08 - 迷子大捜索
「リコはまだ七つの少女だ。そう遠くには行っていないと思うんだが……」
さすがのセルジュも焦りを感じているらしい、いつもより早口で行方不明の少女・リコについて教えてくれる。
普段はとてもおとなしく、七歳とは思えないほど周りに気を遣える少女で、病弱な母と二人で暮らしているそうだ。父は妻の医療費を稼ぐために出稼ぎ中。そのため町の大人の手を借りながら、母の世話をしている――
周囲に支えられているとはいえ、七歳の女の子には過酷な環境だ。誰も悪くないからこそ、やりきれなさを感じる。
探し始めた頃には辛うじて顔を覗かせていた太陽も、今ではすっかり落ちてしまって、町には夜が訪れていた。リコはまだ見つからない。手がかりすら掴めない。焦りはどんどん募って、町中あっちこっち走り回って、そして、
(足跡……)
町のはずれ、森へと続く獣道に小さな足跡を見つけた。
そっと足跡の隣に自分の足を並べる。私より小さい。もしかして、この足跡は――。
「おっと、一人で夜の森に入るのは危険だぞ。魔物が活発に動き回っている」
不意に背後から声をかけられた。振り返らずともその声の主は誰だか分かる。セルジュだ。
私は目の前に広がる森を見据えたまま問いかけた。
この先にリコがいるかもしれない。
「エヴァ伯爵が森の主を手懐けたのでは?」
「魔物も一枚岩ではないということさ」
本来なら町の自警団――あるのかは分からないが――に連絡して、きちんと体制を整えてから森の散策を行った方がいいのだろう。けれど今は一分一秒でも時間が惜しい。もしこの足跡が本当にリコのものなら、彼女は今この時も暗い森の中で震えているかもしれない。それどころか、魔物に襲われて――
最悪の状況を想像してしまって、私は思わず一歩前に出た。今にも走り出してしまいそうな私の隣にセルジュが隣に並ぶ。
見上げれば、彼はやれやれと言いたげに肩を竦めて、
「だが、そうだな、一人でなければいいだろう」
そっと私の背を押してくれた。
***
「リコ!」
「リコちゃん!」
名前を呼びながら足跡を辿る。音を立てれば魔物に見つかる可能性も高まるが、背に腹は代えられない。とにかくリコを見つけることが最優先だ。
「足跡が……」
セルジュが足を止める。リコの小さな足跡を、魔物のものと思われる蹄の足跡が踏み荒らしており、これ以上辿ることは難しそうだった。
――もしかして、ここで魔物に襲われた?
嫌な予感が脳裏をよぎった。それを振り払うように素早く頭を振り、あたりに目を凝らす。
ここまでリコがやってきたのは確かだ。それなら、この後の足取りを掴めるような手がかりがあるかもしれない。
木々、土、茂み、草花。暗闇の中から“何か”を見つけ出そうと目を皿のようにして観察した。そして――見つけた。不自然に掻き分けられたまま、歪な形を保っている茂みを。
私は慌てて茂みに駆け寄る。そしてその場に膝をつき――がくん、と前に倒れそうになったのを、咄嗟に尻餅をつくことで回避した。
茂みの先は緩やかな傾斜になっていた。滑り落ちても登ってこれそうな斜面ではあるが、茂みに隠されているためにそうと分からず足を滑らせてしまう危険は大いにある。
もしかしたら、リコも――。
じっと暗闇に目を凝らす。しかし何も見つけられず、目ではなく耳に頼ることにした。
どんなに小さな物音も聞き逃さないよう、聴覚以外の情報を遮断しようと瞼を伏せる。息を止めて、耳を澄まし――今にも暗闇に溶けてしまいそうなすすり泣く声が確かに鼓膜を揺らした。
「泣き声!」
「おい、降りるな!」
セルジュから制止の声があがったとき、既に私は傾斜を滑り降りていた。
間違いない。暗闇の底で小さな少女が泣いている。魔物に気づかれないようにか声を押し殺して、それでも漏れてしまう嗚咽を震わせて。
