海の深さのその透明さ
薄く透けたその幕が何枚も何枚も繋ぎ合わされて、曇り空の間からわずかに降り注ぐ日の光を受け止めて輝き、陰り、飲み込み、吐きだす。
夜の踊り場で無数の人々が熱気と酔狂によって足を踏み鳴らし、腕や背骨をくねくねと動かす。その肘と肘が、肌と肌が、目と目が交わり息遣いすら聞こえるような近さで、しかし、私たちは軽やかに一つのダイナミズムの上や下を行ったり来たりする。
叫びだしたい。求めあいたい。暗がりへと消えてしまいたい。様々な願いが渦となって人を媒介に大きく広がっていく。その渦が薄く透けた大きな海の波を貫いて、またまったく分からない方へと人々を追い立てる。
夜の風車小屋。そのダンスホール。私たちは踊り酔いしれる。
渦となって人を引き付けたい。あの人の目に引き込まれたい。
しかし、渦よりももっと大きな波が飛沫を上げて私たちを襲う。
深海の冷たさ、常夏の暑さ、肌がじわりと汗ばむのに胸の内に広がるこの寒い苦みは一体なんだろうか。
酒を一瓶呷れば、自らが熱に変わる。
胸の内にある海峡で冷やされた海水がどんどんと熱を帯びて、メイルシュトロームのように湧き上がっていく。
海の底の深さの知れなきを知っているのならそれは浅瀬とも思える。
誰もが見えぬ海流に流される。奔放に。しかし、絶望の嵐が来る。その時に耐えられるのかどうか。もしかしたらこの大きな波も嵐であるかもしれないし、自ら興した渦も嵐のように激しいかもしれないし、海流の乱れが自らを殺すかもしれない。
毎日夜の水の冷えたるを恐れる。
それを呷っては毒足らずとも毒死する。
孤独の冷たさは海に勝り、真宇宙の闇に勝り。
ゆえに私たちは目を塞ぐために今日も酔狂を演じる。
酔い、狂い、カモメの鳴くをかき消さんとする。
嬌声を上げて、恋に目を潰して、嵐よりも激しく踊って、嵐を知らぬふりをする。降りしきる雨粒の冷たき弾けすらも神の恵みであると崇める。
千代の波のその透明たることは真の深さの覆い隠さざるゆえに私たちは明白たる暗みに惑乱す。