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09 - チカお姉ちゃん



 無事に傾斜を登りきり、自分たちがつけた足跡を辿って、リコと三人町へ戻った。そして今この時も心配で押しつぶされそうになっているであろう母親の許へ急ぐ。

 彼女は家の前の道をうろうろと歩き回っていた。遠くから声をかければ、いったい誰かと目を眇めて――娘の姿を見つけたのだろう、その瞳が大きく見開かれた。



「リコ!」



 セルジュが抱えていたリコを降ろす。すると彼女は一直線にかけていき、そのまま母の腕に強く抱かれた。



「心配かけてごめんなさい……」


「いいのよ、無事でよかった」



 感動の再会を果たす母子の姿を見て、素直に羨ましいと思った。私はもう、母に抱きしめてもらうことはできない。

 両親の葬式で魔女に異世界へと連れ出される、なんて非現実的な展開の連続で、両親の葬式すら遠い夢のように感じられ、正直なところ今の今まで実感がなかった。領主見習いの三か月を終え、元の世界に帰れば「おかえり」と迎えられるような気がして――



「本当にありがとうございます」



 思考の海に深く沈んでいたせいで、母親から向けられた感謝の言葉への反応が遅れた。はっとなって母親を見たものの、彼女と目が合わなくて――あぁセルジュ見ているのだと分かった。



「彼女がリコの足跡を見つけたんだ。礼なら彼女に」



 セルジュの言葉でリコによく似たブルーの瞳がこちらを向く。



「アマンド領主の……本当にありがとうございました」


「いいえ、リコちゃんが無事でよかったです」



 どうやら私の容姿を見てアマンド領主の孫だと気づいたらしい。感極まった様子で母親は深く頭を下げた。

 会話をしている内にずいぶんと人が集まってきた。彼らはリコの姿を見てほっと安堵のため息をつき、ある者はこの場に留まり、ある者は捜索を続けている者たちへ報告をしに走る。

 向けられる視線はどれも好意的なものだった。しかしひそひそと自分について噂する様子を目の前で見せられて、嫌な記憶が蘇る。私の出自について情報を共有しているだけだろうと察せるが、生憎噂には悪い意味で敏感なのだ。

 リコも無事見つかったことだしここに留まる理由もない。そう判断し「失礼します」と踵を返した。



「チカお姉ちゃん、またね!」



 背後からリコの声がした。思わず振り返れば、母親に抱かれたままこちらに大きく手を振っているリコの姿が見えたので、思わず手を振り返す。



「さすがはアマンドさんのお孫さんだ」


「この前は酒場の酔っ払いをのしたって聞いたぞ」


「彼女が新しい領主さまなのかしら」


「少し若いが、彼女ならきっと大丈夫」



 聞こえてくるのはずいぶんと大きな声の噂話。本人に聞かれて困ることではないからこそ、なのだろうが、聞いてくださいと言わんばかりの声量に思わず笑ってしまった。

 向けられる好意に、あからさまに警戒してしまったことを申し訳なく思う。領主としてもう少しあの場でフォローすべきだったかもしれない。けれどまだ町のことをよく分かっていない私がいたところで何もできることはないし――

 町の人々との触れ合いに前向きになれた自身の心を自覚し、単純なものだと自嘲する。悔しいけれど、何気ない顔で隣を歩く男のおかげだ。



「ありがとうございます」


「……何がだ?」



 しらを切るところがいやらしい。いっそ自分の功績だと誇って、恩着せがましく言ってくれた方がいいのに。

 町の人々の喧噪を遠くに聞きながら、私は足を止めてセルジュを見上げた。



「町の人々からの信頼を得るために手を貸してくれたんでしょう? 本当なら私を夜の森に入らせず、安全な場所で待たせておいた方があなたも楽だったはずです」


「俺が目を離した隙に、君が一人で行動するかもしれないと危惧してのことだ。こっそりついてこられでもしたら困る」



 ああ言えばこう言う。今回は間違いなくセルジュの思惑通りことが運んだはずであるのに、なぜ頑なに認めないのだろう。

 疑問を抱き――もしかすると私を気遣っているのかもしれない、と思った。セルジュが仕組んだことではなく、私が自分の力で住人たちからの信頼を勝ち取ったのだと、彼は私にそう思わせたいのかもしれない。――なんて、考えすぎだろうか。

 どうであれ、無謀に一人で行動を起こすじゃじゃ馬だと思われているのは心外なので訂正をいれる。



「そんなことしませんよ」


「どうかな。君は案外、思いきりが良すぎるようだから」



 セルジュは肩を竦める。どうやらそれが彼の癖らしい。

 思いきりが良すぎる、という指摘を突っぱねることはできなかった。正直心当たりがあったからだ。先日酔っ払いを投げ飛ばしたのだって、セルジュからしてみれば“思いきりが良すぎる”具体例だろう。

 ぐっと押し黙ってセルジュを見上げる。すると思いのほか彼は柔らかな笑みを浮かべていて、先ほどの指摘は責められていた訳ではないのだと理解した。

 ――もしかして、彼なりに心配してくれていたのだろうか。

 自分に良いように教育係の言動を受け取っている自覚があった。けれどそう思ってしまうぐらい、今セルジュが浮かべている笑顔は優しいもので。

 無意識の内に口元が緩んでいた。それを悟られないよう一瞬下唇を噛みしめたが、向けられた優しさを意固地になって突っぱねる気にはなれなくて、自分の心に従って笑みを浮かべる。そして“お願い”した。



「明日は薬草について教えてください、教育係さん」



 リコの薬草探しについていくには知識をつける必要がある。それをセルジュに頼るなんて余計な面倒をかけていることは重々承知の上だ。

 少し前までの私なら、薬草を探しに行くと大人たちに言い出せなかったリコのように、セルジュに頼ることなく一人で文献を読んで勉強していただろう。それなのに、なぜか今このとき、自然と彼を頼ることができた。

 ――きっと受け入れてくれるはずだと、セルジュを信じることができたからだろうか。



「あぁ、もちろんだ」



 予想通りセルジュは二つ返事で頷いてくれた。それが嬉しくて、私は更に笑みを深めた――のだが。

 優しく細められていた夕焼け色の瞳が、三日月の形に変化した。緩いカーブを描いていた薄い唇は片方が不自然に持ち上がり、そして、



「俺の腰のためにも頑張ってくれ、チカお姉ちゃん」



 ――まだ引っ張るのか、この男!

 凪いでいた心が一気に逆立つ。先ほどとは違い、リコはもうこの場にいないため、遠慮なく噛みついた。



「口実にあなたを巻き込んだことは謝ります! でもだからって……意地が悪いですよ!」


「すまないな、こういう性格なんだ」


「もう!」



 顔を背け、大股で歩き出す。しかし身長差のせいであっという間に横に並ばれて、今はその長い脚にすら腹が立った。

 隣でセルジュが喉を鳴らして笑っている。何がそんなに面白いのかつくづく理解できなくて、キッと睨みつければ、彼はとうとう大声を上げて笑った。

 ――その日の夜、エヴァ伯爵に「あなたが選んだ教育係は意地が悪い」とクレームをいれようかと本気で悩んだのは、誰にも打ち明けていない秘密の話だ。



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