ふと自分の幼少期を思い出した。小学校に進学してすぐ、髪の色を指摘された。肌の色を笑われた。瞳の色を珍しがられた。周りからの視線を恐ろしいと感じて、違うことが恥ずかしいのだと植えつけられ、親に打ち明けることもできず、頭から布団を被って暗闇の中で泣いた日々――。
あの日の自分と同じように泣いている少女を、一刻も早く助けたい。その一心で慎重に傾斜を滑り降りて、やがて辿り着いた“底”で一人の少女を見つけた。
少女は地面に座り込み、抱えた膝に顔をうずめていた。
「大丈夫?」
声をかける。少女はびくりと肩を揺らして、膝にうずめていた顔をゆっくりと上げた。
暗闇の中で潤んだブルーの瞳がキラキラと輝いている。ぱちり、と彼女が瞬きした瞬間、目尻から大粒の涙がころりと零れ落ちた。宝石のようだ。
「お姉ちゃん、だあれ?」
「私はチカ。あなたを探しにきたの。お母さんも心配しているよ?」
私の言葉に少女・リコはみるみる顔を歪めた。助けが来たことに安心したのか、お母さんという単語に母の顔を思い出したのか。
「おかあさ……うぇええん」
リコは私の胸元めがけて飛び込んでくる。小さな体を受け止めて、そのまま抱きしめた。
体は冷え切っているが、私の許まで飛び込んで来られたのを見るに大きな怪我はしていないようだ。おそらく茂みに隠された傾斜で転んでしまい、小さな少女の体では元の場所まで戻ることができなかったのだろう。
冷えた体を温めるようにぎゅうぎゅうと強く抱きしめて、そもそもなぜ小さな少女がここに来たのかを問いかける。
「どうして一人で森に入ったの?」
「これ、探してたの……」
リコがポケットから取り出したのは、くしゃくしゃになった紙だった。しわを伸ばすように紙を広げていくと、それが本から破いた一枚のページだということに気が付く。
いったい何が書かれているのかと軽く目を通す。暗くて細部までは分からないが、何やら草木の挿絵が描かれており、その隣に文章で説明が添えられている。おそらく、これは――
「病気の母親のために薬草を探しに来たのか」
「セルジュ!」
いつの間にか後を追ってきていたらしいセルジュに持っていた紙を攫われた。
「結局見つからず、足を滑らせてここまで落ちてしまったんだろうな」
腕の中のリコがこくりと小さく頷いた。それを見逃さなかったセルジュは先ほどの紙と同じように、今度は私の腕の中からリコ本人を抱き上げる。そして自分と同じ視線の高さまでリコを持ちあげると、目を逸らすことなくゆっくりと言い聞かせた。
「母親の力になりたい心意気は素晴らしいが、次からは大人に声をかけろ。一人では危険だ」
「でも、みんな、忙しそうで……」
リコは頷くのではなく俯いてしまう。
彼女を探している最中、セルジュから聞いた事情を思い出す。病弱な母と二人暮らし。父は出稼ぎ中。周りの大人たちに助けられながら、母の世話をしている――。
きっとリコは聡い子なのだろう。周りに助けられていることを自覚した上で重く受け止めていて、迷惑をかけることを申し訳なく思っている。だから周りの大人たちに気を遣ってしまうし、相談することも躊躇ってしまう。
セルジュを真っすぐ見つめ返すことができず、俯く姿が痛々しい。もっと頼っていいのに。もっと甘えていいのに。もっと、もっと――我儘を言っていいのに。
「ねぇ、リコ、次は私もついていっていいかな?」
「へ……」
気づけばそう声をかけていた。
リコのブルーの瞳とセルジュの夕焼け色の瞳が同時にこちらを向く。特にリコは大きな目を更に大きく見開いて、その瞳には驚きと困惑の色が浮かんでいた。どうして? と言葉もなしに問いかけられている気分だ。
ここでリコが心配だから、などと言おうものなら彼女は余計に気を病んでしまうだろう。だからそれ以外の理由を答えなければならない。
リコに全く無関係な理由を、と考えて、ふとこちらに向けられた夕焼け色の瞳と視線が絡んだ。――ええい、悩んでいる時間はない!
