっこうな量だしさァ、二人でちゃちゃっと消していこうか」
こんな雑務ひとつ生徒に押し付けたって問題はなかろうに、律儀な人である。
生徒指導として辣腕を振るうレイバーン先生は、不良生徒たちには悪鬼羅刹のごとく恐れられている。しかし基本的には生徒想いで優しい先生なのだ。
「アーアー、どうして落書きなんかするのかねェ。オレには若者の気持ちは理解できないよ、ホント」
「どういうつもりなんでしょうね。特に、自分たちの名前を相合傘に書き入れてるカップル。軽犯罪で誓った愛なんてロクなもんじゃないですよ」
「なんか白蔵、カップルへのアタリが強いね? キミ、彼女とかいないのォ?」
「はッ! 俺は、生・徒・会・長ですよ? 全校生徒の模範たるべき俺が! 不純異性交遊なんて以ての外!」
悲しい強がりを言いながら、油性ペンの落書きをゴシゴシと消していく。
消火栓の扉裏にはいろいろなことが書かれていたが、特に多いのが恋愛系の落書きだった。「オレらの"愛"は永遠に……」だの、「卒業してもずっと大好きだよ」だの、鳥肌が立つったらない。
愛を誓うも囁き合うも勝手だが、そういったやり取りはぜひ当人同士で完結させていただきたいものである。落書きされる消火栓くんの気持ちを考えたことはないのか。もしも俺が消化栓なら、こんなところに相合傘を書くカップルなんて別れてしまえ、と念じるに違いないのに。
「ところで白蔵。手伝いを頼んでおいてなんだけどさァ、もしかして生徒会の仕事の最中だった?」
スポンジにエタノールを染み込ませつつ、レイバーン先生が申し訳なさそうに聞いてきた。生徒会の仕事中といえばそうなのだが、別段急ぎというわけでもなかったし、気を遣っていただく必要はないのだが。
「校内の美化に努めるのも生徒会の仕事の一環ですから。それに、ちょっとオバケについて調べていただけなので」
レイバーン先生は「オバケ?」と呟いて手を止める。
苦手なピーマンを前にした子供のような、服の中に蜘蛛が入り込んでしまったときのような。レイバーン先生の顔には、一目でわかる嫌悪感が浮かんでいた。
「レイバーン先生、もしかしてオバケ苦手ですか?」
「大っ嫌い。特にジャパニーズホラーが苦手でねェ……こっちに住んで二十年以上になるけど、いまだに慣れないよォ」
「先生がオバケを怖がるなんて意外です。てっきり怖いものナシなタイプかと」
「ゾンビなんかは、べつに怖くないんだけどねェ。銃もきくし、殴れば倒せるし。やはり暴力はすべてを解決するのよ」
「教師の口から『やはり暴力はすべてを解決する』なんて言葉を聞く日がくるとは……」
「でも日本のオバケって基本、透けてるじゃない? 物理攻撃無効のスキル持ってるのよォ、こっちのオバケ。日本人ってチートスキル好きだよね。死んだら無敵になった件、じゃないのよホントさァ」
つまり、物理攻撃が通じない相手が苦手らしい。オバケは殴れないから嫌い、か。対人戦ではそうそう負けないケンカ自慢ならではの感性かもしれない。
怖がり同士でわかりあえるかと思ったが、俺と先生の「オバケ嫌い」はベクトルが違うような気がする。俺は、ゾンビも普通に怖い。
「白蔵はオバケ好きなんだ? わざわざ調べてるってコトはさァ」
「いえ嫌いですね。消火栓に愛の言葉を書き残すカップルより嫌いです」
「じゃ、どうしてオバケの調べものなんか?」
「実は今、生徒会で百鬼椰行の撲滅キャンペーンみたいなことをやってまして」
レイバーン先生に事情を話した。百鬼椰行を解決しないと隠神に学校中の備品を破壊されかねない……なんて伝えるわけにもいかないので、そこらの事情はぼかしつつ。
現実的な視点から百鬼椰行を撲滅しようとしていることを伝えると、レイバーン先生は「いいじゃん!」と賛同してくれた。同じオバケ嫌いとして、そこのところはわかりあえるようだ。
「生徒会でってコトは、隠神も参加してる感じ?」
「はい。変な奴ですけど、仮にもうちの副会長なので」
「……もしかして百鬼椰行の撲滅ってさァ、隠神が言い出したコトだったりする?」
「そうですけど、よくわかりましたね」
「いやァー……アハハ……」
隠神の話が出た途端、レイバーン先生はなんとなく居心地悪そうにしていた。他の先生ならともかく、レイバーン先生は隠神を恐れたりするようなタイプじゃないと思ったんだが。
「アァ、この辺の落書きは落ちにくいなァ。よし、チョット強硬手段で消すかァ!」
ぎこちない空気を切り替えるように、レイバーン先生は明るい声を出した。
先生は落書きに研磨剤を塗布し、スポンジをナイロンたわしに持ち変えてガシガシとこすっていく。消すというより、ほとんど削るようなやり方だった。
おかげで落書きは綺麗さっぱり消え去ったが、ついでに消火栓の赤いペンキも少し剥がれた。レイバーン先生は「やべ」と呟いてこちらを見たが、すぐに「マァ……必要な犠牲だよね、うん」と適当ぶっこいていた。まぁ先生がいいと言うのなら、いいんだけど。