「私も一緒に薬草を探したいの。あー……彼のために!」
そっとセルジュの腕に手を添える。するとリコは途端に表情を曇らせてセルジュを見つめた。
「セルジュ、どこか悪いの?」
しまった、余計な心配をかけてしまったかもしれない。
私は慌ててあたりに視線を泳がせた。――と、セルジュのポケットに先ほどリコから受け取った破かれたページが突っ込まれているのを見つける。私は咄嗟にそれを手に取って、目についた薬草を指さした。
「そ、そういうわけじゃないんだけど……ほ、ほら、これ! この薬草が欲しくて」
「……俺は腰が悪かったのか」
ぽつりと呟いたセルジュの言葉は無視する。どうやら丁度指さした薬草が、腰痛に対する効能を持っているようだ。
理由に使ってしまったことを後でセルジュに謝ろうと思いつつ、今はとにかくリコに頷いてもらわなければ。
「ね、いいでしょ、リコ?」
セルジュに抱きかかえられていることで、私より視線の高いリコを見上げる。
見つめ合うこと数秒。彼女は私の顔とセルジュの顔、そして破かれたページを何度か見比べて、それから頷いた。
「うん、いいよ」
「ありがとう!」
嘘をついてしまったことは心苦しいけれど、とりあえずは一安心だ。一人で森に入らなければ今回のような事故も防げるだろう。
話がまとまったところで、セルジュは降りてきた傾斜を見上げた。
「さて、どうやってここから上がるか」
「そこまで斜面もきつくありませんし、手をついて登れば……」
幸い、ところどころ石や木の根っこが出っ張っている。多少骨は折れるかもしれないが、それらを掴んでいけば登っていける自信があった。
ただセルジュはリコを抱えているから難しいかもしれない。そう心配して顔を見上げれば、彼はなぜか笑っていた。口の端と片方の眉を持ちあげて、悪戯好きの少年のように。
――嫌な予感がする。
身構えた瞬間、セルジュがわざとらしいため息をつく。
「どうやら俺は腰を痛めているらしいからな。下手に動けば、更に悪くするかもしれない」
――明らかな当て擦りだ。リコに頷かせるための口実に勝手に巻き込んだことは申し訳ないと思っているが、こんな風に意地悪く当てこする必要はないだろうに!
リコの手前言い返せず、私は下唇を噛んでじっと睨みつける。
「セルジュ! わたしとチカお姉ちゃんが、薬草とってきてあげるからね!」
「あぁ、ありがとう、リコ」
心優しいリコの言葉に噴火しかかった心が落ち着きを取り戻した。
今回ばかりは私に非がある。セルジュに揶揄われることぐらい、甘んじて受け入れなければ――
そう自分に言い聞かせたのも束の間、
「それと、チカお姉ちゃん?」
カッと頭に血が上った。怒りで顔が赤くなるのを感じつつ、言い返すこともできないので再びキッとねめつければ、セルジュはクッと喉を鳴らして笑う。
何がそんなにおかしいんだ、このいじめっ子め。いつか絶対に一泡吹かせてやる!
そう心に決めて、ふいと顔を逸らした。そしてこれから上る傾斜をセルジュのかわりに鋭く睨みつける。
「ほら、登りますよ! みんなにリコの無事を早く伝えないと!」
背後から噛み殺そうとして失敗したらしい無様な笑い声が聞こえてきたけれど、振り返ったら負けだと自分に言い聞かせて、私は出っ張った石に手をかけた。




